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過去の円安局面との類似点と相違点~「投機は円安、実需も円安」~

150円台復帰も否めず

年末年始時点ではごく少数だった円安予想の筆者から見ても、想定以上のハイペースで円安・ドル高が進んでいます。なお、2022年末時点での各専門家の予想状況は以下で一瞥できます:

筆者が円安予想を抱いてきた理由は過去のnoteをご参照頂きたいところですが、基本的にはこの国の対外経済部門の構造が根本的に変わっているという視点を大事にしてきました:

昨年9月時点でも2023年は円高、という見方に疑義を持っていました:

ここもとの円安相場のドライバーは需給というよりも金利・物価動向の影響が大きそうではあります。既報の通り、5月22日にはイングランド銀行(BOE)およびノルウェー国立銀行が共に+25bpという市場予想を超える+50bpの利上げに踏み切ったことがサプライズを呼びました:

日本の視点に立てば、せっかく需給面で貿易赤字が縮小過程に入り円安圧力が落ち着いたところで海外のインフレ懸念が再燃し、内外金利格差から円安圧力が復活してしまった構図かと思います:

元より筆者はキャリー取引を行う環境が整いそうであることから「本当に金利差が因果関係をもって円安に寄与するのは2023年」という趣旨を強調してきました)足許では実際にそうなってきている印象を強く受けます。年始時点では「2023年後半は利上げの無い世界」という予想が支配的であり、FRBに至っては利下げ転換が当然視されるような雰囲気がありました。巷の円高予想はこの利下げ転換を前提としたものが殆どであったため、今のところ完全に外れてしまっているのが実情と見受けられます。本稿執筆時点では7月のFRBおよびECBの利上げが既定路線のように見られており、「2023年後半は利上げの無い世界」という前提に亀裂が入っています

もっとも筆者も7月に至ってFRBの利上げが検討されるとは想定していませんでしたが、FRBの利下げ転換は全く考えていませんでした。しかし、そもそも需給環境の変化を踏まえれば大きな円高はあり得ないという立場に重きを置いてきました。あくまで金利ではなく需給の影響力を重く見たことが、今のところ、予想が報われている背景と自己分析します。

とはいえ、FRBの利上げが9月まで持続するとなれば筆者にとっても想定外の円安リスクであり、150円台復帰という展開も否めないでしょう。年内160円といった予想は耳目を引きたいがためのストーリーも多く、よく読むと24年に利上げが続けば160円も、と身も蓋も無いストーリーだったりして、単に「この波に乗っておきたい」というだけの話も多そうです。しかし、アップサイドはまだあるのでは?という点は同意できます。

ただ、あまりにも円安への予想修正がこぞって始まっているので、ポジションの傾きも警戒したいところです。筆者は一足飛びに150円台定着のような議論にはまだ与せません。

 円安バブル時代と似た景色

現状は「円安バブル」と呼ばれた2005~2007年の雰囲気に似てきているように思えます。当時の状況を図に示すと以下のようなイメージになります:

当時も現在同様、日本以外の欧米主要国が連続的な利上げを行い、「世界で唯一のゼロ金利通貨」として円の特異性が際立っていました。円キャリー取引というフレーズは当時から頻繁に使われ始めたものです。キャリー取引は「金利の低い通貨を売って、高い通貨を買い、持ち続ける」という文字通り金利差(キャリー)の積み上げを企図した取引です。

キャリー取引において金利の低い方の通貨を調達通貨と呼びますが、調達通貨に選ばれるためには2つの条件があります。1つは金利先安観が安定していること(言い換えれば十分な金利差が当面見込まれること)。もう1つが潤沢な流動性を持つ通貨であること、です。さらに言えば、経常収支や貿易収支などの需給についても赤字構造であれば安心して調達通貨に選ぶことができるでしょう。当時の円は後述するように需給面では潤沢な黒字を抱えていましたが、大幅な内外金利差があり、しかもその安定が見込まれる主要通貨という立ち位置にありました。

頼りになる調達通貨があれば、あとは金融市場のボラティリティが落ち着けば調達通貨を売って、高金利通貨を買えばキャリー取引は奏功しやすくなります。2000年以降を振り返っても、05~07年当時ほどボラティリティが長期にわたって落ち着いていた局面はなく、この点でもキャリー取引に適した相場環境だったと推測されます:

「十分な金利差」と「低いボラティリティ」が安定感を伴えば、キャリー取引を持続するインセンティブにはなります

当時の日本では円安を背景に日本から海外へ薄型テレビを中心とする民生家電の輸出が盛んになり、大幅な貿易黒字が記録されました。亀山工場で製造されるテレビには「亀山モデル」というが付けらていたりしました。

