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EVが今後「再発明」する「三つの空間」について


先日、東京都のEV補助金が拡充されました。

太陽光発電とセットにすることでカーボンニュートラルと電力需給逼迫解消の両取り作戦で、流石に東京は体力があるなと、基本、国からの補助金しか受け取れない地方民の僕は羨ましくなります(僕の居住地もあるんですが、EV単体では自治体の補助金は受け取れない仕様でした)

こうした国や自治体の積極的なEVシフトへの動きを受けて、ついに日本でもEV元年らしい国内産EVのヒットが出てきました。日産のサクラがかなり好調な滑り出しを見せています。

ここ数年、国内のEV市場が年間約2万台だった状況に対して、サクラはたった3週間で年間の半分の受注を受けたということです。

この大ヒットは、おそらくある程度予測できたことでした。アメリカや中国でもプレミアカーの市場は既にテスラや欧州、中国などが押さえ切ってしまってて、僕自身がEV購入を検討した時期にはテスラ一択のような状況だったのですが、軽EVに関してはまだ市場自体が形成され始めた状況と言えます。その状況で、国内でのカーボンニュートラル志向、世界的なEVシフト、さらには補助金の拡充などもあって、軽EVはかなりお買い得な印象を受けます。実際、若いご家族などが子どもさんを乗せて買い物や週末の近場のお出かけをするのに、軽EVはバッチリハマることになるでしょう。おそらく来年以降、各社はしのぎを削ってこの分野での覇権を争うことになるだろうことが予想されます。

余談ですが、日本は動き出しは遅いくせに、動き出すと一気に国の方向がそっちにいく国民性なのは、ワクチン接種でもそうでしたね。あの時も、出足は欧米に遠く及ばなかったのに、そこから国主導で一気に70%くらいまで接種率を引き上げていったのだけど、それが成せるのも国民性がそうだからかもしれませんね。なのでEVも似たようなことになるだろうと思ってます。

さて、このように2022年6月後半のEVをめぐる状況は目まぐるしく変わり始めていますが、僕の方では半月ほどテスラに乗って、色々とまた気づくことがありました。先日、1週間目までのインプレッションを記事にしたこの文章はたくさんの方に読んでいただけました。ありがとうございました。

今年僕が書いたnoteでの記事の中で、既にもう2022年は半年経っている現状でも三番目に多くの方に読んでいただけたようです。EVへの注目度の高さが窺われますね。

この記事の中で僕は、「EVは自動車の皮をかぶった別の何か」という話を3つの観点から書いたのですが、中でも特に僕が伝えたかったのは「可処分時間」について書いたセクションでした。そこがこれまでの車とは違う、EVの新たな可能性に思ったのです。

先日の記事では、完全自動運転が達成された暁には、19世紀の産業革命以来、あるいは1990年台のインターネット開通以来の巨大な変革が人類に起こるだろうという話をしました。ただ、そのような劇的な特異点が訪れる前にも、モビリティにまつわる「時間」と「空間」の扱い方が、この数年で変わっていくだろうという予感を、EV乗って2週間ちょっとでひしひしとしております。今日は、先日よりももう少し目の前の変化の予兆について書いてみたいと思います。一言で結論をまとめるならば、その変化とは「空間の再発明」とでも呼べるものです。

(1)車内空間の再発明

僕の乗っているEVはテスラ社のモデル3という、まさにEVシフトの世界的象徴のような車なのですが、よく言われることは、その空間のミニマリズム的なシンプルさです。インテリアをまとめた、日本のテスラユーザーみんながお世話になっているテスカスさんのレポートをここでは参照させてください。

そのビジュアルインパクトは巨大で、メカメカしさはほとんどなく、この空間でくつろいでくれとでも言わんばかりのゆったり設計になっています。

これらのビジュアルインパクトももちろん「車内空間の再発明」と十分に呼びうると思うのですが、それ以上に個人的に強烈だったのは、エアコンをいつでもつけることが可能であるという、電気を使うEVならではの基本的な部分でした。例えばテスラの場合は、どの車もスマートフォン上から離れたところにある車のクーラを事前につけておく、なんてこともできます。

