「兼業・副業の自由」と「職業選択の自由」について考えてみる
これまで何度も書いてきましたが、兼業・副業は、原則として労働者の自由であり、これを禁止することは原則としてできないというのが、裁判例、学説、厚労省で一致した考え方です(以下もご参考ください)。
その理由として、一般的には、①労働者は労働契約で定められた労働時間のみ拘束を受け、それ以外の時間は自由である」という私生活の自由があること、②労働者には憲法上「職業選択の自由」が保障されていること、の2点が挙げられますが、実は裁判所が職業選択の自由に触れた例はあまりなかったりと、「原則自由である」という根拠をよく調べてみると面白い議論があります。
そこで、今回は、兼業・副業が原則として自由であることの根拠と職業選択の自由について書いていきます。
学説は①私生活の自由と②職業選択の自由を理由としている
労働法の先生達が、兼業・副業が原則として自由であることの根拠として何を挙げているか見てみましょう。
色々書籍はあるのですが、参考になるのは、「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会 報告書」(厚生労働省・平成17年9月15日)の以下の記述でしょう(数字は私が付けたものです)。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/09/dl/s0915-4d.pdf
上記のうち③は、現実的な必要性というところですので、理屈上の根拠は、①と②になってきます。
すなわち、①私生活上の自由と②職業選択の自由を、兼業・副業が原則として自由であることの根拠としています。
厚労省は①私生活上の自由を根拠としている
では、厚生労働省は何を根拠としているでしょうか。
副業・兼業ガイドラインでは、以下のとおり書かれています。
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/000962665.pdf
この記述からすれば、厚労省は、①私生活の自由を根拠とし、②職業選択の自由については触れていません。
そもそも、上記の労働契約法制の在り方研究会では、兼業・副業の原則自由について明文化することも考えらえていましたが、結局この点に何らの規定もおかれなかったので、厚労省としては独自の解釈権限を持たないのではないかと思います。
そのため、厚労省は「裁判例では…」として、裁判例の考え方を整理した形にしているのかもしれません。
裁判例でも職業選択の自由に触れるものは少ない
じゃあ裁判例はどうかというと、私が調べたところ、実は職業選択の自由に直接言及しているものはあまり多くはないです。
兼業・副業の禁止が問題となった事例はいくつもありますが、有名なところをみると、まず昭和57年の裁判例である小川建設事件では、次のとおり判示されています。
その後、平成24年に出されたマンナ運輸事件では、次のとおり判示しています。
他の裁判例でも、概ねこのような判示がされることが多く、一般的には、①私生活の自由を根拠としているといえるでしょう。
他方で、職業選択の自由に言及した裁判例もないわけではないです。
昭和43年に出された広栄事件では、職業選択の自由に言及しつつ、兼業・副業の許可制度を定める就業規則が公序良俗に違反するとしています。
今の裁判例では、許可制度は有効と考えられているのですが、職業選択の自由に言及した裁判例として参照できます。
考えてみれば「職業選択の自由」という憲法論を持ちだすまでもなく原則自由のはず
上記の広栄事件では職業選択の自由に触れていますが、その他の裁判例で職業選択の自由に触れているものは見当たりません(あれば教えてください)。
裁判所がどのような判断をするかは、当事者の主張立証にもよるのですが、考えてみると、兼業・副業の自由の根拠としてそもそも憲法上の根拠を示す必要性も乏しいように思います。
そもそも労働者が指揮命令のもとで拘束を受けるのは、「社会人だから当たり前だ」というわけではなく「労働契約を結んでいるから」です。つまり、そういう契約をしているからです。
したがって、「そういう契約」が及ばない私生活を、勉強しようが、筋トレをしようが、ゲームをして過ごそうが、他の仕事をしようが、どのように過ごすかは本来自由なのです。
こうした契約による拘束という考え方は、労働が一日の大半を占めているので、あまり意識されていないのかもしれません。
未だ「兼業・副業は会社が禁止できる」と考えている人も多いと思いますが、兼業・副業が自由であることは、考えてみると当たり前のように思います(もちろんそれでも例外はあるのですが)。
※一言
カブトムシのメスが逝去しました。虫かごを見ると卵がありましたので、大事に育てます。その子のパパは今もゼリーをムシャムシャ食べています。