解像度は「原因と結果」「具体と抽象」を掴めば高まることを8355字で解説する
よく聞くビジネス用語「解像度」
「顧客の解像度を高めよう」「事業の解像度が低い」など、ビジネス界隈で「解像度」という言葉を聞く頻度が数年前から増えました。
そもそも液晶モニターや印刷物に対して使う単語なので、和田アキ子さんっぽく言えば「キャメラ」の話だと最初は勘違いしていました。
が、よくよく相手の話を聞くと「理解の深さ」の指摘を受けているのだな、と文脈から気付いたのです。
ちなみに「解像度」の意味を調べると、「表現の細かさ」と書かれていました。例えば「液晶モニターの解像度が高い」とは、面全体がより細かく表現されてクッキリ鮮やか美しい状態を意味します。
その意味が転じて、「ビジネス界隈における解像度」とは「全体を俯瞰して事象の細部をどれくらい描けるか?」が問われていると言えそうです。ヤクザ映画風に言えば「絵図」です。その表現が細かいほど理解が深い、すなわち解像度が高いということです。
「全体」と「細部」、相反する言葉が含まれるのがポイントです。
なぜなら、小(ミクロ)を積み重ねても大(マクロ)にはなりません。無数の小です。小は大を兼ねないのです。それと同じように、ある特定の箇所だけ表現が細やかになっても、それほど意味はありません。むしろバランスが悪くなるだけです。
例えば自社ビジネスのうち製造部門だけ高い解像度を誇っても「自社ビジネスの解像度が高い」とは言わないでしょう。調達は? 会計は? 営業は? 対顧客は? と感じますよね。
つまり、大(マクロ)が分かった上で、小(ミクロ)も分かるのが「解像度が高い」と言えます。
筆者はよく「顧客の解像度」を1枚の絵に例えます。顧客の解像度が高くない人は、顧客の左手は詳細に(それこそシワまで)描けるのですが、輪郭や右手は一筆書きの一本線、下半身は描くことすら出来ない。部分を詳細に描くのも、全体を俯瞰して描くのも、解像度が高いから出来ることです。
では、どうすれば全体を俯瞰し、細を描き出せるでしょうか?
筆者が意識しているのは「原因と結果」「具体と抽象」の2点です。もちろん他にも様々な手段はあると思いますが、わたしが経験したことのみ私は語れるので。今回はそれぞれを駆使して解像度を高める方法をまとめました。
「原因」と「結果」を把握する
デジタル化が浸透し、様々なデータを取得・管理できる基盤が整いました。マーケティングの場合、リアル・ECを横断した長期の購買履歴だけでなく、来店頻度、興味関心といった顧客に関するデータ、併買傾向や長期トレンドなど市場に関するデータなどを整備した会社は多いでしょう。
しかし、筆者も該当するので胸が痛いのですが、そうしたデータを活用して顧客の細部を理解できているかと言えば、ちょっと疑問符が付きます。
例えば、データからある消費者は「ホテルレストランに月1回行っている」「関東近郊のホテルの検索履歴が多い」と分かったとします。いずれも「事実」なので、顧客を理解するキッカケになります。
しかし「なぜ?」が欠けているので、劇的には理解が深まりません。顧客の細部が描き出せません。細部が欠落したまま「考察でカバーしようぜ」ノリが許されるのは「チェンソーマン」ぐらいです。
私たちの手元にある大半のデータを改めて見てみましょう。「結果」のデータばかりで、それを引き起こした「原因」を示すデータが思っているより少ないと思いませんか?
世の中のあらゆる事象は「原因」が引き起こした「結果」で構成されます。顧客も、事業も、原因と結果で溶接された「建築」であると筆者は考えています。したがって、原因と結果の骨組み構造をどこまで細かく理解しているかは「解像度」に直結します。
ちなみに、ホテルレストランに月1回行っている理由が「デートだから」では原因としては不十分です。分析に着手しても「なぜデートに、このホテルレストランを使うのか」が分からなくて、直ぐに行き詰まります。
日々仕事に追われているから夫婦で落ち着いて晩ご飯を食べる機会も無いけれど、月に1回は、ホテル独特の雰囲気の中、普段は食べられない色んな豪華メニューを少しずつ摘みながら、向かい合わせに座って時間を忘れて会話を楽しんで、腹も心も満たされるために「ホテルレストランに月1回行っている」と分かれば、解像度はかなり高まりませんか?
