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決断して実現するチカラーだからなんなの?(中)

とても素晴らしいと言われている人や企業、すごいねと持て囃されている人や企業が、なにかでつまずいた。すると手のひらを返したように、徹底的に責め立てる。絨毯爆撃のように、大量の情報が飛び交う。良いと言われていたのにはこんなカラクリがあった、こんなおかしなことをしていた―いままで表に出ていなかったことを暴き出し、これがよくなかったからこうなった、あれでもないこれでもないと批判したり評論をする。現在、なにがおこっているのか?

「発信力」が喧伝されている

SNSという社会への情報発信の場ができて、一億総コメンテーターになった。社会への情報発信が「美学」になった。これはという話題が浮き上がってくると、次から次と、そのテーマに関する投稿が集中投下されて炎上する

生みだされたトレンド情報は、時々刻々と変わる。かつて「人の噂も七十五日」と言われたが、現在は3日も経てば、ほとんどの人はその話題を忘れる。世間の話題・トレンドは日々アップデートされ、情報はフローとなり、ストックとして残らない。このような絨毯爆撃のような情報発信で、なにかが変わるだろうか?

なにも変わらない


1  だからなんなの?と自問する

JAXAがH3ロケットに打ち上げに失敗した、またイプシロンSの燃焼試験が失敗した。これで世界の宇宙ビジネス・ロケットビジネスから遠去った、JAXAはなにをしているのだとネットなどで責め立てる人たちがいるが

だからなんなの?

自らが実行することは、他人に責め立てられて行うものでもない。自らの判断で、自らのタスクを決めて実行するものである。にもかかわらず、日本はこれに負けた、このランキングが落ちた、この大事な技術が世界に追い抜かれた

だから、日本はダメになった

というのが現代日本のトーンだが、だからなんなの?と自問したらいい

だからなんなの?とはなにか?あなたが言っているコトは理解できる。理解はできるけれども、それでなにかを実現できるのか?それでなにかを変えられるのか?それで実現できなかったり変えられないならば、それは言わなかったのと同じ。現実はダメだダメだ・あかんあかんと言うばかりで、「こうしたらいい」がないことが多い

だからなんなの?と自問する人は
私は私の道を行く人

私は私の道を行くという人は、誰かが何かいいことを言おうとも、誰かの話をなるほどと思っても、だからなんなの?と自問する

あなたの道を決めるのは、誰かではなく
あなたである

2   大事なのは、実現する・解決すること

あなたがある会社に勤めていて、あなたの上司に何かを命じられた。そのとき、だからなんなの?という返事をしたとすると、それは組織論的には

上司の命令に背くことになる

しかし上司や会社の命令がすべて正しいというわけではない。上司の言う通りをしたら、悪い結果となることがある。唯々諾々と命令に従って失敗した経験は枚挙にいとまがない

大切なのは、実現すること。上司の命令が間違っていると思ったら、自分が正しいと考える案を上司に提言して、あるべき方策を議論する。話し合って導いた結論を実行して、よい結果が出たら、組織的には上司が当初言ったことは言わなかったことになる。実現することが組織の目的である

上司のその命令で実現できるのか?と自問する人と自問しない人とでは大きな差となる。いままでやってきたことだから、そのやり方でする。現在はいままでではない。いままではそれでうまくいったが、現在、それでうまくいくとは限らない。そこで、質問する

それ、ほんまか?
それ、なんでや?

組織のみんなで話をして、こうちゃうか?という考えをまとめ、それで目標が達成するまで行動するのが正しいが、そうしない。上司の命令どおりにする。なぜなのか?

面倒くさいから

そしてかりに失敗しても、その失敗は上司の責任。自分は上司の命令に従っただけだ、自分には決定的な責任はないと考え、ほんまか?なんでや?と面倒くさくなり、質問しなくなり、「悪い失敗」が増えている

3 決めるチカラと実現するチカラ

あなたが商店街を歩いていると、八百屋さんから、「このパイナップルは、絶対に食べ頃だよ」と声をかけられた。あなたは「本当?じゃ、ちょっとにおいをかがせて」と、そのパイナップルを手にとった。「お兄さんがそこまで言ってくれるなら、買おうかな」と買った

八百屋さんの言葉に、あなたは納得して買って、家で食べたら、そのパイナップルは美味しくなかった。 そのとき、あなたはどう思うだろうか?

八百屋さんが嘘をついた

本当は、だからなんなの?である
八百屋さんが嘘をついたと責める気持ちはわかるが、だからなんなの?パイナップルを買うことを決めたのは、あなた。次は騙されないようにしないといけないと考えるのが正しい。失敗を「良い失敗」にすることで進歩する

騙されるというのは、結果論でしか追いかけられない。しかし世の中、騙されないようにすることは難しい。だから人の言うこと、社会で語られることに対して

だからなんなの?

と自問して、ほんまか?なんでや?と問いかける

たとえば池永のnote日経COMEMOを読んで、なるほどとは思うけど、「だからなんなの?」と自問する。それは、批判でも批評ではない。だからなんなの?というのは、池永の話は分かった、分かったけど、だからといって、それで何かが解決できるのか?実現できるのか?—それはできないと思うならば

自らが答えを考えて決める

その逆に、池永のいうことを、なるほどなぁ、その通りだな、それを信じて行動するという人は、パイナップルを買った人と同じ。買う買わないかは、あなたの決断。買ったあとの行動は、あなたの責任

誰かの話に、共感して、行動してみたけど、うまくいかなかった。誰かのせいではない。決めたのはあなた。問題は

それを決めたあなたの実現力

また、なにかに共感して納得してインスパイアされたものの、踏み出さない人が増えた。やろうと決断して踏み出すが、途中でやめてしまい、ゴールにたどりつかない人が増えた。大切なのは

行動を開始したならば
ゴールに達成しないといけないこと

それをしようと決断して、それを実現するのかしないのかは、誰かの責任ではない、あなたの責任。物事を決めるチカラと物事を実現するチカラが弱くなりだしているような気がする


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