今ではもう、このような基本的な機能は改めて書くほどのことでもないのですが、自分がEVのオーナーになって、「日常使い」としてEVに乗る毎日を始めた時に、次第にこれまでの内燃機関のあるガソリン車との大きな断絶を感じたのが、まさにこの部分でした。ガソリン車だと、エンジンを回しておかなけばエアコンはつけられない、これまで当然と思っていた前提がなくなったのです。

この結果、これまでガソリン車に乗って、例えば真夏にPAなどで眠る時にクーラーをつけておくことに対する、一種の「罪悪感」のようなものから無縁になりました。この罪悪感、通じますかね。なんとなくずっと僕は感じてたことの一つなんです。移動をすることを宿命づけられた車において、エンジンを回しながら、止まってエアコンだけかけていくって、妙な居心地の悪さというか、なんとなく車に悪いような気がしてたんです。ところが、EVにおいてはクーラーに使うエネルギーも、タイヤを回すエネルギーも、単純に「使い方の違い」だけです。そのシンプルさはわかっていたのですが、実際に体験すると衝撃的でした。というのは、そこには「車内空間の意味性」を変容しうる可能性があると感じたからです。

というのも、エンジンを回さなくてもエネルギーを使うことができるという、このエネルギー配分の効率の良さはエアコンから感じたことなんですが、それは何もエアコンに限ったことではなく、車内空間にエネルギーを直接使うことができるのがEVの特徴だということです。その特徴は、EVの車内空間を、「タイヤを回さないでも使える空間」として変容させるんです。このことの持つ可能性ってすごいですよ、だって「自分のプライベート空間を電力供給付きでどこにでも持っていける」ということに他ならないから。例えば星の綺麗なところにカップルで行って、クーラーで涼みながら、ちょっとおしゃなジャズをかけつつ、ガラスルーフから夜空を見上げるなんてことも可能です。実にロマンティックですね。

あるいはご家族での買い物中、小さい子どもさんと一緒に車でお母さんの夕ご飯の買い物を待つなんて経験がある方も多いかと思います。そんな待ち時間もYoutubeやNetflixがあれば本当に楽しい時間になりますし、場合によってはゲームさえできちゃいます。次のテスラ モデルSはPS5並の処理速度で、大型タイトルさえ遊べちゃうらしいですから、ちょっと「エンターティメント」のレベルが段違いですね。

遊びだけじゃありません、例えばうまく机さえ作ってしまえば、EVだけでワーケーションやリモートワークも可能になるでしょう。いずれすべてのEVは、スマートフォンと統合され、車単体で5Gの帯域を使えるようになるでしょうから、そうなった場合、この「車内空間」は「社内空間」にさえ変容するかも知れません。テスラ用の外部パーツを数多く販売しているJOWUAにこんな商品ありますし。

このように、電気の配分を効率よくその車内空間に再配分できるというEVの特性を最大限活かすことによって、「新たなプライベート空間」としてのEVの魅力が浮き上がってくるんです。まさに「車内空間の再発明」と言えるでしょう。

(2)車外空間の再発明

先日書いた記事で「EVは写真のついた電池と考えるべき」と書きました。ここまで書いた「車内空間の再発明」とは、まさにその「電池としての性能」の先に生まれた空間なんですが、実はそのその可能性は単に車内で止まるものでないことは、皆さんお分かりですよね。残念ながら僕の所有するモデル3にはその機能はありませんが、例えばホンダのhond Eや韓国の世界的大ヒットEVであるIoniq5には、V2LやV2Hといった、搭載している充電池をAC100Vの電源として外部に給電できる機能が備わっています。それらを「野外に持ち運べる移動式の巨大な電池」と考えると、車外空間を今度は簡単に「電動化」できるというわけです。つまり、EVを車として考えるのではなく、「動く電池」として考えるわけです。