確かにデートではあるんですけど、実際に行っているのは「夫婦の絆のメンテナンス」です。雰囲気が良く落ち着いて話せる豪華メニューのホテルレストランなら、どこでも良いと分かります。
人間の場合、心が行動を生みます。心は原因、行動は結果です。心は見えないからデータとして集まり難い。だからこそ、原因に配慮してデータ分析しないと「この商品の売上が良い理由は、売上が良いから(No.1商品だから)です」みたいな小首を傾げる分析をしがちです。
事業の場合、工程が利益を生みます。工程は原因、利益は結果です。工程はスプレッドシートで表現し難いし、時間の経過を追えません。製造もB2Bマーケティングも工程だらけですから、原因を考慮してデータ分析しないと「この会社から受注できた理由は、ウェビナーに参加してくれたから」みたいな小首を傾げる分析をしがちです。
人間理解は「S-O-R理論」で捉える
特に人間を対象としたデータ分析は、原因と結果が見えないと、ほぼ100%めちゃくちゃ迷走して炎上します。
筆者は定量分析も定性分析もよく行いますが、心(原因)を抑えないで行動(結果)ばかり追うと、決まってクライアントからは「なんでこうなんですか?」と指摘を受けます。「絶対にそんなことしない」と口にしたくなる行動を目の当たりにすると、顧客のことが分からなくて、共感もできなくて、本当絶望的な気分になります。
例えば、旦那と子供のために、毎朝6時に起きてお弁当を作る人もいれば、冷凍食品だけを詰め込んだお弁当を冷蔵庫に入れて一晩かけて自然解凍させる人もいます。死にそうなほど辛い時、とことん悲しむ人もいれば、逆にケラケラと笑っている人もいます。
もちろん、同じ状況なのに違う反応を示すのが「人間らしさ」であり、原因に対して異なる結果だからこそ、1人1人の解像度を高める必要があると言えます。皆同じなら理解を深める必要ありませんものね。
ちなみに、心理学者のC.L.ハルは、「同一の刺激なのに、なぜ人それぞれ異なる反応を示すのか」という疑問に対し、Stimulus(刺激)- Organism(有機体)- Response(反応)それぞれの頭文字から構成されたS-O-R理論を提唱しました。
この理論のセンターピンは、中央のOrganism(有機体)すなわち「認識、感覚、意識、感性の集合体」にあります。人それぞれ「O」があるからこそ、同一の「刺激」に対して異なる「反応」を示すのです。図で考えると、よりクリアにもなるかもしれません。
SとOが原因、Rが結果と考えれば良いでしょう。中でも、Sはトリガー(客観)、Oはエモーション(主観)と区分できそうです。
マーケティングの世界では「消費者の態度変容を起こそう」「消費者のパーセプションを変化させよう」という掛け声があります。筆者の考えですが、実際に変えたい対象はOrganismです。Organismにインサイト(人を動かす隠れた心理)をぶっ刺して、Organismを変え、反応を変えるのです。
インサイトは態度変容を促すきっかけとなります。その意味において、インサイトは行動経済学で言うところのナッジでもあります。
ちなみに筆者は、顧客理解の要諦はOrganismの理解と考えています。どのような刺激に対してどのようなOrganismを示すか、その粒度と種類を知ればマーケティング(事業)に活かせるからです。
見えないものを見ようとする
原因と結果を紐づければ、事象(今起きている事柄)の細部がより詳細に描かれ、解像度が高まることは伝わったかと思います。
ところが、実際に原因と結果の紐付けを意識しながら解像度を高めようとすると、思った以上に大変だと気付きます。なぜなら1つ1つの事象が「私は原因です」「私は結果です」と答えを教えてくれないからです。加えて、そもそも全ての事象を発見できていない可能性があります。
ちょっとした例え話をご紹介します。あるA社は、以下4つの問題を抱えていました。いずれも社員へのインタビューから発見しており、役員・管理職も「なんとかしなければならない」と考えている問題です。
①売上が増えない
②会社の雰囲気が悪い
③競合にシェアを奪われている
④社員はとても忙しい
いずれも頭が痛いですね。本noteを読まれている皆さんも、身に覚えのある体験の1つや2つはあるでしょう。筆者なんか4つあります。が、あくまでこれは筆者には関係の無い、あるA社の問題だ!!
