日銀とECB~ともに悩む通貨安~
関心強まる欧州の不調
今回はユーロ圏経済をやや踏み込んで議論してみたいと思います。というのも、おそらくさほど欧州に関心がない人々においても「欧州経済はかなり不味そう」というニュースをそこかしこで目にするようになっているのでは?と考えるためです。ミクロの面ではVW社の労働争議が話題をさらっていますが、年初には「Dexit」、つまりドイツのEU離脱を示唆するような物騒なヘッドラインも日経で見られました。なお、VW社の労働争議云々を契機とするドイツ考察は以下にまとめています:
もちろん、DexitはAfDの政権奪取とその公約を前提としたものであり、極端なフレーズですが、政治・経済両面からドイツひいては欧州経済の不透明感が色濃くなっているのは間違いありません。
パリティ割れ、早速視野に
当然、為替もビビッドに反応します。ドル/円相場と円金利をめぐる現状については以下のコラムで先週末に議論させて頂きました。この論点(通貨防衛)は日銀会合の接近に連れて再び深堀することになろうかと思います:
しかし、ここにきて為替市場ではもう1つ大きな動き確認され始めています。筆者は講演会やお客様向けレポートの中で2025年の為替市場の注目点の1つとして「ユーロ/ドル相場のパリティ割れ」を掲げてきました。これは年央頃に実現するイメージではありましたが、予想外に早く実現しそうな雰囲気が感じられます:
既に、ユーロ/ドル相場は断続的に1.02台を割り込む場面が見られるなど、出足の鈍さが際立ちます。もはや、2025年を展望するのであればパリティ割れというよりも、史上最安値に至るかどうか?が争点でしょうか。欧米景気格差が欧米金利差に直結する傾向が年後半にかけて強まりそうなことを踏まえれば、ユーロ/ドル相場の軟化を見込むこと自体、意外感はないでしょう。
こうしたユーロ相場をECBの目線から捉え直してみることが重要かと思います。現状、ECBが置かれている政策環境は日銀のそれと同じくらい窮屈だと思われます。端的に言えば、両中銀とも自国通貨安に政策姿勢を規定されている点で共通しています。日銀は円売りに煽られるように追加利上げを急かされる状況にありますが、ECBはユーロ売りに煽られるように追加利下げを封じられるような状況にあります。類似した状況と言えるでしょう。
なお、日欧が通貨安に悩みを抱える中で、ブラックスワンとしての「プラザ合意2.0」は構えるべき論点であるという議論を年初から行っております。こちら大変な関心で、その後多くの取材をいただきました:
さほど進まないECB利下げ織り込みが穏当な理由
本稿執筆時点で年内のECBの政策金利は2%強まで引き下げられる展開が織り込まれている。過去、ECBスタッフが試算した中立金利が1.75%から 2.50%の範囲であることを思えば、さえない域内情勢に照らして、それほど緩和的な金融環境は用意されない見込みです。なぜでしょうか。ひとえに通貨安への懸念は無関係ではないように思えます。
金利差にビビッドに反応しやすいユーロ/ドル相場の性質を踏まえれば、大幅利下げはユーロ安経由で域内のインフレ抑制を難しくするでしょう。だからこそ金融政策ではなく財政政策での内需下支えが期待されるわけですが、ここでも安定・成長協定という制約に嵌められ身動きがとりづらいというユーロ圏特有の事情が邪魔をします:
賃金トラッカーで見ても2025年の賃金鈍化は確実
しかし、域内景気は明らかにまとまった幅の利下げを正当化しています。これはECBの注視する賃金動向からも主張可能です。12月18日、ECBは当面の域内賃金情勢を推し量る上で重要となる賃金トラッカーの統計利用を遂に開始しました:
これまでワーキングペーパー上での参考資料にとどまっていましたが、今後は政策理事会の翌週の水曜に定期更新されることになります:
