エシカル消費は流行らずバズらず、静かなムーブメントになるべき理由

こんにちは。文化をつなぐ小売の未来を勝手に背負うこと10年、KATALOKoooの翠川です。

エシカル消費と聞いて何を思いますか?日経電子版で「エシカル消費」と検索すると、2021年になってからは27件、2020年は26件、2019年は16件の記事が上がってきます。ちなみに、一番最初にワードが出てきている記事は、2010年9月のものでした。

エシカル消費、「お金がないと無理→「なんか胡散臭い」問題

エシカル消費の話をすると、反応が下記のように分かれます。

①エシカル消費っていいんでしょ?興味ある
②エシカル消費なんていうけどお金持ちの戯言でしょ
③何でもかんでもエシカル・サステナブル言いやがって
④色々あるけど、少しでもエシカルな方がマシ
⑤エシカル消費しか勝たん
←私イマココ

本当のところのエシカル消費に対して、どう捉えたらいいのでしょうか。

以前は、エシカル消費の話をすると大体「金持ちじゃないと無理じゃん「そんな余裕ない」というような②の反応ばかりだったのが、最近は「エシカル・サステナブルといっとけばいいと思っている施策が多くて腹が立つ」という③の反応が私のタイムラインには溢れています。実際、どの辺がエシカルなのか、本当にサステナブルなのか、よくわからない商品や企画、悪気もなく「流行ってるから」とプレゼン資料のタイトルになっているのを見かけて呆然とすることもありますし、以前は私も、「エシカルって謳っているもの全然信頼できない…」と思っていました。

消費者としては、それって本当にエシカル?エシカルって何?という風に誰もが考えるべきです。

あったらいいのに、エシカル消費のガイドライン

一人一人が考えることが重要なのは確かですが、エシカルといっても、一方向にだけ配慮しているだけでは倫理的とはいえないため、あらゆる方向からの基準があるといいと思っています。消費者も、事業者も、参考にできるガイドラインになれば、とっつきにくいエシカル消費が少しずつでも広がっていくべき。

一方で、その判断基準をつくることは資本主義的消費を助長することにはつながるのか…?それはむしろエシカルから遠ざかるのか…?という疑問も出てきます。

「消費=悪」ではなく、「資本主義的消費=エシカルでない」

上記の取り組みなどを見ても、何もしないよりはやる方がいいので、比較的には機会は増えた方が良いとも思います。ヨーロッパやアメリカのようにエシカル消費に意識を持つ消費者が増え、企業も変わらずを得ないようになるのが理想の形です。

逆の発想で、資本主義的消費と戦うためにはスモールビジネス界隈が団結する必要があることに、このエシカル消費のガイドラインが使えるのではないかと考えています。スモールビジネスなものづくり企業がエシカル消費のガイドラインを参考に、適正な量、適正な素材を用意し、適切な環境で、適切な雇用のもとものを作る。その「適正」を決めるためにも、ガイドラインが欲しい。

スモールビジネスを営む事業者それぞれが調査をし、それぞれのガイドラインを持つのには時間や労力がかかりすぎます。共有できるエシカル消費ガイドラインを元に、行動指針を持って団結することが唯一、資本主義的消費に立ち向かうこと、ポスト資本主義につながっているといっても過言ではないと思うのですがどうでしょうか。

かくいう私は、大規模でないモノづくりの才能ある人をサポートするオンラインショッププラットフォームをつくって今も活動しています。ものの業界に入る際、「ものづくりはゴミを作っているのではないか」と思ったこともありました。売れなければ、どんなに文化につながったものづくりだとしても、ゴミになってしまう。誰かの大切なものとして買われれば、幸福と結びつく可能性の高いそれらが、もっと売れるためには、資本主義的消費材との戦いに勝てなくても良いから、負けないようにしなくては。そのためには、団結するしかない。

資本主義の生産と戦うために、エシカル消費に小さなところから取り組み、スモールビジネスが結集する必要がある。エシカル消費はそういう部分でも力を貸してくれる。ポスト資本主義に変化するために、エシカル消費ガイドラインが必要。そのチャンスが、エシカル消費を推進する流れでできるのではないでしょうか。