皆さんなら何から着手されるでしょう? このアンケートは筆者が講演に呼ばれた際によく提示しますが、①か②の解決を急ぐという声が多いです。
筆者なら「そもそも問題の解像度が低い」と言うでしょう。①〜④まで、どの問題も原因と結果で結べないからです。
先ほど、世の中のあらゆる事象は原因と結果で溶接された「建築」であり、原因と結果の骨組み構造をどこまで細かく理解しているか重要だと記載しました。①〜④だけでは、「建築」と言っても隙間だらけの藁葺き小屋も同然です。
つまり、原因と結果すら紐付かない4つの問題しか浮かんでいないなら、そもそも見えていない・気付いていない問題があるということです。(もちろんクソほど解像度が低いのです)
答え合わせをしましょう。事業と人をジッと観察した結果、さらに5つ問題を発見しました。合計9つの問題を原因と結果で紐付けると、ループが生まれました。まさに絵に描いたような負のループです。
原因と結果で解像度を高める場合、まず最初にやるべきは「私は何が見えていないか」「私は何を知らないか」と考え、事象を観察し、新たな事実を掴んでから、原因と結果で紐付けることです。そもそも解像度が低いのに、その範囲内の事象なんて知れています。
もう、これ以上は原因も結果も紐付かない…と言い切れるレベルまで事象を発券し続ければ、その結果は「解像度が高い」と言えるでしょう。
「具体」と「抽象」を使いこなす
解像度の解説をすると、決まって「細部を描くために、事象をとことん具体に把握すれば良いのか?」と聞かれます。確かにそうなのですが、人生において具体であることほど下らないものはありません。(理由は後述します)
具体は「目に見える実体で分かり易い」、対義語である抽象は「目に見えない概念で分かり難い」というイメージがあります。抽象的な表現・発言は悪であり、具体的な表現・発言こそ正義と考えている人は多い。
しかし、具体とは時に邪魔で、思考に制約を課します。細谷さんの書籍から引用します。
「具体」に語ろうとするほど、内容は詳細になりますが、言葉が尽くされ説明が多くなります。近視眼的になると言っても良いでしょう。
商談終わりに「会議室、片付けて貰っていい?」と声をかけて「えっ? 具体的な指示を下さい! 机の上は拭きますか? 水拭きですか、乾拭きですか? 椅子の位置はどうしますか? ゴミ箱の中身はどうしますか? アルコール消毒の範囲はどこまでにしますか?」と反論されたら、さすがに面食らいますよね。
抽象的な「片付ける」という表現が、具体的に何を指すのか確認したい気持ちは分かるのですが、「それぐらいは自分で考えてよ」という言葉を飲み込めるか否かが令和の上司の境目なのかもしれません。
具体の弊害とは、具体な内容をアレンジして横展開したり、応用して気を利かせたり、「言われていないこと」をできなくなる点にあります。筆者は具体ばかり求める人を「思考停止症候群」と勝手に呼んでいます。(これが人生において下らない理由です)
例えばタピオカが流行ると、ネコも杓子もタピオカ。「御社のメニューに必要ですか?」という店舗までタピオカ。表面だけ真似ても意味無いんですけどね…。これも思考停止症候群の一種です。
かと言って、抽象だけで話す上司ははっきり言って面倒です。「この営業資料、顧客目線じゃないと俺は思うんだ。修正しておいて」と声をかけられたら指示が概念的過ぎて「えっ? 具体的な指示を下さい!」と反論するでしょう。
「会議室の片付け」と「営業資料の修正」の違いは、概念的かつ抽象的な表現が意味する「具体的な行動」がイメージできるているか否かです。片付けは「具体に細かく説明しなくても大体分かるよね?」と皆さんも思うでしょうが、修正は「顧客目線って何ですか?」と皆さんも思うでしょう。
抽象の弊害とは、するべき行動を何も言っていない点にあります。抽象的な表現は全て概念に過ぎず、何をどうするか言及していません。「検討する」も「検討を加速する」も口だけでは何とでも言えます。筆者は抽象ばかり表現する人を「アバウト症候群」と勝手に呼んでいます。
すなわち、抽象でありつつ具体である思考こそ望ましいのです。どちらかではなく両方必要なのです。抽象と具体が紐付いていることがベスト。
具体から概念を抜き出し、抽象な表現に置き換える。そして、別の具体に当てはめる。具体→抽象→具体と行き来することで、抽象が何を語れるか、具体はどこまで当てはまるかが分かります。
冒頭、大(マクロ)が分かった上で小(ミクロ)も分かるのが「解像度が高い」と言いましたが、言い換えると抽象(マクロ)が分かった上で具体(ミクロ)も分かるのが「解像度が高い」のです。
マクドナルドと丸亀製麺
筆者の休日は、マクドナルドを食べる機会が多いです。フアンです。
