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なぜ日本は同じ失敗をするのか?(上)

最近、日本に「失敗」が多くなった。今までだったら、あり得なかったような新たな失敗が増えた。失敗はそれだけではない。過去に起こった失敗と同じ失敗が多発する。既視感やデジャブとは違う。明らかに、従前と同じ理由で、同じ失敗がおきている。それは、会社だけでない。社会全体で、同じような失敗が繰り返されるのは、なぜか?

1. 教養がなくなった日本

なにかを選ぶことは、なにかを捨てること。
 
18歳まで、あれだけ時間をかけて勉強をして、膨大な問題を短時間で回答して、正解率を競うがごとく、熾烈な受験を突破して、大学に入って「学問」をおさめた。だから顕在化した「知識」を持っている。頭はいいかもしれない。いろいろなコトを知っているが、

   数学的感性や見えないものを観る力
   物事を観て考える力が弱い

これである。
だから、自動車がすべて電気自動車に置き換わるかのような「幻想性」、すべてのエネルギーが再生可能エネルギーでまかなえるかのような「非現実性」を簡単に信じ込む。「エネルギー」の基本が掴めないので、表層的な事柄に右往左往する。それはなぜか?教養のなさがそうさせている。日本人は教養をなくしてしまっている。

      本ばかり読んでもあかんで
       教養が大事?そんなものいらん、となった。

日本は常に新しいテーマを求める。新しいテーマを見つけると、それを一気に盛り上げる。しかしそれが立ち上げるまで育てることなく、別のテーマを見つけると、新たなテーマに全集中する。かと言って、前のテーマをやめるわけではない。注力しないが、残す。全集中したテーマがどうだったのか、なにがよくてなにがよくなかったのか、それがなぜ、ではどうしたらいいのかを「総括」しない。だから、すべてが中途半端に、いろいろなところで置き去りにされる。
 
国の政策や科学研究費の助成の分配もそう。現在はDXやAIに金が注がれるが、素材開発にまわらない。霞が関は「恐竜」にかかわっていると偉くならないので、過去のみならず現代の日本にとっても大事な基盤技術を軽視する。日本の未来を考えていない。こうして日本は弱くなっていった

2 末は博士か大臣か

「末は博士か大臣か」と、子どもの将来として親が夢見た。1963年の映画(監督・島耕二氏)のタイトルだったが、死語となっている。いま、自分の子どもを博士や大臣にしたいと思う親は、どれだけいるのだろうか?現代日本で、博士に「社会的価値」があるのか?大学のポスドク問題だけでなく、企業において、極端に「専門分化」した博士を活かすことができなくなり、日本社会で博士が減った。


一方、欧州社会には、数学者が多い、科学者が多い。博士が多い。なによりも
 
        社会的に博士が評価される
 
それは、欧州の会議が象徴的である。博士が座る場所である。そこに、会社の「偉い人」がいても、博士がいると、博士が「会社の偉い」人よりも、上席となる。博士を評価するという社会的価値観がある。欧州では博士号を持っている人への「社会的敬意度」は高い。
 
欧州はルネッサンスを経験して、科学や数学や天文学や美術など造詣の深い人が、上流の証であった。専門性が求められるといわれる現代でも、欧州の博士たちは専門領域にとどまらず、縦横無尽に総合力を身につけて、社会に貢献して、教養人として尊敬されている。

日本も、かつて、教養人が尊敬されていた。江戸時代は、末期には「ええじゃないか」を叫びながら狂喜乱舞するといった騒動や迷信を信じる人々も多かったけれど、武家は儒教を学び、漢籍が読め、漢文が書け、漢詩を詠んだ。お茶も嗜めた。刀を振り回して人を殺傷する軍人ではなく、一級の教養人だった。現代のような、私の専門はこれ、この分野だけ物知りという人ではなく、広く古今東西の書を読み、本質が掘り起せる「博覧強記」が教養人で、社会で尊敬されていた。

幕末に鎖国が解けてから、日本の教養人たちは、欧州から入ってきた自然科学・社会科学の膨大な洋書を、疾風怒濤のごとく翻訳した。この圧倒的な翻訳作業が、その後の東アジアの近代化を引き寄せた文明的貢献は、とてつもなく大きい。

 
幕末から明治の日本人は、
欧州文献を漢籍ベースに漢字に翻訳した
和製漢字が中国に逆輸出し今につながる


明治維新となり、武士がいなくなった。みんな、平民となり、教養人が減った。江戸時代の空気が残る明治時代には、まだ江戸時代生まれの夏目漱石や森鴎外のような教養人はいた。明治時代の国民は、何かがおこったとき、漱石ならばどう考えるだろうか?鴎外ならどうだろうか?と知の巨人の見識に学んだ。しかし大正・昭和以降、正義感や美意識などの価値観が変わり、まったく別の価値観に変わり

金と人間力で生きる人が社会を握った

ここから、日本社会から教養が薄れていった。戦前までは、まだ漢籍は読める人はいた。漢文も書けた。戦前戦後の関西の企業経営者たちの著作を読み研究する機会があり、気がついたことがある。

大阪万博が開催された1970年前までは、漢籍を知的基盤にしたビジネス思考法をもとに経営する経営者が多かったが、それ以降はいなくなった。明治100年である1968年頃に、数多くの町人学者・教養人を生み出した江戸時代「天下の台所 大坂」が消えていた。

高度経済成長以降の日本は、人間力を軸に、実務的、力強さが大事という価値観に変わっていった。本ばかり読んでいる奴は、なよなよして、社会ではなんの役にも立たんとなった。そのあと、ネット・スマホ時代になって、知識・情報はわざわざ人に会って聞かなくてもいい、原書を時間かけて読まなくていい、スマホで検索したらすぐに分かる。こうして、日本から教養がなくなった。

親が子どもの将来に「末は博士か大臣か」を願ったのは、今は昔。現代の親が子どもになってほしい職業は「1位が公務員・2位が会社員」となった。

子どもの将来をそう願う親が、ゲームやパチンコばかりしていたり、家でテレビを観てゲラゲラ笑ってばかりいたり、会社で課長だとか部長だと持ち上げられ接待づけで遊んでばかりしている姿をみていたら、子どもたちも 

教養なんかいらないわ


となる。こうして日本の教養レベルが落ちた。こんな日本で、これからどうなっていくのか。やり直せるんだろうか。それは、次回の「なぜ日本はクイズが好きなのか」で考えたい。


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