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「できもしないことを目標として掲げる」のは政治ではない

超党派の「人口減少時代を乗り切る戦略を考える議員連盟」のメンバーらは14日、衆参両院に人口問題を専門に議論する特別委員会を設置することを求めた。らしい。

正直「やっとかよ」という話だが、それでも「人口減少を前提とした政策や社会の在り方について議論する委員会」が立ち上がることは前進。

いつまでもできもしない少子化対策なんか言ってないで、人口も出生も減る前提の国家運営プランこそが必要。超党派であることもいい。与党と野党の対立軸にしていたらこの問題は本質的な議論にならない。

とはいえ、この議連の提言書に「人口減少問題は国家の存立を揺るがす『静かなる有事』であり」という言葉があるのが「本当にわかっているのかな?本当にやる気あるのかな?」という疑念を持つ。
有事などという言葉をあえて使う必要はない。そもそも人口減少は有事でも緊急事態でも何でもない。「有事」とかいうとまるで人間がどうにかすればなんとかなるみたいな印象があるが、。どうにもならない。人口減少社会は「確実に到来する未来の日常」でしかない。

「有事」のような恐怖言葉を使って煽るのは、PVを稼ぎたいだけのメディアや本を売りたいだけのどこぞの誰かやカルト宗教のインチキ教祖だけにしとけ。政治家がそんな言葉を使うべきではない。

人口減少社会は、不可避で確実にやってくる未来であるからこそ、それを平時として対応できるよう整えるのが政治の役割であろう。

それと、「人口減少を前提にした」という言葉を単に枕詞だけに使って、中身はまた「できもしないことをさもできるかのように誤認させて、自分らが政治家を引退するまで先送りにする」みたいな内容では困るのだ。

例としてあげて申し訳ないが、滋賀県の「人口減少を見据えた未来へと幸せが続く滋賀 総合戦略」なるものがあるが、この内容は枕詞だけであって、内容は「出生率1.8にする」などとできもしないことを掲げているので「やってる感を出してる」だけに過ぎない。

https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/kenseiunei/kousou/307832.html

そもそも「人口減少前提の運営プラン」は国家レベルのプロジェクトでなければ成立しないので、地方自治体が単独でやれるものでもない。

そういう意味では、本来「人口減少前提の国家プラン」を始動するのは、遅くとも2014年頃だったと思う。しかし、やったのは「地方創生」などというわけのわからん政策である。

大体、人口減少や大都市への若者流出が最近始まったものではない。地方の過疎化だって随分前から当然予測されていた話だ。にもかかわらず、あの時点で何の効果もないだろう「地方創生」などを始めたことからして的外れなのである。結局、10年やって何の効果も出せていないことはみんなが承知していることだろう。

2014年以前と2015年以降とでは、大きく変わったのは、中間層の若者か結婚できなくなったことである。明らかに「結婚できる収入層」と「できない収入層」の格差が明確になった。結局、人口ボリュームの多い中間層の婚姻減がそのまま少子化につながっている。

そして、この10年間(本来、少子化対策は第三次ベビーブームが起きるはずの2000年頃にやっておくべきだったが)の遅れが、「一人以上出産した女性の数=母親の数」の60%減という「少母化」を招いてしまい、これはもはや取返しがつかない状況になった(出産は年齢制限があるから)。


やるべきことをやるべきタイミングでやる。このタイミングが非常に重要で、「機を逸したら元も子もない」のである。

人口減少の前提とする国家運営プランとは、当然「町を終わらせる」ことも必要になる。趣味で「ぽつんと一軒家」に住むことは否定しないが、どんどん住民が減り、空き家が増える過疎地域に、十分やインフラを整備し続けることは現実的不可能だからだ。

その意味で「おらが町の子育て支援は充実しているからおいで」みたいな人口の奪い合いみたいな自治体の政策も不毛である。どこの町が多少増えようが関係ない。全体が減るんだから。

「人口減少を前提とする」のは生易しいことではないし、耳触りも悪い。そもそも痛みも伴う。
しかし、現実的には、これからの50年間は少子化以上に多死化で人口は減る。これからの50年間だけで8000万人以上の日本人が死にます。人間必ず死ぬので仕方のないこと。

この多死時代と同時に訪れるのは高齢者40%社会であり、もはや高齢者は若い人に支えられる存在ではなく、子ども含む若い人たちを支える側にならないと立ち行かない時代であることを意味する。

以前も書いたように介護も崩壊します。

いや、もう老々介護の現場ではいろいろ崩壊していることでしょう。今後もこういう悲劇が繰り返されます。

高福祉高負担社会も成り立たなくなります。人口の40%の高齢者を支える社会福祉制度などやったら高齢者の前に現役世代が死んでしまうでしょう。

この日本に1.2億人の人口があることがまず異常なんです。にもかかわらず、その「異常な人口規模を前提として、人口増加を前提とした数々の制度や仕組みはもう通用しない」のです。

いわば、明治以降以上に膨れ上がった人口増加社会こそが「100年の異常時代」であって、これからの100年は「異常から正常に戻るための一番つらい時期」になるわけです。


ネガティブなことばかり言うんじゃないといわれそうですが、ネガティブもポジティブもないんです。確実に来る現実です。
確実に来る現実をずっと「ないもの」と隠蔽し続けてきたのが「失われた30年」だったのではないでしょうか?

そういう現実を、票田としての高齢者に対して、本当に政治家が言えるのかどうか、が問われます。

ま、言えないでしょうけど。

そして、何より「人口減少を前提」として考えるならば、多すぎる国会議員や地方議員含めた議員定数の削減もやるべきでしょう。むしろ、出生数が10%減したら自動的に10%の議員が強制失職するような仕組みを作ってもいい。それくらい政治家の直接的利害にかかわらなければいつまでも真剣に考えない。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。