ある日も、自転車を漕いで店舗に向かっていたのですが、視界に「うどん」の看板が映り込むと、なぜかハンドルを「うどん」店に切り替えてしまいました。(その店の味が気に食わなくて翌日に丸亀製麺行ったぐらい)
マクドナルドの口だったのに、どうして筆者はうどんにしたのか。理屈に合わない非論理行動ですが、これも具体と抽象を考えれば説明できます。
筆者からすれば、マクドナルドも、丸亀製麺も、ジャンクフードの一種なのです。熱々の釜玉うどんに、親の仇ぐらいにネギと揚げ玉を載せて、グチャグチャに混ぜた後に一気に書き込む。最&高です。
筆者はマクドナルドを食べたかったけど、ジャンクフードを食べたかったのです。だから、丸亀製麺に切り替えられたのです。
ジャンクフードとは「栄養価のバランスを著しく欠いた調理済み食品」の意味であり、極めて抽象度は高い。目には見えない概念であり、ジャンクフードという食べ物自体はありません。一見無関係に思えたマクドナルドと丸亀製麺は、ジャンクフードという抽象によって結節されたのです。
具体と抽象を使いこなすには、①具体を端的に表現した抽象な言葉を考え、②思いもよらぬ具体に紐付けて語ることが一番です。
これが1番上手いのは言葉を使う仕事です。例えば、お笑い芸人さん。ジミー大西さんに愛想を尽かした萩本欽一さんは「天然だった」(計算し尽くされたボケ=養殖と比較して)と切り捨てて以降、独自の思考や独特の間を持つ人を「天然」と評するようになりました。
他にも、必要以上に主張したりプレッシャーを出したりする人に向けて「圧がすごい」と評した東野幸治さん、落ち込んだ気分を色に例えて「ブルー」と評した松本人志さんなど、事例は多数存在します。
抽象でありながら具体がイメージできる言葉が生み出せるなら、対象への解像度が極めて高いと言えるでしょう。
女性ばかりが集まる居酒屋飲み会を「女子会」と表現した人も、いわゆるB級品を「訳あり商品」と表現した人も、エイジレスビューティーの女性(年齢を感じさせない若さを保っている大人の女性)を「美魔女」と表現した人も天才です。
消費者を動かす「インサイト」も、抽象でありながら具体です。人が思わず「そうそう!」と口にするインサイトを生み出すには、具体である私が含まれると感じる抽象を描かなければいけません。
見えないものを見ようとするパート2
先ほど、9つの問題を抱えているA社の話をしました。最初は4つの問題しか見えていなかったのですが、分かる人は現場を見ていなくても「絶対これだけじゃないよ笑」と口を揃えます。
何故なら、これまで体験した修羅場を元に「やべぇ会社が抱える問題」が抽象化され、知識として蓄積されているからです。「具体と抽象を行ったり来たりする思考回路」を持っていると、抽象化された知識にA社の実情を照らして「絶対これだけじゃない笑」と言うのも当然です。
人間も組織も違うのに、過去似たような現場に遭遇しているのも不思議な話ですが、人間は具体に見れば違っても、抽象に見れば同じなんでしょう。
すなわち、例えば事業に対する解像度が高くなり、知見も経験も豊富だと、幾つかの具体を見ただけで、自分の抽象に照らし合わせて、まるで見てきたように「あそこはこうなんじゃない?」「どこそこはああなんじゃない?」と具体を指摘できるようになります。魔法かよ。
具体的に分かっていることが解像度が高いのでは無く、具体と抽象を行き来して共通点・類似点・相違点を見つけ出せることが解像度が高いのです。筆者はこれを「水平思考」と呼んでいます。以前には、こんなnoteを書きました。
話が少し横に逸れますが、解像度の高い問題解決は常に具体と抽象を行き来します。逆に「新規取引先から見積金額が高いと言われたので10%値下げしたい」「顧客のニーズが見えていないので対応を強化したい」なんて解決したとは言えません。
このnoteのまとめ
「解像度の高め方」については経営者・事業責任者・VCほど一家言持っている場合が多く、あくまで「私はこうしてるよ〜」って内容を書いただけで、誰かの手法を否定するものではありません。Twitterで叩かないで…。
「原因と結果」「具体と抽象」はニコイチだと考えます。
結果から原因を推測する、見えない事象を観察するには、具体と抽象を行き来する必要があります。抽象でありながら具体をイメージするには、事象の原因と結果を完全に把握する必要があります。
両方を使いこなせば、自然と「解像度」は高まる…というのが筆者の意見です。
筆者は近著で「データ分析は、どのように解くかではなく、何を解くか考える方が大変」「何を解くかは原因と結果、具体と抽象を使って事象の解像度を高めよ」と書いたのですが、もし良かったらこちらもご覧ください。