重要ながら、速報性に問題のあった域内の妥結賃金統計を予想するための先行指標として今後、ECBウォッチで重要な役割を果たすことになります。カバー対象国はドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オランダ、オーストリア、ギリシャの7か国で、賃金トラッカーの2013~2024年の実績部分に関しては対象国の従業員の47.4%を捕捉できることになっています。
12月に公表された最新の賃金トラッカーによれば現在未発表の2024年10~12月期の妥結賃金は約5.4%で前期実績(5.42%、特に断らない限り全て前年比)からおおむね横ばいとなる公算です。しかし、さらに目線を先に伸ばした場合、2025年通年に関し、ヘッドラインとなるECB賃金トラッカー(一時金込み、均等化後)で約3.2%まで鈍化する見通しが示されています。
今年、賃金インフレの終息が確認できる…これがECBの見通しです。
ユーロ圏の生産性は大して伸びていない
賃金上昇率が3%程度まで落ち込めば、もはや平時とECBは考えるでしょう。理論的に考えれば「生産性上昇率1%+インフレ率2%=賃金上昇率3%」は穏当な想定だからです。
しかし、ユーロ圏(20か国、total economy)で見た労働生産性(≒時間当たり実質GDP)は+1%も伸びておらず、2024年7~9月期でようやく+0.5%程度、通年(1~9月)で均すとほぼ横ばいです:
とすれば、インフレ率が2%とした場合、賃金上昇率は生産性の伸びが抑制される分、さらに鈍化する可能性もあります。仮に鈍化しない場合、単位労働コスト(ULC)が高止まりすることになるため、域内全体ではスタグフレーションの色合いが濃くなります。上図を見れば分かるように、ユーロ圏の生産性は2010年前後から、すなわち欧州債務危機以降で趨勢的に伸びなくなっており、パンデミック以降はマイナスでの推移も常態化しています。リモートワークや時短勤務が増え、その分、しっかりアウトプットも減っているという状況が透けます。
日本の問題点を議論する際、「欧米では・・・」という枕詞が付きやすいですが、もはや欧米を同一視することは難しいと言えるでしょう。
域内企業の問題意識は既に「需要不足」へ
賃金・物価情勢の鈍化傾向は域内需要の減退を率直に反映した動きである。欧州委員会調査でも域内企業部門が抱える最大の問題意識は製造業、サービス業共にかつての「人手不足」から「需要不足」にシフトしつつあります:
1月6日に公表した経済報告(Economic Bulletin)でも、ECBは域内労働市場の異例の底堅さはもう今後は続かないと指摘しています。この点、賃金・物価情勢が「想定外に強い」という不安を抱え続けている米国と彼我の差はかなり大きいと言わざるを得ません。
問題は冒頭述べたように、こうした域内経済に合わせて政策金利を素直に下げ続けることが難しいという現状です。そうした政策運営を展開した場合、ユーロ安経由でインフレを輸入しかねないという問題が付きまといます。中立金利の下限と目される2.00%付近までの利下げを敢行した時点でユーロ/ドル相場がパリティ割れで定着している可能性は相当高く、史上最安値を更新している可能性すら透ける状況と言えます。通貨安経由のインフレを許容するほど、確実に賃金・物価情勢を現時点では抑え込めているわけではありませんので、利下げに二の足を踏む状況は理解できます。
しかし、ロシア・中国に依存してきたツケを払わされているドイツを中心として中立金利程度では十分な緩和と言えないでしょう。もちろん、ドイツの中立金利はもっと高い可能性もあるため、ECBが2%程度まで利下げすればそれでも助けにはなるのでしょう。しかし、それ以外の加盟国では財政出動という正攻法が封じられていることの影響が顕在化してくる懸念はやはりぬぐえないと思います。
為替(通貨安)が金利調節を難しくしてる先進国中銀として日銀は稀有な例と思われがちであり、それは事実ではありますが、ECBも似たような状況にはまっている可能性があることは気にしておきたい事実だと思います。