コンセプトを押し出すと消費期限が早まる。
電通時代の同僚が本を出した。
テーマは「コンセプト」について。
誰もが知っている言葉だけど、改めて聞かれると説明しにくいコンセプトという概念。それがわかりやすく解説されていた。
私も思う。何をやるにもコンセプトは大事だ。
でも「コンセプトを対外的に押し出す必要があるか」と問われると疑問が残る。それは自分自身の少しだけ苦い経験から来ている。
今日はそんな話。
◾️飲食店とコンセプト
半分業界用語のような「コンセプト」が一般的に使われるようになったのは「コンカフェ」からではないだろうか。
コンカフェとは「コンセプトカフェ」の略称で、何かしらのコンセプトを持ったカフェのこと。代表的なのはメイドカフェだろう。
コンカフェの他にも、コンセプト居酒屋やコンセプトホテルなど最近はコンセプトの一般化が進んでいる。
通常持っている機能や業態に何かしらの引っ掛かりを足して興味の入口とする。最近のコンセプトはそんな風に使われている。
そんな中、実は私自身も「コンセプト⚪︎⚪︎」をつくったことがある。
コンセプト酒屋だ。
足したのは、メイドのような刺激的なコンセプトではなく「初心者向け」というちょっとしたコンセプト。私の自宅の1階にある「いまでや 清澄白河 〜はじめの100本〜」という店舗のことだ。
このコンセプトにたどり着いた経緯は以前の日経COMEMOにも書いたが、簡単に言うと「若者やお酒に詳しくない人でも楽しめる酒屋」。そんな店舗だった。
表現が過去形なのは、今はこのコンセプトでやっていないから。お店は存在するが、特にコンセプトは掲げていない。
「はじめの100本」というコンセプトは、全店共通の企画として昇華された。
店舗からコンセプトを外した経緯はいくつかあるが、一言にすれば「役割を終えた」から。
確かにコンセプトがあると「どんなお店なのか?」が、わかりやすくなる。
私のお店もオープン当初は「初心者にやさしいお店なんですよね!」と各所で話題にしてもらった。
ただ、わかりやすさは飽きやすさにもなる。
コンセプトに惹かれてきてくれた人たちが、常連になっていくイメージが湧かなかった。
◾️言語化とコンセプト
コンセプトという看板をおろしたきっかけは、もう1つある。
「自分が好きなお店」について考えたことだ。
これを読んでいるあなたも一緒に考えてみてほしい。
Q.あなたの好きなお店、あなたが通っているお店のコンセプトはなんですか?
この問いに答えられる人はどのくらいいるだろうか。
少なくとも私は答えられなかった。
「⚪︎⚪︎が美味しいんだよ」
「店長が素敵なんだよ」
「雰囲気がいいんだよ」
などお店を好きな理由は挙げられるが、そのどれもがコンセプトではない。
お店の人に「このお店のコンセプトはなんですか?」と聞いても明確な答えが返ってくるイメージも湧かなかった。
つまりコンセプトがあるかどうかと、好かれるお店になるかどうか、は別の話だったということだ。
もちろんお店にとって「こういう店になればいいな」という希望のようなものはあるだろう。
ただそれが明確に言語化されていない方が、実は居心地がいいのだ。
◾️居心地とコンセプト
コロナ禍が明けて、飲食業界は再び熾烈な競争が始まっている。
そんな中で、わかりやすいコンセプトは重要だ。
一方で、コンセプトとは「消費のされ方を自ら提供すること」でもある。
「うちのお店はこう楽しめばいいんですよ」
と教えてくれるコンセプトは、初心者にやさしい。
やさしいが、消費のされ方を定義されると、受け手は自由な解釈ができなくなる。
最初はなんの店かわからないけど、なんだか居心地がよくて。
通っているうちに、少しずつ顔見知りもできて、楽しみ方がわかってきて…。
コンセプトとは、飲食店の醍醐味とも言えるそんな愉しみ方を奪ってしまう側面があるのかもしれない。
消費しやすくなる一方で、消費速度も早めてしまう。
コンセプトと消費期限。
そのバランス感覚こそが、コンセプト・センスなのかもしれない。