ワーママのカーブカット効果 (前編) ⅰ.ゲリラ期〜ⅱ.共感期
こんにちは、ナラティブベースのハルです。今日はずっと書きたかったワーママ(※)から社会へ波及する 働き方における『カーブカット効果』について書きたいと思います。波及の流れを大きく4ステップに分けて前・後編でお届けします。ワーママ問題が対岸の火事、奥さんの問題だったという方も、ここ数年の働き方の大きな変化から大局的な流れを捉えると未来の見え方も変わってくるかも?!しれません。ぜひ、少しの時間お付き合いください。
(※)ワーママ=働きながら子育てするお母さん=ワーキングマザーの略。(死語になることを願いつつあえて社会問題としてこの言葉を使用します。)
「カーブカット効果」とは?
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、まず「カーブカット効果」とは何か?について簡単にお話したいと思います。「カーブカット効果」は、去年日本で書籍化されたスタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビューの論文集『これからの「社会の変え方」を、探しにいこう。』の中に収録された論文の1つのタイトルとなった言葉です。マイノリティにむけた施策が社会全体のメリットに波及するような効果を生むことを意味します。
この論文で紹介しているのは、1970年代にカルフォルニア州バークレーで障害者の権利を主張する市民が、ゲリラ的に歩道の縁石にセメントを流し込み即席でつくったスロープが、障害者の地域コミュ二ティを生み、スロープ施策を全米へと広げ、その結果、ベビーカーを押す人、台車を運ぶ人、スーツケースを持つ人、ランナー、スケートボーダーなど、当初想定のなかった大多数の市民が恩恵を受けることになり、社会全体のメリットへとつながったという事例です。このゲリラ行動の産物=カーブカット・スロープが波及効果を上げていったことから「カーブカット効果」と名付けられました。
わたしがこの「カーブカット効果」に注目する理由は、この考え方が、社会問題を解決するための行動について、「手段」からでも「ゴール」からでもなく、「ストーリー」(流れ)から考えるためのヒントだからです。「これがこうつながって、こうなっていくよね、で結局のところ、こうなるじゃん!」という紙芝居のような思考は、ドミノ倒しのように「最初の一手は小さくてよいこと」を指し示してくれています。気の遠くなりそうな社会問題を目の前に、はじまりは雑に固めたコンクリートの塊(かたまり)でよいなんて、なんて心強んだろうと!
今回は、ワーママに特化した「働き方」の負の解消が将来において社会全体の働き方や価値観を変え「カーブカット効果」を生むことについて、以下の4ステップに分けて考えてみたいと思います。
終わらないマイノリティ扱い
日本のワーママは、一般的に社会や家庭の慣習から子育ての中心的な役割を担いつつ、職場ではいつ離職するかわからないという理由で主要なポジションや報酬を得づらいマイノリティとしての扱われるという過酷な状況が続いてきました。職場に「家庭よりも仕事を優先する働き方を評価するカルチャー」が根付いていると、男性側も育児に積極的に関われず益々女性の負担が大きくなるという負のループの側面もあります。
毎年、性別の違いで生じている格差や観念により生み出された不平等のことを指すジェンダーギャップ指数が発表されるたびに、ため息をつく方も多いでしょう。最新の2021年の調査では、日本は153カ国中120位でした。時代と共に家庭や職場も少しずつ変わっているものの日本の停滞は長く、他国から大きく引き離されているのです。
賃金格差についても以下のように解消が遅れています。特に注目すべきは格差が生み出す影響で、女性が能力開発機会に恵まれていないことから男女の賃金格差が大きい国ほど労働生産性が低いというデータもあります。そして今夏やっと男女の賃金差の開示義務化の流れで女性活躍推進法が改正されます。
1990年代はまだ「キャリアウーマン」という言葉が輝き、女性が働くことにどこか誇らしさを感じているコンテクストがありましたが、「ワーママ」は2000年以降共働き層が厚くなる中で、特にSNSのハッシュタグなどでどちらかというとネガティブなコンテクストをまといながら広まっていった言葉です。上述の過酷な状況をつづける中で、ご存知の通りワーママたちは、保活に泣きTwitterに不満をぶちまけ!時には大企業のCMにワンオペ賛歌だと物申し!ストレスフルな姿や悲壮感を晒しながら苦行の代名詞のようなものになっていってしまいました。(本当は幸せで素敵なことなのにね!)
以下のデータからもわかるように、2000年代より共働き世帯の数はそうでない世帯と逆転し、ワーママはもはや全くマイノリティじゃないのに職場ではマイノリティとして扱われつづけ20年経っているのです…。(長すぎ!!)