また、ガイドラインを持ち、適切なものづくりをし、ガイドラインに賛同してくれる消費者を集めることで、コーポ的によりエシカルなものづくりをすることができる可能性もあります。流行りものとしてではなく、本質的なエシカル消費の促進を目指したい

このリサーチでいう、「成長層31.1%(エシカルアクション層・エシカルポテンシャル層・エシカルシニア層)」が団結してエシカル消費アクティビズムを起こせば、日本だって変わっていくことは理論的には不可能ではないでしょう。

すべての消費が資本主義を助長することにつながるわけではない。人間は生きているだけで少なからず消費をするのだから、消費者がどういう企業に投票するつもりで消費するべきなのか考えるべきです

文化をサステナブルにするという意味のエシカル消費

別の視点からの話で、先日Twitterでちょっとした議論が生まれました。「文化のことをみんなが考えているわけではない」という元のツイートから、「文化より目先の生活」「貧すれば鈍するでは解決にならない」というやりとりがなされていました。このことに対しては、「目先の生活を送りながらも文化的な意識を持つことは可能だ。比例ではない。」と思うのですが、

この流れで、「何もしない贅沢がある」という言葉を見ました。…?何もしないで、受け継がれる道が閉ざされるものは、どうなるんですか?あまりにもサステナブルとはかけ離れた考え方で、悲しくなりました。エシカルとサステナブルはよくコンビで使われていますが、環境に配慮する以外のサステナブルというのもあります。

先月話題になっていた、下記動画。
https://youtu.be/4xN4kZOxLOA

「エルメスバッグが製造原価が2万円だという暴露」の動画、再生回数は稼げたと思うのですが、動画内で「僕たちは同じものが作れます」といっていました。色々言いたいことはありますが、すでに多くの人がその部分はコメントしていましたので割愛して、エルメスが職人を積極的に採用していること学校を作って職人を育てていること、そういったサステナブルを支えているのは、エルメスのブランドを信じている顧客です。誰かがつくったパターンをコピーしていくだけで安く大量生産していくだけの未来と、時代に合わせてアップデートしていく未来はどちらがよいですか?

昨年の年末に書いた「安い」を優先せず「文化をつくる」を選ぶ勇気でも紹介した、きものやまとは、持続可能なきもの産地の為のSDGs の取り組みとして、大島紬を未来へ紡ぐ“伝統工芸士を育成する学校"をつくったりしています。この取り組みは、自治体とやまとの半々(なぜ国と民間半々なのかそもそも疑問ですが)で取り組まれています。

ものづくり文化の第一線にいる人たちは、環境への配慮はもちろんできるところから取り組み、人的文化の継続性に取り組んでいます。

資本主義的消費に頼らず、こういった取り組みを含んだものを消費することは、文化をつなぐことにもなる。こういうことも、サステナブルなエシカル消費なのではないでしょうか。

できることからやる、を賞賛することの重要性

でも着物を買うお金はない。エシカル消費といっているものは高いから買えない。だからエシカル消費なんてない方が良い、というのは乱暴すぎます。自分ができない罪悪感で、取り組む事業者や人の、できていないところを指摘するのはなぜなのでしょうか?

こういうことは、人それぞれ出来るできないはその時々で違うのだから、「本当はその方が良いことは知っている」「取り組む企業や人を誉める」で良いのですよ。

私もこんな投稿して出来るだけエシカル消費を意識して選択をしているつもりですが、代替品をすぐ見つけられない場合、急を要する場合、それだけに時間を費やすことはできないので、まだまだ100%には程遠いです。

それでも、良い活動を見つけた場合は購入して応援したり、まとめ買いして人にプレゼントしたり、できることから取り組んでいます。

とても概念的ですが、その企業の利益以外何にもつながっていないものはジャンジャン買わない。利益の他に何かしらにつながっているものは買って応援する。そういうイメージを持つだけでも、変わってくる。長い目で、エシカル消費を通じて重要なムーブメントを起こすことができると信じて、日々消費アクションを起こしています。

エシカル消費の範疇に入るためには何が必須なのか知りたい事業者さん、消費者としてどこを見れば良いのか知りたい人、エシカル消費アクティビズム仲間、絶賛募集中。Twitterなどで、ご意見ください!

サポートいただけたいた方は仲間と思って日々精進しようと思います。とりあえず、ビールを買って乾杯させていただきます。