戦争が始まったら若者は逃げるというけれど…
戦争なんて大抵は誰だって嫌だろう。殺されたくないし、誰かを殺したくもないだろう。しかし、今もなお世界のどこかで戦争が続いている。それは、戦争を自己の目的の手段として活用したい人間がいつの時代にも一定数存在するからだ。
戦争をはじめる為政者は必ずこの決め台詞をいう。「私は平和を願ってきた」と。「しかし、その平和を脅かす者が現れた以上、私たちは私たち自身を守るために立ち上がらなければならないのだ」と。
戦争が始まるまで「戦争反対」を唱えていた新聞だって、掌返しで戦争メディアに様変わりする。なぜなら、そうした方が儲かるからだ。日本でも先の戦争でほぼすべての新聞がそうなっている。
「死の商人」と呼ばれる武器を扱う会社も戦争を欲している。ちなみに、デュポンという会社は火薬の製造で、第一次大戦~第二次大戦にかけて大儲けした。石油王のロックフェラーもそうだ。金融王のJ.P.モルガンは、戦争のたびに敵味方関係なく多くの国の戦争国債を引き受けて莫大な財産を成した。日本でも、朝鮮戦争の特需があったからこそ、戦後復興が可能となった。
「戦争」というものひとつをとっても、それは立場の違いや見る視点によって変わる。
さて、ウクライナの例や台湾あたりのゴタゴタなどにより、日本人にとっても戦争が遠い存在ではないことを実感した人も多いだろう。
世論調査では、防衛費増額そのものに対しては反対より賛成が上回っている。
しかし、だからといって、この賛成の人たちが、いざ戦争が始まったら戦うか?といったらそうではない。「誰かが戦ってくれるだろう」という前提の上での賛成なのである。
先日「若い世代は戦争が始まったらみんな逃げる」という話を聞いた。しかし、これは若い世代だけじゃない。日本人はみんな逃げる。正しくは戦うことから逃げる。
世界価値観調査で「戦争が始まったら国の為に戦うか?」という質問に対して、日本は最下位レベルの13%しかいない。若い人だけではなく、中高年以上の世代ですら2割に達しない。しかも、年々低下している。アメリカやロシアの中高年が70%あるのとは対照的である。
「これだから、平和ボケの日本人は…」と怒り出す老人界隈もいるかもしれないが、別に今だからじゃない。戦前の日本人も同様だった。
戦前の日本には徴兵制があったが、多くの日本人があの手この手で徴兵逃れをしていた事実がある。
徴兵令が陸軍省から発布されたのは、1873年(明治6年)だが、当初は、お金で徴兵を逃れることができた。現在の貨幣価値にして、300-500万円程度だったそうで、10年間に2000人ほどがこれで徴兵逃れをした。まあ、金持ちのボンボンだろう。当然、「金持ち優遇策だ」と批判され、1883年(明治16年)廃止。
次に流行ったのが「養子制度」の活用。なぜなら、当時、長男は徴兵されない特例があったためだ。長男になるために、世の次男坊、三男坊は子どものない家の長男として養子に出た。そのうち、書類上だけで誤魔化す輩もでてくるし、多分そういうビジネスも横行したのだろう。
やがて、政府から「養子縁組の数があまりに多い」と、1889年(明治22年)にはら、長男も徴兵されることになる。とばっちりを受けたのは本来の長男たち。
徴兵免除として有名なのは学生さん。文部省が指定する高校や大学、専門学校に進学している場合、26歳まで徴兵されないことになっていた。だから大学進学率が増えた。しかし、これも「学徒出陣」が発動されることになる。
海外留学生は徴兵免除という制度もあったので、留学生の申し込みが増大したこともあったらしい。
しかし、金もない、学もない大部分の一般庶民はどうしたかというと、兵役検査に落ちるためにわざと病気になったり、場合によっては片目をつぶしたり、手足を切ったりして兵役逃れをしていた。兵役検査の相当前から断食の上病的に激やせをして、規定体重未満での兵役逃れを画策した者もいた。
兵役検査の段階になったら行方不明になった若者もいる。逃亡である。しかし、大体すぐ捕まえられた。
「わざと罪を犯して刑務所に入る」という、もはや手段を選ばない奴も出た。6年以上の懲役なら徴兵を免れるからだ。しかし、6年以上はかなりの重罪で、それこそ戦争で人を殺したくない・殺されたくないばかりに、何の罪もない一般人を殺すという、もはや矛盾した行動も生まれる。
それくらい、戦前の日本人とて、「戦争なんかごめんだ」と思っていたわけである。
ところが、いざ、太平洋戦争が始まった頃になると、特高警察も熾烈になるとともに、「不法に徴兵を逃れた場合、家族に責任を取らせる」という民の空気感が蔓延し、まさに市民が市民を監視する社会になった。自分の息子が兵役にとられた親は、鬼の形相で地域の住民を監視し、密告をする。かつては自分も「戦争なんて御免だ」と言っていたオヤジたちが、目の色を変えて「お前の息子も戦争に行けや。行かないなんて非国民だ。こらしめてやる」と変貌するわけです。こうなると、若い男性たちはもう逃げられなくなる。
思っていることと真逆の事を、いざとなったらさせられてしまう。そして、その行動を作り出すのは本人の意志ではない。その時の空気感だったりする。
何が言いたいかというと、平和な時の意識とか関係ないという話。いざ、戦争が起きて、社会の空気が一変したら最後、以前の意志も主張も通用しなくなる。コロナ禍の最初の頃のマスク警察とか自粛警察も似たようなものだろう。
戦前の日本のようにはならないと思っている人が多いかもしれないが、1923年の関東大震災→1929年の世界恐慌という流れの中で、比較的自由だった大正時代とは一変した空気が徐々に作られていったことも事実。いつ、「今が戦前」になってもおかしくない。
「マスクは個人の自由」といわれて一か月もたっているのに、相変わらず東京駅のラッシュ時のマスク装着率は85%もあるらしい。個人として「戦争が起きたら逃げる」と思っていても、大体の人間は実際の行動としては逃げない(逃げられなくなる)のだろう。
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