「有識者会議」はなぜうまく機能しないのか?
6月末、わが国のコロナ対策を主導してきた「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の廃止が突如発表されました。設立も突然でしたが、廃止もまた突然。(設立については、「新型コロナウイルス感染症対策本部決定」という一枚紙がアップされているだけです。)
<法的根拠のない専門家会議体>
医学的見地からの助言を行うことを目的に設置されたわけですが、各種メディアで報じられている通り、法的根拠なき会議体であったわけで、このタイミングで一旦整理するというのはわからなくもありません。
しかし、そもそも法的根拠のないまま会議体を設立し、その会議体に政策判断に大きな影響を与える「助言」を求めるという手法を取ったことは、反省すべきではないでしょうか。参加した専門家に過大なリスクを負わせることにもなりましたし、国民にも戸惑いを生じさせました。(*誤解の無いよう補足させていただけば、有識者会議を非難する意図は一切ありません。自身も多くの政府委員会に参加していますが、膨大な時間をとられ、責任も問われる委員会に協力するのは、ひたすら公のためと思うからです。)
<事後検証のためにも、会議体の位置づけの明確化・プロセス論は重要>
有事において、そのようなプロセス論を気にしている余裕がないというのもわかります。
しかしながら、有事こそこうしたプロセス論を軽視してはいけないのです。
どんな政策もシングルイシューでは判断できません。というより、シングルイシューで判断してはいけないのです。例えばこのコロナでは、「命を守る」と言えば聞こえは良いものの、そのために経済活動をすべて停止させれば、経済的な死を招くことが明らかになりました。結局はさまざまな状況を勘案してバランスを取るしかない訳です。専門家はある専門分野からの知見、シングルイシューの情報提供はできますが、それを政策に落とし込む責任は政治と行政が負うべきものであり、重い責任を伴います。
法的な位置づけが不明確なまま集められた専門家会議のメンバーに負わせてよいものでは決してありませんし、事後検証するためにも、誰がどのように判断するかを明確にしておく必要があります。足元の政策判断に対する国民の納得を得るためにも、事後検証を行い今後の厄災に備えるためにも、プロセス論を軽んじてはいけないのです。
<原発の安全規制でも同じ問題が>
同じように「有識者会議」が混乱をもたらしている例があります。原子力発電所の安全規制です。
6月下旬にでたこの「敦賀原発、データ無断修正 問われる審査体制」では、記事の中段にさらりと
「原電は掘削調査のデータなどを示して活断層を否定してきた。一方、規制委が設けた地質の専門家らでつくる有識者調査団は15年に『2号機直下に活断層がある』との評価書をまとめている。」
とあります。
これだけ読むと読者は、有識者調査団の評価を絶対的なものに思うでしょう。しかし、この「有識者調査団」は法律上の位置づけはなく、構成もはっきりしないということが国会で複数回指摘されているものです。
例えば、第189回国会の参議院「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」の平成27年5月13日の議事を見ると、原子力の安全規制のプロセスの透明性に疑問が呈されており、「有識者会議、これは法律上の規定になく構成もはっきりしていない。」という指摘が自民党の阿達雅志議員になされています。
また、滝波宏文議員からは有識者会議の運営として、ピアレビューに対する対応が不十分であるとの指摘も出ています。これではその専門的知見の集約としての評価書の位置づけに疑問を持たざるを得ません。
また、同会議の7月8日の議事では、次世代の党の中野議員から、委員の選定基準に対する疑問も呈されています。
有識者からのヒアリングなどは様々な規制行政の中で行われるものであり、全てが法的な位置づけを要するとは考えていません。しかし、意見を聞いた側(ここで言えば、規制委員会)が、自らの責任において、その有識者の意見を妥当と判断すると結論付けねばならないはずです。
こうしたやり取りが繰り返されていることからも、この有識者会議の運営や規制行政における位置づけににかなり課題があることが見て取れます。
<法治国家として、問われる行政手続きの明確化>
阿達議員が平成27年5月13日の質疑の中で、「規制委員会、やはり法律に基づくしっかりした行政ということで、できる限り事前に文書という形でルールを明確化して、その手続にのっとって運営を行っていただきたいと切に願う。」と述べていますが、行政機関がその手続きルールを明確化できていないのであれば、そもそも法治国家として問題ですし、手続きに不透明性があるのであれば結局原子力安全に対する国民理解が得られることはないでしょう。結果、莫大な安全対策投資が無駄になることにもなりかねません。
残念なことにこの記事は、そうした背景について一切触れていません。こうした根源的課題こそ、新聞と言うメディアの取材に期待したいところなのに・・。
あわせて指摘すれば、続く段落で
「さらに20年2月、規制委の指摘で断層データの無断書き換えが発覚した。断層の活動性の評価に影響しかねない記述を10カ所以上直していた。6月4日の審査会合では計80カ所の書き換えがあったとし「特定の意図を持って変えた事実は確認できなかった」(和智信隆副社長)と陳謝した。」
とあります。しかし、この文章、どこか違和感を覚えませんか?
「特定の意図を持って変えた事実は確認できない」としながら、なぜ陳謝するのか。
規制と事業者の関係性に歪みがあるからです。圧倒的に「お上対下々」の構造なのです。
この件については、コミュニケーションに齟齬があったことを「原子力規制の問題ー「お上と下々」の構図が生む不健全性ー」で指摘しましたので、そちらを参照いただければと思います。
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