円安と輸出数量増加、結果としての貿易黒字拡大が可視化されていたからこそ「円安バブル」という言葉が使われたのであり、「悪い円安」と称される現在との大きな違いがありました。

なお、ここで余談になりますが、『最近、「悪い円安」とはもう言わなくなったのは節操が無いのではないか』という論調をよく目にします。言わなくなったのはメディアの都合であって、実体経済に目をやれば実質賃金は大幅下落が続いています:

家計部門にとって円安が負担になっているのは厳然たる事実であり、利潤を積み上げている企業部門から家計部門へのスピルオーバーが持続するかどうかが焦点という議論は何一つ変わっていません。この点、確かに名目賃金の上昇は今年は見られていますが、その持続性を確信する時期にはまだありません。今後、1ドル145円という節目を慢性的に超えてくれば必ずまた「悪い円安」論は顔を出すでしょう。現在、「悪い円安」論が鳴りを潜めているのは、単に株価が上がっているうちは円安を責める議論が出にくいというだけであり、折しも資源高が落ち着いていることから円安の弊害が可視化されにくくなったという側面も相当大きいはずです。昨年言われていた議論が無くなったわけではなく、単に報じる側が関心を向けていないだけではないかと思います。
 
円安バブル当時と比べるともはや「別の通貨」
しかし、当時と現在で違う点が2つあります。1つは利上げペース、1つは需給環境です

まず前者に関しFRBを例に取った場合、2005年1月から2007年7月までの30か月間で+300bpの利上げが行われた一方、今回は2022年3月から2023年6月までの15か月間で+500bpの利上げが行われています。史上稀に見る急ピッチな利上げはインフレ急伸に対応した政策対応であり、この戦いはまだ終わっていません。世界が異例のタカ派姿勢を貫く中でも日銀は緩和路線の堅持をアピールしており、「十分な金利差」とその安定感という意味では2005~07年当時を凌ぎます。前掲図に示すように、ボラティリティが当時よりも高いことをどう評価するかですが、当時以上に「十分な金利差」が期待できるならば変動にも耐え得るというのが合理的な考え方ではないでしょうか。

しかし、何よりも2005~07年の円安バブルと現在の決定的な違いは需給環境です。上で調達通貨に選ばれるためには「金利先安観(十分な金利差)が安定していること」と「流動性がある通貨であること」の2つの条件があると述べましたが、現在はここに「調達通貨の需給が崩れている(売り超過である)」というダメ押しの条件まで加わっている状況です。

数字で比較しましょう。貿易収支(国際収支ベース)で言えば、2005年が約+11.8兆円、2006年が約+11.1兆円、2007年が約+14.2兆円と常に10兆円の大台にありました。これはこの時代に限ったものではなく、現行統計(BPM6ベースの国際収支統計)で遡及可能な1996年からサブプライムショックが起きる2007年までの12年間、10兆円を下回ったことは2回(1996年と2001年)だけで、同期間の累積貿易収支は約+149兆円の黒字に達しているます:

この結果、2007年の経常収支は約+24.9兆円と史上最大を記録しました。片や、2011年から2022年までの12年間で累積貿易黒字は▲24.2兆円の赤字でいした。もはや需給面では「別の通貨」と言って差し支えないでしょう

2005~07年当時は圧倒的な円買い実需を背景にしながらも「日本だけゼロ金利だが、主要国は軒並み利上げ」という分かりやすい構図が定着し、低位安定するボラティリティも相まってキャリー取引が盛んになりました。しかし、キャリー取引は投機色が色濃い取引です。サブプライムショックそしてリーマンショックを経て金融市場のリスク許容度が棄損し、積み上がったキャリー取引が一気に巻き戻しを強いられました。残るは「実需の円買い」であり、その後、数年にわたる超円高時代が始まったのは周知の通りです。つまり、当時は「投機は円安、実需は円高」でありました。
 
「投機は円安、実需は円高」から「投機は円安、実需も円安」へ
これに対し、今は「投機は円安、実需も円安」です2007~2008年は米国の金融政策がハト派に振れれば実需の円買いが顔を出す環境にありましたが、今はそれがありません。よってFRBが利上げペースを落としたり、政策金利を高いまま据え置いたりする決断程度では円高に振れないのは当然と言えるでしょう。

現状、円安が円高に反転するとしたら「売られ過ぎたから」くらいしか理由が見当たらないように思います。もしくは今年3月のように金融不安などの勃発からFRBの利下げ期待がにわかに高まる展開や本邦政府・日銀による為替介入くらいでしょうか。つまり自律反発と不測の事態に期待するくらいしか、円高への転換は起こりようが無いのが現状と見受けられます。

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