くすぶり続けるワーママの不満
ワーママを見続けて20年(年がバレる)のわたしの感覚では、不満のくすぶらせ方には何パターンかあります。
あえて「くすぶらせている」と表現するのは、いずれも個人的・集団的な主張や行動は持っているものの、社会の中で次のストーリー展開につながるような大きな動きに至っていなかったからです。
マッチョ系、キラキラ系はそれぞれの文脈から次々ロールモデルをつくってメディアを賑わせましたが、どこまでも勝ち組と負け組の様相を呈していたように思います。活動家系は社内や行政に訴えかけることで制度を変え、保育園や託児所などのファシリティを整備して行きましたが、名ばかりの制度や減らない待機児童…と、いつまでたっても満たされない終わりなき戦いのようにも見えました。特に社内に時短勤務や在宅勤務などの制度が整っても「マイノリティ施策」である前提から抜け出せず、逆に俗にいうマミートラック(※)に入ってしまうことで罠にかかったように抜け出せなくなり辞めてしまう人も沢山いました。
(※)マミートラック=女性が出産育児を機に時短勤務や補助的な業務に就くことで出世コースから外れてしまうこと。あたかも陸上競技の周回コースをぐるぐる回るだけでキャリアアップしていかない状況から名付けられた。
「ゲリラ期」突入
そんな中、早々に「やってらんねー」と独立していたゲリラ系のわたしは、2001年あたりからフリーランスになり、その後2005年から独自のやり方でワーママフリーランスがチームとして機能する方法を模索しました。オフィスを持たずフルリモートかつプロジェクトベースで働くことで、多様な関わりのできる柔軟な組織を目指し、現在経営している会社(ナラティブベース)をつくりました。法人化したのは2011年なので、試みを開始してから法人化までも随分時間がかかっており、御多分に漏れずくすぶりながら進んできました。
以下の創業当初(2013年ごろ)を振り返る記事では、やはり男女の賃金格差や成長機会の損失についてぶちギレているのがわかります(笑)しかし、怒っていても仕方ないので、「働き方」に変化を起こすには2つのアプローチがあり、企業の中の働き方を変えるような影響力をもっていなかったわたしたちは、自らのワークスタイルを変えていくなかでナレッジを蓄積し仕組み化していくしかないと宣言していました。思えばこれが名も無いゲリラの始まりです。
もちろんゲリラ活動をしていたのはわたしたちだけではありませんでした。
ゲリラ期(マイノリティ施策が局所的にはじまる)という通り、局所で始まっていた様々なワーママ向け施策、団体、企業があります。しかし当初はまだこういった流れを「ママコミュニティ」いや「在宅ワーカーの斡旋」いや「隙間で仕事をする本気じゃない集団」というように、なんだかイヤ〜な雰囲気の「マイノリティのメガネ」でみるような風潮もまだまだありましたし、実際働き手側(ワーママ側)の意識に問題があるようなケースもたくさんみてきました。その中でオフィスを持つ普通の企業に遜色のない成果、独自の付加価値、人が育つ土壌など、実践・実証を作り出すために、地道に手法や仕組みづくりを続けました。2010年代前半のころ。
「共感期」の仲間づくり
そんなわたしたちのゲリラ活動において共感期(施策のメリットを理解するコミュニティが生まれる)が見え出したのは、感覚的には2010年代後半、ここ6〜7年くらいのように思います。クラウドソーシング市場はすでに温まっていましたが専門職がピンで仕事を受けるためのものだったので、「ワーママ特有の働きづらさの解消のためにフリーランスになる」という発想はリスキーだし理解も難しいものでした。
ところが同時にクラウド化はコミュニケーションツールも進化させていっており、特に海外産ツールは社内連携が前提の国産グループウェアの延長上ツールとは違いリモートで連携するわたしたちの働き方には非常に向いていました。今は定番となったビジネスチャットやプロジェクト・タスク管理ツールもこのころ浸透したものです。フリーランスがチームで働くことの環境は格段によくなっており、リスキーだと感じる人たちを説得するだけの環境説明は難なくできるようになっていきました。
当初わかりづらいこの働き方にいち早く共感し力強く言語化してくれたのは今は役員の我妻です。メディアにも取り上げられたりするうちに、わたしたちのもとにも共感層が集まり、コミュニティはだんだん大きくなっていきました。
もっとも、この時期はテクノロジーの進化によるツールの充実や、ティール組織やホラクラシー組織などの組織論の変化から、ワーママの負の解消に限らず新しい働き方を創出する企業やコミュニティがいたるところ生まれていった転換期でもありました。わたしたちのコミュニティも追い風を受けながら独自の進化を遂げました。
さて、ここまでの ⅰ.ゲリラ期→ ⅱ.共感期 は、時代の流れとともに非常にゆっくりと進んでいきましたし、ある意味インターネットが働き方を変えていく中での当然の流れだったとも思います。しかし、何度も書くようですが、世の中が「マイノリティのメガネ」を外していく次のストーリー展開は、このころいつまでたっても訪れる気配がなく…、実際わたしも自分がこの世を去ってからくるのかとさえ思っていました。ところがこの後、コロナ禍というまったく予想をしなかった状況変化から、展開期へと突入していったのです…。
長くなりましたので、前編はここまで!
つづく後編では、 ⅲ.展開期(マジョリティのメリットに展開される)→ ⅳ.レバレッジ期(メリットが社会全体に広がり最大化する)、この2年でやっと起き始めた波及の流れと未来予測について書いてみたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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