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人生のパーパスは? 答えられなくても問題なし

こんにちは、電脳コラムニストの村上です。

※ 本記事は日経朝刊投稿募集「 #あなたの個人パーパスは 」への寄稿です。

ここ最近「パーパス経営」という言葉をよく聞くようになりました。注目されている理由にはESG(環境・社会・ガバナンス)に配慮した経営が求められていることや、コロナ禍での心のよりどころを求めたくなってきていることなどが指摘されています。

なぜ今、パーパスがこれほど注目されるのか。一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄氏は「1つはコロナ禍のリモートワークでいろいろ考える時間ができ『なぜ自分はこの会社で働いているのか』を問い掛けるようになったことが大きい」と指摘。「もう1つは所得格差も含めて不安材料が出てくるなか、自分たちの働く上での心のよりどころを求めたくなっていることがある」と説明する。

企業がビジョンやミッションと共にパーパスを掲げることは、働く人にとっても士気があがるでしょう。また、存在意義を明確にすることによって人材を惹きつける効果もありますし、逆に言えば合わない人材を採用しなくても済む効果もあります。報酬や待遇が変わらないのであれば、より働きがいのある会社でのびのびと働きたいと思うのは人の常。パーパス経営は、カルチャーフィットや定着率の向上にも効いてくると思います。

このように企業がパーパスを掲げることはメリットも大きいですが、近年では特にリーダー層において「個人のパーパス」が問われるようにもなってきているそうです。

確かに企業のパーパスへの共鳴だけでなく、それが個人のライフワークとも一致していたとしたら、こんなに素晴らしいことはありません。まさに天職とも言えるのではないでしょうか。

仕事とやる気の関係を語る上では、周囲の期待が関わってきます。どうしても人は自己評価だけなく、他者からの評価によって満足度が変わってきます。

自分が得意なことで、周囲からも期待されているような仕事。ここで成果を出すと、ものすごく満足度が高いでしょう。逆に、期待もされていないのに苦手な仕事をやり続けることは、とても辛いことです。

特に今後は仕事と生活の境界線がより曖昧になっていくと言われています。そのような働き方になった場合にも、働きがいのある仕事にどう出会い、それを続けられるのかというのは誰にとっても大切なことです。

「(テレワークが定着した社会では)人生のなかに仕事があるという『ワークインライフ』という言葉の方がなじむ」。総務省は昨年8月に提言書「ポストコロナの働き方『日本型テレワーク』の実現」をまとめた。その中にも「ワーク・イン・ライフ」が登場する。
出勤してオフィスで働き、退社して自宅で生活するのが従来の暮らし方だ。ワークとライフは場所と時間で区別できたが、テレワークはその境界線を曖昧にする。在宅勤務中であっても、宅配の荷物が届けば受け取りたい。朝夕に仕事の手を休めて保育所に子どもの送迎にいければ便利だ。
逆に仕事に関するメールが夕食後に届き、対応が求められることもある。どこまでが仕事でどこからが生活か。厳密な線引きは難しく、無理に線を引くと窮屈になるだけだ。

さて、ここで再び「個人のパーパス」の話です。実は私自身はパーパスを意識したことがありませんし、キャリアにとってぶれない軸のようなものはありません。むしろ、ぶれっぶれです。『転職2.0』という本を書いておきながら何を言っているんだ?という声も聞こえてきそうですが、事実なのでしょうがないです。

あえて言えば「健康で幸せな人生をおくる」ことが、個人のパーパスでしょうか。働く企業を選ぶ上で、そのパーパスに共鳴することは大事だと思いますし、それがない会社で働き続けることは難しいです。しかし、それが個人のパーパスを掲げることになるかというと、そうでもないというのが私の意見です。

おそらく、正面切って「お前はなにがしたいんだ?」と問われて即答できる人は起業家か、そうでないならいますぐ起業したほうがいいです(笑)。それくらいレアなことなんじゃないかなと思います。

個人としてできるとすれば「幸せな人生」の解像度をあげることではないでしょうか。自分が何を大事にするのか、しないのか。お金や時間を何にどれだけ投じるのか。そのようなことから、自分自身を深く知っていくことが大切だと思います。


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タイトル画像提供:tiquitaca / PIXTA(ピクスタ)

#日経COMEMO #あなたの個人パーパスは

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