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「Be open」ー【COMEMO KOLインタビュー】小田嶋Alex太輔さん

日経COMEMOのKOL(キーオピニオンリーダー)小田嶋Alex太輔さん。数々のスタートアップや大企業の事業部立ち上げに携わりながら、コミュニティビジネス「EDGEof(エッジオブ)」の共同代表も務めていらっしゃいます。オープンイノベーションの最先端にいらっしゃる小田嶋さんの活躍の背景にはどのようなルーツがあるのか、COMEMO部の棚橋と蛯原の2人が伺ってきました。

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小田嶋Alex太輔さんのプロフィール
事業立ち上げの専門家として、数々のスタートアップや大企業の事業部立ち上げに従事。現在は、株式会社EDGEofの共同代表として、日本のイノベーションエコシステムの国際化に邁進、20カ国以上の政府と様々な取り組みを進めている。J-Startup推薦委員。
COMEMO部……日経とnoteが共同運営するオンラインサロン「Nサロン」のメンバーで立ち上げた部活。COMEMO好きなメンバーが集まって、COMEMOを応援する活動をしている。



―(棚橋)日本語と英語とフランス語のトリリンガルでいらっしゃいますが、どんな学生生活を送られていたのですか?

僕はもともとは日本語だけで育っています。父が日本人で母がフランス人なので、耳はフランス語に触れていることはあったと思いますが、日本の普通の小学校に通っていました。

でも妹は幼稚園からフランス人学校に行ったんですよ。水曜日は午前中授業、土曜日は休み、夏休みは2ヶ月。「なんで僕だけたくさん学校に行かなくちゃいけないんだ」となって、親に「妹と同じ学校に行く」と言いました。

数ヶ月ほど家庭教師とフランス語を勉強してから、半年間フランスのかなり田舎の小学校に通ってバイリンガルの状態に。帰国して入ったフランス人学校には、30国籍くらいの子供たちが通っていて、休み時間にはドイツ語やスペイン語やアラビア語が飛び交うような環境でした。そこで高校3年生までを過ごして、卒業後はフランスの大学に行ってITの勉強をしました。

その後、帰国してフランス系の企業に入社したのですが、上司がシンガポール人で。仕事ではずっと英語を使っていたので、いつの間にか英語も話せるようになりました。

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―(棚橋)学生生活を終えられてからは、どのような形でビジネスをスタートされたのですか?

フランスの大学では最終学年の3学期目に企業でインターンシップをします。僕はゲーム会社に行きたくて、たどり着いたのがエッジオブ創業メンバーでもある水口哲也の会社でした。

日本でインターンシップをしたせいで卒業が10月くらいにずれ込んでしまい、新卒採用の波には乗れず、仕方なくやったのが街中に立って「Yahoo!BB」のモデムを配る仕事です。ソフトバンクとの初めての仕事は、この「ど末端」の仕事でした。

その後、フランス系企業に就職したのですが、面接で「うちはすべてUNIXでやってるけどできる?」と聞かれて「もちろんです」と、UNIXに触ったこともなかったのに言ってしまって。失敗もしましたが、日本語、英語、フランス語を話せてITもわかるのは僕だけでしたから、かなり重宝されました。

結局、この会社が買収されたことをきっかけに辞めるんですけど、僕はやっぱりゲーム業界に行きたくて。それがちょうどiPhoneが日本にくる直前のタイミング。そこで偶然、孫泰蔵とつながったんです。

そこからソフトバンクのいろいろなプロジェクトに巻き込まれていきました。

初期のiPhoneは全然人気がなくて「こんなもの売れるわけない」と言われるくらいの状況。売れない業界だから給料も高くないし、そうすると「システムもコンテンツもわかって、企画もできて、英語も話せて」なんていう人材は、ほぼ集まってこない。だからここでも、僕はかなり重宝されていました。

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―(棚橋)そこからエッジオブの創業メンバーはどのようにして集まったのですか?

震災の直後くらいから数年は、仕事で泰蔵さんと関わることはありませんでした。それが突然連絡がきて「VR関係の仕事をやっているので一緒にやろう」と。このときも、システムとコンテンツがわかって英語も話せる人が必要だと言われました。

そのとき泰蔵さんが出資していたVRの会社を作ったのが、水口さんだったんです。

そのつながりとはまったく別で、渋谷のかなりいい場所にあるビルの8階を使って「何か面白いことをやってよ」という話が僕のところにきていました。現在のエッジオブのビルなんですけど。これをやろうとしていたのが、ケン・マスイとトッド・ポーターです。最初は、アメリカのVR会社と一緒に何かやろうと動いていたのですが、直前のトラブルで話が流れてしまったんです。

不動産会社との契約は2週間後。実は、VRつながりでケンと水口さんは友達だった。泰蔵さんは水口さんの会社に出資している。それで、泰蔵さん、水口さん、ケン、トッド、僕の5人が初めて集まることになりました。


