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「意識高い系」をだれが生んだのか?

真ん中がいない。「意識高い系」か「なにも考えていない系」のどちらかで、真ん中がいない。インターシップや企業の人事研修では、「意識高い系」が目立つ。「意識高い系」が「何も考えていない系」を圧倒する。ワークショップをすると、「意識高い系」が立て板に水がごときプレゼン。流行りの言葉を使って、いたって饒舌。ある人事部長いわく、最初は、大学生のプレゼン力が高いことに驚いたが、毎回行うワークショップの結論は

なぜか、いつも同じなんだな

1.就活が「意識高い系」を生み出した

意識高い系は、勉強している。最近の話題の言葉や横文字・片仮名・英語が盛りこまれ、ジェスチャーを使って流暢に語る。プレゼン技法・コミュニケーション技法はとても巧みである。しかしそのプレゼン内容は表面的で、実務では役に立たない、地に足がついていないコンテンツが多い。それは、ほとんど、教科書にのっている事柄やどこかで聞いたことばかり。

ワークショップ、グループディスカッションは、時間が決まっている。各班ごとに、与えられた「問題」を議論して、何かの「結論」を出して、発表しないといけない。その「ビジネスゲームのルール」を理解しているので、意識高い系の判断は速い。あっという間に、決断する。みんなでの議論が不十分なのに、強引に意思決定をする。意識高い系はみんなの意見は聞かない。あれよあれよで、結論をだす。その結論は、どこかで見聞きした事柄で、浅いことばかりとなる。

意識高い系は、「知識」をもっている。しかし彼らの情報ソースの多くは、スマホで、自らの体験にもとづく「知恵」になっていない。その言説や知見は、市場・お客さまや現場に立脚したものではない。だからリアリティがない。さらに、自らがプレゼンしたプランを実行しようという「当時者意識」がない。プランを立てることが自らの役割で、実行する「立ち位置」ではない。あなたにこれを担当していただくと命じられると、私はそういう立場ではないと断る

私は考える人。動くのは私ではない

コンサルはコンサル社内で以前に誰かがつくった「報告書」ライブラリーが閲覧でき、クライアントの数字を、そのフォーマットに入れ替えるだけで、短期間に分厚い「報告書」を作成することできる。しかしその報告書は頭で考えているのでリアリティはない。納品先は現場ではなくトップであり、現場からかけ離れた報告書となる。コンサルと呼ばれる人と議論した

「この計画をコンサルのあなたが私ならば、実行するか」
「考えるのは私。実行するのはあなた」
「この計画はほかでもうまくいった。うまくいかないとしたら、あなたのやり方が悪かったということ」

責任がない。うまくいかなかったら、それはあなたの責任。うまくいったら私の手柄。75年前と同じである。日本は変わっていない。

(note日経COMEMO(池永) 「私たちが失いつつある3つの言葉」)

本当は、その人は、できない。実行後の展開イメージが沸かない。その結果に関知しない。結果責任をとらない。言うだけ書くだけで、自分が実施するとは考えない計画づくりである。実行して成功した姿から逆算した計画になっていない。さらに、その計画はだれかのアイデア、だれかがやっていた計画の焼き回しで、誰かの物真似である

物真似は、決して悪いというわけではない。何かの事柄から「類推」して、自らの知見を組み合わせ、新しいモノ・コトを創る。物事は真似を起点とした編集作業といえる。独創性といわれるものの大半は「類推」ともいえる。

意識高い系の結論は、誰かのアイデアそのまま。そのアイデアをつくった誰かの文脈・背景を知らない、知ろうとしない。誰かが、なぜそれを考えたのか、どういう背景でそれができたのかを分かろうとしないので、意識高い系はアイデアだけを使う。この意識高い系が社会に増えだしたのは

        就活が影響しているのではないか

エントリーシート制となって、だれもが簡単にどこにも志望できるようになった。そのため、志望者が一気に増えた。見かけ上の競争率が高くなった。100倍、400倍、1000倍もあるという。とてつもない競争構造が生み出されている。この競争を乗り切るためには、他人よりも目立たないといけない。面接では、面接官に印象の残る「瞬間芸」が求められる。内容よりもインパクトを重視しようとする。熟慮よりもスピード。受けるよりも攻める。聴くよりも語る。そういう人が往々にして選ばれる。そしてそういう意識高い系が増えた

2 質問されるまで、意見を述べない

会社には、こんな人も増えている。資料説明が終わった。会議の出席者に、なにか意見がありませんか?と尋ねても、誰も答えない。そこで指名すうる。すると、指名されたら、答えてくれる。指名されたら、ちゃんと答える。待ってましたと、用意したシナリオで語る。上司のいる会議、人事決定権のいる研修では、とりわけその傾向が強くなる。質問をしない、指名される前に、意見を述べない、自ら口火を切らない。では

なぜ質問しないのか?
なぜ口火をしないのか?

①   二人なら話せるが、みんなの前で話すのは苦手、恥ずかしい
②   みんなの前で話をしたら、笑われたり、いじられるのではないか
③   みんなの前でみんなが知らない話をしたら、知恵を与えることになって損だ

① や②は分かる。そういう人がいることは分かる。運営で工夫できる。しかし問題は③。競合他社が同席する会議だったら、それはあり得る。しかし会社の会議でも、指名されないと答えない人が増えだした。自分が手に入れた誰も知らないコトを言うと、みんなに利することになるから、言うと損だ。だから、みんなの前では、重要のことは言わない。月並みのことで、お茶を濁す。会議が終わってから、上司のところにいって

実はですね…

と大切なことをこっそりと言いに行ったり、会議後に気がついたという体で、実は…とメールで送ってくる

みんながいる会議で重要なことを言ったら、他人が得になる。損か得かを考える。ずっとその会社にいるつもりはない。現在が大事。現在の自分の評価が大事。イノベーションをするために、ワイガヤ会議をしよう、会社の成功事例・失敗事例など情報を共有して会社の知的基盤にしようと言われても

どうして私が持っているノウハウを
他人に教えないといけないの?

となって、個人の成功事例・失敗事例が会社の財産にならなくなった。会社の知的基盤が弱くなる。損か得かで考える人がでてきた。そんな人が増えると、会社のチカラが落ちる

大学の講義もそう。教室の前列に座る人が少なく、講義中は質問をしない。後で質問してくる。しかし就活や人事研修となると、「意識高い系」になる。しかし「意識高い系」でも、実務の会議では指名されるまで答えない。指名されたら上手に答えるが、残念ながらその内容は浅い

どうしてか、どうしていけばいいのかは次回以降に考えたい


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