酢が入っていない寿司―スペインで日本を感じる(上)
表面的には、コロナ禍はなくなっていた。しかし見えないコロナ禍影響・変化が濃厚に刻まれていた。そんなスペインとフランスを歩いてきた。
「日本に勝る国はありませんよ」と、スペインのマドリードの空港に着いて不意に語ったベテラン添乗員の呟きから、旅が始まった。
1. スペインで、日本を感じる
海外に行くというということは、日本を見つめ直すことでもある。スペインを歩きながら、日本を感じた
日本はすごいな
そう、感じる事柄も多い。しかしそれは日本が営々と何世代もかけて築きあげてきた良さであり、美であり、強さである。それらは、日本に残っているモノ・コトも多いが、消えつつある、すでに消えてしまった事柄も多い
日本は生産性が低い
DX化、AI化が遅れている
たしかに、そう。日本は、それらは、抜本的に変えなければならない
目に見えるモノ・コトは、見ようとすれば見える。しかし目に見えないモノ・コトは意識しないと見えてこない。それらを創りあげるには時間がかかるが、気に留めないと、なくなってしまう。それらは、失ってから気がつくことが多い。そのなかに
変えていけない日本の価値観があった
戦後74年、とりわけこの30年間に蔓延している効率論やコスパ論で、消えてしまった事柄がある。日本が失った、失いつつある価値観、日本の良さ、美、強さがあるのではないか?その所在を探しに、北スペインとフランスを歩いた
2. 酢が入っていないスペイン寿司屋
日本でうまれた寿司が世界料理となって久しい。アメリカやイタリアでも多かったが、スペインでも寿司店が多かった。海外の寿司店の大半が日本人経営ではないというが、店名やメニューが日本で使わない漢字が使われている
マドリードで知り合った日本人から、こんな話を聴いた。新しい寿司店がマドリードにできたので、行ってみた。一口食べると、なにか変。寿司のカタチはしているが、味は寿司ではない。酢が入っていない。そこで
「シャリに、お酢が入っていないよ」
と、その寿司店の料理人の中国人にアドバイスをしたが、怪訝な顔をされた。その店がその後に酢飯にしたかどうかは知らない
寿司は、ご飯の上にネタをのせるだけでいい
…そんな簡単な料理に見えるかもしれない
寿司は、そんなに簡単なものではなく奥深い。時間をかけて下準備をして、手数をかけて仕込み、ご飯もネタごとに温度管理して、お客さまの体調・コンディションを観察して調整して、心を込めて握り、絶妙なタイミングでお客さまにお出しするというプロセスをその店の料理人は理解していないのだろう。なぜか?
どこかの寿司店の見様・見真似で
寿司店は経営できると思っている
目に見えない本質をつかまず、目に見える事柄だけで寿司をつくろうとするので
寿司のようなものになってしまう
寿司のマニュアルを読んだだけで、本物の寿司がつくれるものではない。ユーチューブで寿司の映像を視ても、技の習得には限界がある。本当の寿司職人になりたいならば、日本人の寿司職人に学ぶほうがいい。日本人は師匠を選んで学ぶ。西欧人も日本人職人から学ぼうとする。しかし中国人や韓国人は、日本人から学ぼうとしない。なぜか?
