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「意味のイノベーション」「ソーシャルイノベーション」「新・ラグジュアリー」の3つが重なるとき。

いろいろなことをやっていると「繋がったなあ」と思う瞬間があります。その瞬間の充実感を求めて人は生きているのでは?と思うことも、ままあります。このところ「繋がったなあ」と思うのは、この数年、関わってきた三つのことです。「意味のイノベーション」「ソーシャルイノベーション」「新・ラグジュアリー」の三つです。

意味のイノベーションが起点

一つ目の「意味のイノベーション」はエヴァンジェリスト的な活動をしてきました。今はストックホルム経済大やハーバードビジネススクールで教えるロベルト・ベルガンティの『突破するデザイン』を2017年に監修して以降、「意味深い」や「センスメイキング」が、ぼくの大きな関心領域となります。ベルガンティは整理をしやすくするために「意味」が「問題解決」と一見反対に位置するような説明をしながら、「問題解決」と「意味」は相互作用であるとも話しています。

エピファニーを狙う

上図はベルガンティの一冊目の本『デザイン・ドリブン・イノベーション』に掲載されているものです。縦軸がここでは「テクノロジー」になっていますが、これは問題解決に力を発揮することが多いです。横軸は「意味」です。これら、両者の重なるところに「エピファニー」があります。科学や哲学でのひらめきの瞬間にある感覚を指しています。目指すべきは、このエピファニーである、というわけです

ソーシャルイノベーションは文化をつくる

二つ目が、「意味のイノベーション」をもう少し広い範囲で語っているエツィオ・マンズィーニとの出逢いによっておこった「ソーシャルイノベーション」への関心です。マンズィーニはデザイン研究者であり、ソーシャルイノベーションの実践と研究の第一人者です。

経営学者であるベルガンティは1990年代末、イタリアデザインの研究をマンズィーニと行い、ミラノ工科大学のデザイン学部の学生に経営学を教えはじめます。彼はマンズィーニからデザインの道案内をしてもらったと言っていますが、マンズィーニの本「デザインせよ、誰もがデザインする時だ」("Design, When Everybody Designs")にある以下のチャートに対し、ベルガンティに「ぼくの活動は主に1の領域に関わっている」と示されたとき、それこそ、全体の構図を得た感覚をもちました(2018年のことです)。ビジネス分野に限らない世界観の「整理の仕方」を獲得した、というべきなのでしょうか。

"Design, When Everybody Designs"

そこで、マンズィーニの考え方をよく理解する目的もあり、『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』を立命館大の八重樫文さんと訳しました。そうして、ぼく自身、ソーシャルイノベーションのリサーチに近寄っていくことになります。その分野のイベントに顔を出す、現場をみてみる、実践者と話す、ということです。そのうちに、マンズィーニの上図では左側で社会インフラの構築を促し、右側が文化をつくることを実感として理解していくようになります。

2021年12月、マンズィーニから、「今度、英語版が出た本の日本語版を検討してもらえないか?」と打診を受けました。まちづくりの本です。近接やケアがテーマです。デザインの本を読む読書会で皆で検討した結果、これは日本語出版を進めた方が良いとの結論を得て、皆さんと一緒に訳しました。今月、出版された『ここちよい近さがまちを変える/ケアとデジタルによる近接のデザイン』です。これはマンズィーニの4象限でいえば、下半分の実践により、まちと文化ができる道を提唱しているものです。上半分に過度に頼り切らないアプローチとも言えます。

こうやって「意味」と「文化」は与えられるものではなく、当事者として自ら獲得する、あるいはつくっていく、との感覚が強くなっていきます。この延長線上に「「発信」を目標におく- 日本の文化への関わり方の議論から思うこと。」という先週書いた記事があります。

新・ラグジュアリーも文化をつくる

「意味のイノベーション」について人に説明しているうちに、自分が何らかの実践をしたいと思うようになります。2018年頃から、対象をラグジュアリーが適切なのではないかと考え始めたのは、2015年あたりからラグジュアリーの意味を変える要因が浮き彫りになってきたのに気づいたからです。

1990年にイタリアに来て以来、ラグジュアリーや高級ブランドと称される企業とはいろいろと付き合っていましたが、ラグジュアリーそのものを問おうとの意識が芽生えることはなかった。しかし、「意味のイノベーション」という概念の存在が、ぼくの見方を変えたようです。

欧州の中世において政治権力や宗教的権威とラグジュアリーが結びついていたのが、19世紀、産業革命で生じた新興ブルジョワの地位欲求を満たす言葉に変化していきました。そして、今のような大きなビジネスになったのは1980年代以降です。その肥大化に反省が加えられた時期が2015年あたりである、と言えます。環境や倫理に目が向き始めた頃でもあります。

このような状況を踏まえ、2019年から「21世紀のラグジュアリー論 イノベーションの新しい地平」という連載を経営コンサルタント企業の雑誌に書き始めます。連載は2年間続き、2021年からはForbes JAPANで「ポストラグジュアリー -360度の風景-」という連載を服飾史研究家の中野香織さんとスタートさせます。- 今、気づいたのですが、ラグジュアリーに関する記事を5年間、毎月ぼくは書き続けてきたわけですね-

これらの連載の内容を使いながら中野さんとの共著で2022年に出版したのが『新・ラグジュアリー ――文化が生み出す経済 10の講義』です。

「新・ラグジュアリー」ではフランスのLVMHに象徴されるコングロマリットのビジネスを旧型と位置付けていますが、「新」とはその対抗馬だけでなく、新しい文化をつくる、という意味も込めています。意味のイノベーションとソーシャルイノベーションの文脈のなかにというか、その先に「新・ラグジュアリー」がある、と意識するようになったのです。

新しいラグジュアリーのオンラインプログラム

11月11日から開始する新・ラグジュアリーのオンラインプログラムも、「伝統を継承する」にウェイトがおかれがちな議論ではなく、文化をつくることによって結果的に歴史や伝統の再解釈が輝くとの方向の議論を目指していきます。

9月に書いた「復刻版をビジネスのコアにおく企業の存在感が増している - 「デザインプロダクト」を巡る旅で思うこと。」は、この方向感覚が的外れではないと思える根拠にもなっています。次のような記事に書かれているような内容も、新しい文化をつくるとの視点が入るとグッと魅力が増すのでは?と思っています。

くり返します。目指すべきはエピファニーです。

冒頭の写真©Ken Anzai


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