ここにはさまざまなアクティビティの可能性が思いつきますよね。例えばキャンプやグランピングとの親和性なんて百点満点でしょうし、いずれはEVを使って野外ライブなんてことも可能になるかもしれません。車自体に使うエネルギーと比べたら、ライブで使う電力なんてちょろいもんでしょう(多分)。¥

そう、車内が「持ち運べるプライベート空間」として再発明され得るのだとすれば、EVが巨大な電池であると考えるならば、それは「持ち運べる巨大な電池」であって、その先には「車外空間の再発明」という道も、同じくらいこれから明確に切り拓かれる可能性になってきます。

(3)情報空間の再発明

車内にせよ車外にせよ、空間の可処分性を大きく変える可能性のあるEVですが、物理的な空間だけではなく、目に見えない空間での移動にも大きな変容を引き起こすでしょう。つまり、情報空間です。「移動にまつわって発生するデータ」の全てが集約されていることが、今後「移動」や「モビリティ」と言うレイヤーにさらなるスケーラビリティをもたらすことになります。先に少し書きましたが、今後のEVは全て緊密にサーバーと情報をやり取りし続けるコネクテッドカーとしてデザインされるはずです。テスラの各車両がそうであるように、OTA(Over the Air)で内部のソフトウェアを書き換えることで、買った当初とは別物の車に仕立て上げるような、そういう方向性がEVには望まれているからです。そしてコネクティッドカーであると言うことは、情報が全て集約的に、そのベンダーである会社に吸い上げられると言うことを意味します。

単純に想像するだけで、今までGoogle、Apple、Yahooなどの巨大IT企業が一元的かつ独占的に占有してきた人の移動に関するビッグデータが、直接テスラであったり、トヨタであったりという会社にもたらされるわけです。それによって可能になる経済的な領域の広さは、もはや僕には想像さえできないほど未来に向けての大きな「空間の再発明」ですが、気をつけねばならないことは、情報空間に関する再発明は、個人情報の搾取や情報統制と表裏一体でもあると言うことです。

かつて日本は、iPhoneを単なる「音楽の聴ける使いづらい電話」であると見做し、「iPhoneがなくてもプラダフォーンがある」とNTTドコモの社長は言い放ちました。

後年、iPhoneをはじめとするすべてのスマートフォンが目指していたのは、それらがビッグデータを集約するための情報端末であり、スマートフォンを中心にした、「一度入れば抜け出せないエコシステム」を構築するための、未来を見越した一手だったことを我々は知ることになります。当時からそれを見抜いていた人たちもいたのでしょうが、日本の経営者のほとんどはそれを見過ごして、結果として2010年代の変革の時代をアメリカの後塵を拝することになりました。

これと同じことが、確実にEVで起こります。EVは単なる自動車ではなく、産業革命以来の人類進歩の鍵である「可処分性増大」の使命を前に進める存在の一つです。スマホで起きたことが車で起きます。だから、今度こそちゃんと向き合って、2020年代の後半頃に「テスラを笑ってたのはダメだったね」ってならないようにしてほしいのです。

あ、あとひとつ。情報空間ってなると、やはりもう一つ懸念が出てきますね。軍事的な部分です。「動く車」が、オンラインで統御できるようになった時、さて、ある日その車の統御システムがOTAで敵対的にすべて書き換えられたとしたら?あれ、どこかでこういう話、何度も見てますよね…


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はい、と言うことで、今後様々なレイヤーにおけるモビリティ空間の「再発明」が、EVの普及と共に進んでいくことになります。これに関してはもはや既定路線のような形で世界が動いている以上、それを見ないふりはできません。少しずつ経験と知見を蓄積して行きたいなと思っております。日経Comemoでも継続的にこの観点は追っていこうと思っております。あくまで文学研究者目線ですけれど…

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