ブライドが許さない
3. 日本を創りあげた日本の学び
学びのスタイルが違う
中国も韓国も日本も、同じ中華文明である。漢字文明の発祥は中国で、中国から東アジアに拡がった。中華文明が拡がるなかで、中国、韓国、日本それぞれの文化に変換・進化していった。だからそれぞれの文化は
似ているけれど、違う
違うけれど、似ている
この文明から文化に変換するプロセスは各国・各地で違う。この変換のプロセスの方法が学びのスタイルであり、文化を生む方法である。 日本の文化への変換システムは
「守・破・離」という学びに収斂される
ビジネスもそう
商品やサービスには独創性が必要だというが、独創性はやすやすと生まれてくるものではない。ビジネスの基本は真似。上司・先輩のやり方を真似る、同僚を真似る。どこかで、どこかの会社がしたことを真似る。過去に話題になったこと、売れたものを真似る。そこに、ちょっと工夫したり、すこし現代風にアレンジしたりして、自社のモノ・コト・サービスにする。それがビジネスであるが、現実のビジネスがうまくいかなくなってきているのは
真似する人・会社の選択が間違っている
ビジネスの学びの基本も、芸事と同じく、「守破離」である。ベンチマークとかいったりするが、真似が基本。その真似したあとが大事。真似したあとに、類推(アナロジー)する
あるモノ・コト・サービス〔A〕を観て、聴いて、学んで、それらを自ら・自社の知的基盤〔B〕に格納して、融合して、類推して、新たなモノ・コト・サービス〔C〕を創造する。これが日本の方法論であった
しかし酢が入っていない海外の寿司屋を、現在の日本人は笑えるだろうか?私たちも、そうなっていないと言い切れるだろうか?日本の学ぶが変わってきているのではないだろうか?
4.スペインの農業一揆に遭遇した
スペインで、農業一揆に出会った
農家の方々が乗るトラクターが道路を占拠していた。ドイツ・オランダ・ポーランド・ルーマニアなど連鎖的におこった農民のデモは、フランス、イタリア・スペイン、そして欧州全域に農業一揆が拡がっている。トラクターに乗り、高速道路や基幹道路を低速度で行進して、交通・物流を麻痺させる
農家の人々は、何に抗議しているのか?農業政策改善、CO2税の増税、ディーゼル燃料への補助金削減などの環境・エネルギー政策、ウクライナ支援策、安価な農作物の輸入、小売業者から値上げ圧力など各国政府・EU政策に抗議をしている。一般市民も、トラクターでデモしている農家に共感して、応援している
欧州の食料自給率は総じて高い。フランスの自給率130%、スペインの120%など、日本の38%と比べて、欧州における農業の位置づけは高い
農業の考え方が日欧で違っている。日本人は、スペインで街の商店やスーパーの売り場に並べられる、新鮮な野菜・果物・魚介類は多種多様な豊かさに驚き、市場やバルに並ぶピンチョスの美味しさを覚える。一方、スペイン人は加工食品・調理済み惣菜のスーパーの売り場やデパ地下の惣菜・スイーツ売り場の賑わいに驚く。どちらがいいのかではない。両国の
食文化が違う
たとえばフルーツ。
西欧人にとってのフルーツは、もともと水分をとるためのものであり、絞ってジュースを飲んだり、お菓子の材料となるものであって、フルーツの味を楽しむために食べる食文化ではなかったという。現在、高級フルーツは
日本が世界一かもしれない
古代において日本では砂糖の入手が難しかったため、果物が旬の行事の「甘味」の水菓子となり、珍重されていた。その後、明治以降に農業技術が飛躍的に進歩したことに伴い、高級フルーツが開発され、近年、加速している
30年前ならば、入院患者さんへのお見舞いや記念日の贈答に、「メロン」を使うことが多かった。フルーツは贅沢品であり贈答品だった。さらに食のグローバル化に伴い、食の多様性が進み、野菜やフルーツをさらに美味しく、美しく、洗練させていった
これら高級で洗練されたモノを創りあげる方法が日本の方法であり、他と違う独創性を生み出す
日本を創りあげる方法がある
日本性=機能性×(精神性×洗練性)×多様性
日本性を発揮するのは、料理や高級フルーツだけではない。モノ・コト・サービスも、然り。日本性を生み出す方法がある
日本が忘れてしまった
日本が忘れつつある
大切な方法があるのでは
スペインをまわりながら、そう感じた。他にもある。世界有数の美食都市と言われているサンセバスチャンで感じた「日本性」を次回、考えたい