「2拠点居住」などという概念にとらわれず、自分がハッピーな仕事と暮らしのスタイルを模索しよう
筆者は仕事で都内に出向くと、大抵は勤務している企業のオフィスがある大手町をベースに、仕事をします。
そんな中、数ヶ月前のとある日に朝9時ー11時に西新宿で、夕方15時ー16時に新宿東口で対面ミーティングが入りました。あいにく11時ー15時の間も細切れにオンラインミーティングが入っていて、新宿ー大手町を往復するにはかなりギリギリで、ちょっとでもトラブルがあると、どこかに穴を開けてしまいそうです。
その日のロジスティクスをどうしたものが悩んだ筆者は、ふと思い立ち新宿にあるホテルのデイユースサービスを検索してみると、結構な選択肢があることがわかり、その1つを選んでことなきを得ました。
以来、移動があるカレンダーの日は、積極的にデイユースを活用しています。ホテルのコストは発生するのですが、移動時間を仕事に充てられることによる効率アップがそれを補いますし、普段はやらないことをやっているようなプチ「ハレの日」感覚を味わえたりもします。これはオススメです。
だいぶ前の話ですが、似たような経験としてこのようなこともありました。
朝起きて資料を仕上げるはずが寝過ごし、万事休すかと思いきや、オフィスに向かう電車にはグリーン車が連結されていました。片道通勤に1000円強を拠出するのはコストといえばコストですが、背に腹は変えられません。ままよと飛び込み、猛然とPCを開き、ギリギリでことなきを得た私は、それ以来グリーン車がついた列車に乗るときは、積極的に使うようになりました。立って電車に乗っていたら潰れてしまう時間で仕事や読書や休憩ができ、コストを補ってあまりある効率があるからです。
これらの出来事は、こんな感じで一般化できるのではないか、と思います。
(1)追い詰められると、人はゼロベースで考えられる
「必要は発明の母」と言いますが、まこと追い詰められた時に人は創造性を発揮します。デイユースもグリーン車もその時々の問題を解決してくれるシンプルな解であるのみならず、問題を抱えない平時も効率を上げてくれる良い方法であるのに、なかなか思いつかない。
(2)一度経験したことは選択肢に上がりやすい。2回以上なら尚のこと
デイユースもグリーン車も、最初に使うまでは、言ってみれば選択の範囲の外側にあるので、使おうと思いつくことさえありません。必要に応じて一度使ってみると、同様の状況に直面した時には選択肢として浮かぶようになり、数回使えば、効率を上げる有力な選択肢として出し入れ自由な心の引き出しに入ります。
(3)一見贅沢に見えることも、合理性があることがある
デイユースにしろ、グリーン車にしろ、必ずしも必要ないものに対してコストを投下するということで、最初の心理的抵抗は相当程度あります。しかし、一旦生産性の効果を経験するとその抵抗はだいぶ解消され、効率を買っているようなマインドセットに変わります。お金に変えられないはずの時間やアウトプットを購入しているような、不思議な感覚です。
(4)非日常性による生産性向上は、単なる時間確保以上のものがある
環境が人に与える影響は小さくありません。普段とは違う空間で、普段は目にしないものを見たり、普段しないことをしたりすることは着想・発想をサポートします。
つまり、これらは時間の余裕+普段以上の着想という、ダブルの効能を得られる、一粒で2度美味しい妙手である、というわけです。
(5)仕事場を自分で選べるという自由
決まり事によって行動を制限されることを、人は好きではありません。
古くからの慣習で「オフィスに集う」ことを疑わずにいた勤め人に、仕事場を自分で選べるという自由は、解放感や自己がエンパワーされたような感覚をもたらしてくれるように思います。
今回のCOMEMOのお題である「2拠点居住の理想スタイル」ですが、2拠点居住というのは、基本的に上記の流れで起きてくることだと考えます。
コロナにより、リモートミーティングという手段の一般化という気づきがあり、それであればオフィスという場所による制約からは解放される、という次の気づきがあり、いろいろな場所で仕事を行うことの合理性や効能を経験した先に、2拠点居住というコストの掛け方が、アイデアとして出てくる、という次第。
であるとすると、お題に反論するようなもの言いですが「2拠点居住」という固定概念の理想を考えるのは、あんまり意味がないような気がします。
生産性や効率の向上という視点からは、別に居宅を複数構えなくとも、筆者のようにホテルやグリーン車などを活用することにより達成できますし、仕事の性質が許すのであれば、キャンピングカーで風光明媚な自然を巡りながら仕事をする、というような形も有効な手段なんじゃないかと思います。
以前、この記事でも指摘しましたが、居住地を決める基準として最も大事なことは、その場所が好きかどうか、だと考えます。好きな場所に住む、ことはその人の幸福のかなりの部分を左右する重要なことであるとも。
だとすれば、リモートワークの一般化により、好きな場所に住める可能性が上がったのは福音であり、好きな場所があって、コストや仕事のスタイルなどの事情が許すのであれば、2箇所とは言わず、何箇所でも拠点を構えれば良いと思います。
最後に。
本稿も含むメディアでは、この種のトピックを高い頻度で扱うので、このようなワーキングスタイルが一般化してきているような錯覚を持ちがちですが、世の中に数多ある「仕事」の中には、大多数の小売、物流など、リモートワークなどへの馴染みが高くないものも多くあります。正確な統計はわかりませんが、感覚的にはむしろこういった仕事の方がマジョリティなのではないか、という気もします。
そしてこういった業務において、どのように一人ひとりの自由を尊重した形で、生産性・効率を向上できるか、という議論を行わないと、今回のような議論は目配りを欠いた、社会的なバランスが悪いものになってしまう、という点を指摘して、今回は筆を置きたいと思います。