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「自分の中のモヤモヤに気づくことが第一歩」ー【COMEMO KOLインタビュー】松田紀子さん

日経COMEMOのKOL(キーオピニオンリーダー)松田紀子さんは、元KADOKAWA「レタスククラブ」の編集長。低迷していた老舗雑誌をV字回復させたことで知られています。半年前、大手出版社からベンチャー企業へ転職。出版畑からマーケティングの世界に飛び込みました。転職に至った経緯や、現在の仕事への思いなどをうかがいました。

【COMEMO KOLインタビュー】は、キーオピニオンリーダーの思いやルーツ、人となりを紹介する連載です。取材には、日経とnoteによる学びのコミュニティ「Nサロン」のメンバーを招待。実際の取材現場体験を通してビジネススキル向上の機会を提供しています。


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松田紀子さんのプロフィール
1973年生まれ。大学卒業後、リクルートで「じゃらん九州」の編集に携わる。2000年、メディアファクトリーに入社、コミックエッセーのジャンルを確立する。11年からコミックエッセイ編集グループ編集⻑。16年よりKADOKAWAの「レタスクラブ」編集⻑を兼務。2019年10月からファンベースカンパニー。

▼本日より「NIKKEI STYLE 出世ナビ 【フロンティアの旗手たち】」で松田さんの連載が開始しました。


ー松田さんといえば「コミックエッセイ」のジャンルでも、多数のヒット作を手がけていますよね?

「メディアファクトリー」という会社で、新規のジャンルを立ち上げるというプロジェクトがありました。2002年、私が入社して2年目のことです。当時、女性向けのエッセイでは、文字だけの自己啓発本などが流行っていて、「このジャンルの書店の棚に並べられるような作品を作れないか?」ということから始まったプロジェクトでした。

漫画家が自身の体験を漫画で描く。「エッセイ」でもあり「コミック」でもある、そんな本を作ろうという企画が立ち上がりました。その当時はまだ「コミックエッセイ」という言葉は根付いていませんでしたが、「エッセイ漫画」と呼ばれるものの中で「セキララ結婚生活」などのヒット作が生まれ始めていました。

刊行点数を増やさないと書店の棚が取れないので、先輩と一緒にどんどん作っていきました。2003年、そんな中で生まれたのが「ダーリンは外国人(小栗左多里 著)」でした。そこから、他の出版社からもコミックエッセイがたくさん発売されるようになり、コミックエッセイのジャンルが拡大していきました。

「30歳までに100万部を売らないと書籍編集者としては失格だ」と言われていた時代でしたから、私はそれを信じて「30歳までに100万部!」を自分の目標にしてやっていました。「ダーリンは外国人」がそれを叶えてくれたという感じです。

そこからはコミックエッセイ専門で、15年くらいやりました。

ー大活躍だったコミックエッセイを離れて「レタスクラブ」の編集長になったのはなぜですか?

メディアファクトリーがKADOKAWAの傘下に入ることになり、当時、角川マガジンズから刊行されていた「レタスクラブ」の編集部が、私のいたコミックエッセイ編集部と同じ所属になったんです。それで、コミックエッセイ編集長とレタスクラブ編集長を兼務することになりました。

レタスクラブは生活情報を扱っている、女性をメインターゲットにしている雑誌です。ジャンルは違いますが、読者の方向性はコミックエッセイと似ているところがあります。レタスクラブの中でコミックエッセイを連載することで部数を回復させようという目的の、会社の組織編成でした。

当時の私の使命は「コミックエッセイを世の中に広める」ことでしたから、レタスクラブのように歴史も知名度もある媒体を任せてもらえることは非常にありがたいと思い、一緒にやることになりました。

ーそこからレタスクラブをV字回復させるために、具体的にどのような取り組みをされたのですか?

