「ある分野の言葉を知っている」とは?ー「陶芸の街」という名称が意味するもの。
陶磁器は世界各地にあります。だが、その土地により技法や表現に違いがあるため、文化交流の素材になりやすいです。実際、今世紀はじめ、EUが東方拡大をするにあたり、西欧と東欧の文化交流のためにセラミックを使用しました。展覧会、カンフェランス、ワークショップなどの実施です。このプロジェクトはその後も長く続いてきました。
下記は、イタリアに紀元前10世紀ごろにはじまったヴィラノーヴァ文化の末期、陶器生産はギリシャからの影響を大きく受けたとの内容です。
さて、イタリアのセラミックの街のひとつ、(ミラノから南東に約270キロある)ファエンツァで「Argillá」というセラミックの祭典が先週3日間、開催されました。
イタリア国内外からおよそ250の展示があり、広場、通り、教会(冒頭の写真はサンタ・マリア・デランジェロ内の展示)のなか、あらゆるスペースが使われます。街中、セラミックで溢れます。20分間、ろくろをまわして成果を競い合う国際イベントもあります。
前回の数字ではおよそ9万人が見学したとのことですが、住民6万人に対して1.5倍の数です。街へのインパクトの大きさが想像できるでしょう。ぼくは、このイベントを初めて訪れ参加したので、すべてが新鮮でした。
具体的にいえば、このイベントに京都の4人の陶芸家の作品を紹介するスタンドを設け、ぼくも連日、いろいろな人の反応に接しました。そこで強く感じたのは、「陶芸品を表現する言葉を知っている人がここには多い」という点です。ミラノのデザインウィークで、「ミラノにはデザインの言葉を知っている人が多い」と感じるのとまったく同じです。
今回、ここで経験したことを、お話します。
2つの流れが交差するところ
陶芸と聞くと、用を足す伝統的なカタチ、表現、技法の世界を想像する人が多いです。このクラフト(あるいは、装飾芸術)の流れがある一方、セラミックという素材を使ってファインアートの分野をメイン舞台とする流れもあります。後者はセラミストを起点にファインアートに足を踏み入れる場合、ファインアートを基盤とする人がセラミックを使う場合、この両方があります。
この事情と変化については、6月、ミラノデザインウィークの感想として書いたものがあるので、以下をご参照ください。
潮流をみると、一つの分野だけフォローしていると死角が多いことに気が付きます。ファインアート、クラフト、デザインの3つの領域が明らかに重なりはじめている今、「ファインアートはお高くとまっている」「デザインはビジネスの顔をうかがってばかりいる」「クラフトはローカル文化の産物」と思っていると、大きな勘違いを招きます。
スタンドで何を目にしたか?
広場に設置されたスタンドで、内側からぼくが何を見たか?をお話しましょう。3メートル四方のテントにテーブルをおき、その上に作品を並べます。一つの世界観を表現するために木枠で区切っています。テーブルクロスも色のバリエーションを用意しています。これはぼくのビジネス上のパートナーのデザイナーの発案です。
セラミックを勉強している2人のイタリア人女性が、スタンドで説明役を担ってくれました。3日間、朝10時から夜10時まで、スタンドの前をさまざまな人が通過し、ある人は足をとめ、更に展示品をじっと眺め・・・そして、「素晴らしい!」と言って去るか、いろいろと質問をしてきます。
その反応にはいくつかのパターンがあります。「技法や材質を詳しく知りたい」、「表現にある歴史的な所以を知りたい」、「造形の背景にある思索を知りたい」といった感じです。もちろん、(「お疲れ様」との外交辞令も含め)4人の作家の作品のすべてを良いと語ってくれる人もいますが、やはり、ある作家の作品に深い関心を示す人は、他の作品に対しては相対的に低い関心レベルに留まります。それが正直な反応です。
各々のパターンにおいて、ものの聞き方をわきまえていると思えることが多く、前述の「陶芸の言葉を知っている」との感想に繋がります。
「陶芸の言葉を知っている」とは何を示すのか?
それでは「陶芸の言葉を知っている」とは、どういうことでしょうか?陶芸の専門家でなくても、「陶芸を趣味として2-3回は実際にやってみたことがある」、「陶芸の専門家の知り合いからよく話を聞いている」、「陶芸を好きな人と一緒に工房や展覧会をみたことがある」人で、陶芸を材料に会話できることを指し、そういう人が特定の地域にある一定数いると、「ここには陶芸の文化がある」と評することになります。そうなると陶芸の専門家もそれなりにリスペクトを受ける、との循環が生まれます。
「ミラノはデザイン文化がある街」と表現されるのは、デザイナーが沢山いるというより、「デザイナーとデザインについて話したことがある」、「デザイナーと実際にビジネスをしたことがある」人が比較的多い、との認知に基づくのだろうと思います。
言ってみれば、その分野の専門家や造詣のある人と会話ができる人が多い、というのが文化の存在を示すわけです。実際に作れるかどうかではないのです。作れる人の絶対数よりも、雑談や会話の発生率の高さです。別の言葉ではディスコースが生きている、ということになります。
とすると、どのような展開が次に期待できるでしょうか?
ファエンツァの人による評価は、口伝えやソーシャルメディアを通じて、他の都市や他の国の人からの信頼を受けやすいです。よってファエンツァで高い評価を受けると、他の地域での活動がしやすくなる可能性が高まるのです。
言うまでもなく、そのような展開が保証されるわけではなく、あくまでも確率です。この確率をあげることを通じて文化交流を図る、あるいは文化交流を図ることで実際のコミュニケーションの精度があがる。それが冒頭にあげたセラミックをEUの東方拡大で使った狙いになります。
ファエンツァがこれからすべきことは?
ファエンツァは人口6万程度の街です。ですから「陶芸の街」といってもすべてが揃っているわけではないです。例えば、国外にも通用するアートギャラリーがありません。
国際的に評価のある大量のコレクションをもつ国際セラミック美術館はあり、アートと重なり始めたセラミックの動きを企画展として積極的に取り上げています。この美術館が市と一緒にセラミックの祭典をオーガナイズしています。
セラミックの日用品を売る店は目につきます。アートを展示できる公的スペースもあります。ギフト商品的なものを販売し、かつ展示が可能な場所はあるし、スペースをレンタルできるところもあります。しかし、アーティストのプロモートを中心に据えたギャラリーがないのです。
それでは、我々はアートギャラリーの数が多い、近隣のボローニャやミラノでアートギャラリーでの展示の機会を一発目として探すべきだったのか?と問われれば、NOです。
ミラノにセラミック作品を専門としたアートギャラリーもあります。しかし、「陶芸の文化のある場所で、京都から送られてきたこれらの作品を巡って、どういう会話が交わせるのか?」を知るには、ファエンツァの祭典がベストです。なにせ、欧州で発表するのはどの作品もほぼ初めてだったので、どういう反応があるのか、まずその種類と質を知る必要がありました。
だから、次の展開においては、ファエンツァの人々の評価を糧に他の都市でのアピールが手順になると考えています。そのために、セラミックとファインアートの言語の両方を心得ている人に協力を求めている最中です。いくら両者が融合を始めているといえ、両方の言語を知っている人がなかに入ってくれた方が強力なのに違いありません。
仮に、以上のような要求にも答えるサポート体制が更に充実すれば、ファエンツァの祭典は一層面白くなるでしょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?