―(棚橋)エッジオブでの小田嶋さんの主な仕事の内容を教えてください。

僕は「立ち上げ屋さん」なので、エッジオブが立ち上がってケンがCEOになったら離れるつもりでした。

初めて5人が集まったとき、泰蔵さんが「1フロアじゃ面白くないけどビル全部使ってやるならいいよ」と言い出して。ものすごくクリエイティブな人たちの集まりなのでいろんなアイデアが飛び交って「2週間しかないけど本気でやろう」ということになりました。僕はその交渉や調整や準備で走り回っていて、最後の最後「お前もCEOになって責任をもて」と言われてしまい、共同代表ということになってしまったんです。

立ち上げ当初は何もかも僕がやっていました。契約、書類のチェック、入金、年末調整もやってました。防災法も勉強したし、食品衛生責任者の資格もとりました。最初のイベントの後片付けも、僕がやったんです。

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―(棚橋)エッジオブは世界のスタートアップや大使館とのつながりもどんどん広がっていますよね。

たまたまいろんな偶然で、スウェーデン国王夫妻に来ていただくことになって、そこから急に広がりました。

最初は大変だったんですけど、これをやり遂げたことで、いろいろな国の大使館の人に「エッジオブなら大丈夫でしょ」「対応できるでしょ」と思ってもらえるようになりました。

特に、僕がフランス語で全部説明ができるので、フランスの大臣とフランス人の起業家の意見交換などはやりやすいと思いますよ。しかも僕らは「場所」ももっていますし。そんなこともあって、いろんな大使館の人と仲良くなりました。今は20、30カ国ぐらいとやり取りをしています。


―(棚橋)私見卓見でオープンイノベーションについて言及されていますが、海外と日本の違いはなんですか?

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海外がすべて一緒なわけではないので、日本と海外という比較はちょっと難しいです。

オープンイノベーションが進んでいるフランスとの比較で言うなら、大企業側のスタンスが全然違います。スタートアップにちゃんと期待をしていて「スタートアップだからできること」を理解した上でプロジェクトを進めようとします。

日本の大企業は下請けとのやり取りに慣れすぎているところがあって、どうしても上からいっちゃうんですよね。お金を渡して「アイデアもってこい」みたいな感じに。逆にスタートアップも大企業に対して批判的だったりするんです。「大企業は遅い」とか「大企業は頭が固い」とか。実際に話してみるとそんなことはないはずなんです。

大企業側は「こういう生産ラインがある」「プロモーションやキャンペーンに大きな予算がとれる」など、どんな環境を提供できるかをしっかりと示さなくてはいけない。スタートアップも「うちはこの技術のこの部分に関しては世界一だ」と、フラットに話をする必要があります。


―(棚橋)日本がオープンイノベーションをうまく取り入れていくためにはどうすればいいですか?

日本の場合、新規事業をオープンイノベーションでやるのは難しいかもしれません。やっかみとかがあって調整やすり合わせが難しいんですよね。「どこの誰かもわからない会社にお金払って、しかも彼らが成功してうちよりいい商品作ったらどうするんだ」みたいなことが起きてしまう。

逆に、問題解決型のオープンイノベーションは日本に向いていると思います。例えば、歴史がある製造業をやってきた工場にAIを導入するにはどうすればいいか、とか。工場にAI部門を作るよりも、そういうことに特化したスタートアップと一緒に組んでやったほうが効率がいいし、現実的です。


―(棚橋)日本のイノベーションを良くしていくためにエッジオブとしてはどんな取り組みをしていきますか?

あらゆる意味で「オープン」になることを僕は重視しています。例えば「新しい発想を柔軟に取り入れる」「失敗に対して寛容になる」「新しい挑戦を応援する」など、オープンにならないとイノベーションは無理だと思っています。

自分一人が巨大になるのではなく、全体のプレイヤーの中でこの部分を安心して任せてもらえるという実力をちゃんともって、そういう人たちがオープンにつながっていく、そんな世界観になっていくと思います。

絵を描くときに使うパレットのように、赤とか青とかそれぞれの色がちゃんとあることが大事で、必要なときにちょっとずつ混ぜて新しい色を作っていくことができる状況がいいんです。全部一気に混ぜたら絵は描けません。混ぜるのは大事ですが、それぞれのコミュニティがしっかりとあることが重要なんです。僕らはその「ハブ」になりたいと思っています。

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小田嶋さんのご活躍の背景には、トリリンガルであることと同時にシステムやコンテンツがわかるということで「オンリーワン」の存在になれたことがあった、ということがわかりました。そしてそれ以上に感じたのは、小田嶋さんのとても魅力的なお人柄です。小田嶋さんのもとにたくさんの面白い人やプロジェクトが集まる理由を、終始笑いの絶えなかったこのインタビューを通して、私たちも納得することができました。これからのさらなるご活躍に注目したいと思います。