もともと、レタスクラブの編集部には、力のある編集者が多かったんです。ですから、レタスクラブがV字回復した一番の要因は、メンバーの能力が高かったことだと思っています。

ただ、流動性のない部署だったので、メンバーは10年、20年、レタスクラブしか作ってきていない。まずは、メンバーの視野を広げて、意識が変わるように促しながら、マンパワーを最大限に発揮できるような環境を整えることに務めました。意見を言いやすい環境にしたり、自分の意見がどんどん誌面に反映されていったりするような仕組み作りを意識的にやりました。

それから、様々なジャンルのコンテンツを積極的に取り入れて掲載していきました。それまでは、「料理」や「片付け」などがレタスクラブの定番コンテンツでしたが、人気作家のコミックエッセイの連載や、人気声優の連載を始めました。すると、その作家さんや声優さんのファンの方がレタスクラブを買ってくれるので、それまでとは違う新しい読者を少しずつ増やすことができました。

他にも、メインの読者であるリアルなお母さんたちに話を聞いて、生活の中にある課題を取材。それを解決するような誌面に整えていきました。

ーコミックエッセイ、レタスクラブと、順調にキャリアを築いていた松田さんが、転職を考えるようになったきっかけは何ですか?

自分のキャリアについて「モヤモヤ」とした気持ちをもち始めたのは、コミックエッセイ編集長をしていた最後の頃でした。レタスクラブの編集長の話がくる前、コミックエッセイは頭打ちの状態でした。以前のように簡単にはヒット作が生まれない、このまま会社に残って出世したいという気持ちもない、次のキャリアが見えないなと感じていました。

そんな中でレタスクラブの編集長の話が。これはいい転機になったと思います。新しく夢中になってやれることができましたから。

編集長を引き受けて、仕事は急激に忙しくなりました。毎日やることに追われるので、とりあえずそれに向き合っていました。でも、自分の中の「モヤモヤ」が消えたわけではなく、それは引き続き心の中に残ったままでした。

雑誌編集長の仕事は精神的にも体力的にも非常にきついので、最初から「これは短期勝負だ」と思っていました。3年経ったらやめようと考えていたので、常に「3年後どうしようか?」ということが頭の中にあり、それを考え続けていました。

ー「モヤモヤ」した気持ちを抱えていたところから、まったく違う環境への転職という行動を起こせたのはなぜですか?

「ダーリンは外国人」を作ろうとしたとき、私はまだ一番下っ端の編集者で、企画を出してもまったく通らないような状況でした。作家さんからネームを預かっていたにもかかわらず、なかなか世に出すことができずにいました。

作品がお蔵入りになってしまうかもしれない中で、「ダメ元で企画会議にぶつかって、それでダメなら会社を辞めよう」と思いました。そして本当にダメ元でぶつかったら、ヒットになりました。

そのときに思ったのは「やってよかった」ということです。「自分が動き出さなければこの未来は作れなかった」ということが、強烈な印象として私の中に残りました。

自分の考えをどんどん外に出すとか、興味があるところには顔を出すとか、それ以降は意識してやるようになりました。「それでダメならしょうがない」と思ってやっていましたが、いい出会いが転がっていたり、何らかの可能性につながったりする場合が多かったです。

すぐに行動が起こせなくてもいいと思います。まずは自分が「モヤモヤしていることに気づく」ことが重要です。

自分の中に「モヤモヤ」があることに気づけたら、その原因を徹底的に掘り下げて、心当たりが出てきたら、あとは行動すればいいだけです。例えば、モヤモヤの原因が「仕事を先延ばしにしている」「部屋が片付いていない」ならば、さっさとそれを片付けてしまえばいいだけです。

「モヤモヤ」の原因を考えても、わからないこともあると思います。むしろ、そういうことのほうが多いかもしれません。そのときは、わからないまま頭の片隅に置いておけばいいと思います。「自分の中にモヤモヤがある」という認識だけをもっておいて、その解決策を常にぼやっと考えて意識することです。重要なのは「モヤモヤ」を見て見ぬ振りしないこと。

私の場合、それを5年間かけてずっと続けていた結果、転職ということになりました。「自分は今、モヤモヤを抱えてるんだ」と意識することが、第一歩なのではないかと思います。


▼本日より「NIKKEI STYLE 出世ナビ 【フロンティアの旗手たち】」で松田さんの連載が開始しました。

▼「NIKKEI STYLE 出世ナビ 【フロンティアの旗手たち】」は、日経COMEMOのKOL(キー・オピニオン・リーダー)の投稿をもとにした連載企画です。

▼日経COMEMO公式noteでは、KOLへのインタビューを掲載しています。


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