あなたは山登り型?川下り型?〜ライフには必ずしも目標設定もKPIもなくていい気がする
数年前から、「次の10年の目標はなんですか?」と聞かれることが多く、答えを持っていなければいけないような気がして、色々とテッペンを決めてそれまでにやることを計算してみる…ということを試みようとするものの、イマイチしっくりこないということが続いていました。そんな時、「山登り型」「川下り型」という発想に出会いました。世の中一般的には、わたしが試みたような「山登り型」が求められるような傾向にあるような気がしますが、「川下り型」でもいいと思えるようになった、という話を今回はしたいと思います。
山登り型と川下り型
山のてっぺんに旗を立てて、そこに登っていくための計画を立て、一つ一つクリアしていく、それが「山登り型」。一方、なだらかに川を下りながら、その時々に出会す急流や滝を乗りこなしたり、時々現れる分岐点を前に良いと思う方を選び進んでいく、そんなあり方が「川下り型」。わたしはそんなふうに理解しています。
振り返ると、35年川下り型で生きてきた
過去を語る機会をいただいて話す回数を重ねていくと、なんとなくきれいに上手に語れるようになってきます。そうするとまるで最初からいろんなことを計画して、その通りに叶えてきたように聞こえてしまうのかもしれません。でも実態はそんなことはなくて、どちらかというと偶然の出会いや巡り合わせに導かれるようにして、そして時に場当たり的に選んだ結果たどり着いているのが現在点だなと思います。
一番最初の川下りの分岐点が、準備の整っていた大学留学をやめたときのこと。中学生の頃から海外に憧れを感じ、高校留学したいと申し出たものの、十分な準備ができていないことは明らかで、もう少ししっかり日本でできることがあるだろうと両親に諭され反論もできませんでした。それならば、と高校時代は必死に英語の勉強に打ち込み、地元の愛媛から週末広島まで通って、カナダの大学に進学するために必要なTOEFLの試験を受けに行っていました。高校卒業後は留学することを、高3の段階で両親にも賛同してもらえたのですが、その時に父から、「日本の高校卒業は3月、あちらの大学が始まるのは9月。半年間の間に日本の大学にも行ってみたらどうか。行かずして日本より海外がいいとも言い切れないだろう」という趣旨の提案を受けました。「確かにそうだな」と納得し、半年間のつもりで国内の大学に進学しました。
そこで出会ったサークル活動(模擬国連)にどハマりしました。日本でできること、やりたいことがあることに気がついた私は、当時留学準備でとてもお世話になった英会話スクールの先生に想いと考えを説明し、留学を取りやめました。あのまま半年で日本の大学をやめて、留学する道もあったと思います。でも分岐点で、私は残るという方を選びました。
その後も、少なくとも10年は勤めようと心に決めて入省したはずの外務省を、ガーナのNGO MY DREAM. orgの活動を継続したいという想いから6年半で退職。次の職場の総合商社にももう少し長く勤めるつもりでしたが、ご縁のあったアフリカ企業に心が傾き転職。その転職はわずか4ヶ月後に即時退職という、それまでと比べ物にならないレベルで予期せぬ結論を迎えますが、その結果、副業のつもりで準備をしていた起業一本の道を歩み始め、そろそろ5年が経ちます。
その時々でご迷惑をおかけした方々には申し訳ない気持ちがありますが、その後も温かく見守り支えてくださっていることに、そして時に違う形で一緒に仕事させていただいていることに、本当に感謝しています。
その時々に自分がベストだと思う選択を重ねて、川を下ってきた。まさにそんな約35年間だと思います。
ライフにまでKPIは必要?
キャリアメンタリングの仕事をしていると、ワークでそうしているからか、ライフにも目標設定し、KPI*を定めて山登り型の計画を描こうとされながらも、なかなかその展望が定まらず悩んでいる方に出会います。悩み抜いて目標とKPIを定めるあり方もあると思います。或いは自然体でそれができる方も、そのスタイルが心地いい方もいらっしゃると思います。でも、そうではないあり方でもいいとも思います。
*KPIとは…「組織の最終的な目標達成に必要な業務プロセスを、どの程度達成できたのかを測る指標」
冒頭の「次の10年の目標はなんですか?」という質問。少し前までは、それっぽいことを考えてお返事していたのですが、最近は「わからないです」と答えるようになりました。わからないからです。ぼんやりと、今までのいろんな経験を人々に恩送りしていきたいな、とか、教育に関わっていきたいな…という想いはあります。でも10カ年計画的なことはなんとなくしっくりきません。いろんなご縁や巡り合わせがこれまであったように、実直に地に足をつけて取り組んでいれば、緩やかに川を下りながら進んでいれば、これからもきっとよき分岐点に出会い、選択する機会をもらえるんじゃないかなと、「川下り型」でいいんだと思えた今はそんなふうに思っています。
だから、私のライフには、テッペンの設定もKPIもあんまりいらない気がします。「川下り型」で、いつか大海に出るのかそれを望むのかすらあんまりわかりませんが、心のワクワクを大事にしながら、目の前のことに一生懸命取り組むことを今後も積み重ねていきたいなと思っています。
「川下り」で検索して出てきたヘッダーの画像。なんとなくシュールで肩の力の抜けた感じが、今の気分にしっくりときました。