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AIが新ラグジュアリー的世界の扉を開ける。

冒頭の写真はイタリアの高級ファッションブランド企業、ブルネロ・クチネリのプレス発表の1シーンです。7月16日、ミラノのピッコロ劇場で世界各地からもジャーナリストを招待し、AIに基づいたサイトのお披露目を行ったのです。

「エンジニアの学部に一時在籍したが退学し、今、自分ではネットも限定的にしか使わず、ChatGPを使っていない」と告白(?)するダブルのスーツを着たクチネリの周囲には、今回のプロジェクト責任者や開発者などが並んでいます。

本プロジェクトの意図は以下のイメージに込められています。人の知性と人工知能の間に愛が生れることを願っている図です。

ブルネロ・クチネリの本社があるソロメオのAIは手書きのイラストが主役を演じる(ソロメイは中世の時代の表記)

クチネリがAIに関心を示しているのは知っていましたが、プレス会場での発表だけでは彼らの企業戦略が即分かったとは言い難く、その後、数日、広報資料や英伊のメディア記事も読みながら考えてみました。特に、トップブランドの企業が、この今、β版のAIサイト発表にこれだけの規模のイベントをなぜ企画するのか? 残念ながら、その理由がぼくには容易に想像つかなかったのです。

そこで同企業の動向を10年ほど追ってきた人間として、彼らの戦略をぼくなりに想像してみました。その見立てを書いてみましょう。

結論として、彼らの経営判断を推測してみればみるほど、面白いことを考えている! と思いました。尚、AI動向について事細かに追っているわけではないので、そこに読みのミスがあればご指摘ください。

なぜ、ピッコロ劇場が会場に選ばれたのか?

ぼくの知る限り、およそ1千人の席があるこの会場でプレス発表が過去開催されたのは、2回です。1回目は2014年、本社のあるウンブリア州ソロメオ村の田園風景を美化するプロジェクトのためです。2回目は2021年、蔵書4-50万冊のユニバーサル図書館の設立発表です(現在、7万冊ほど集め、2025-26に開館を目指している)。どちらもブルネロ&フェデリカ・クチネリ財団のプロジェクトであり、社会貢献がメインになるものです。

しかし、今回は財団ではなくブルネロ・クチネリのビジネスに直接的に絡むものとして、この会場が使われました。ビジネスに絡むとは云うものの、対話型ソロメイAIはクチネリの企業理念や歴史などに特化しています。即ち、人間主義的経営の根幹の情報に限定されているのです。Eコマースなどとの統合は1-2年後にあるとしても、そこがAI導入の入り口ではない―。

その観点では、風景美や図書館との関連性がとても強い。人の生きるベースとしてAIを位置付けている―この姿勢を強調している。とすると、過去の言説に遡りやすいピッコロ劇場は最適であると考えられます。

人の生きるコミュニティーにズームアウト/ズームアップで迫る

このサイトのインターフェースを使ってみると分かりますが、グーグルマップにあるようなズームアウトとズームアップ、それから水平移動です。メニューやページというストラクチャーとは縁を切っています。後述するリード・ホフマンの表現を借りるなら、タペストリーのような空間です。

余計な情報に「汚染」されないように注力している(ソロメイAI)

このストラクチャーをみて即思い出したのは、米国のデザイナー、チャールズ・イームズとレイ・イームズの夫妻によって1977年に製作された映像「パワーズ・オブ・テン」です。視野面積を増加させると宇宙にたどり着き、減少させると人の細胞に入り込みます。

これと同じ視野の持ち方が、ソロメイAIに適用されていると思いました。そして、このパースペクティブのベースにあるのは、ズームアップとズームアウトをくり返せば、ソロメオという小さな村を通じで世界のすべてが見えてくる、との考え方です。

逆に、世界のなかで生じている争いも、災害も、どれもが自分たちの日常生活のなかに忍び込んでくる、ということでもあります。日常生活の理解の重要性について忘れてはならないということを、このサイトを通じで常にリマインドされる、と表現してよいでしょう。

ローカルに居続けるのは視野狭窄を招くのではないか?との疑念を一掃してくれます。

図書館にある本のテキストには踏み込まない

前述したように、ズームアップで(ぼく自身のソロメイAIへの勝手な比喩ですが)細胞レベルまで迫るとすれば、図書館に所蔵される本の中身も世界どこからもアクセスできるようにするのだろう、と想像しやすいです。

しかし、クチネリはきっぱりと言います。会場からの質問に対し、次のように答えていました。

ネットでたどり着けるのは書名まで。本のテキストは実際に図書館に足を運んで読んで欲しい。

AIの将来に大いに期待し、それに投資しながら、その線引きについては明確にしているわけです。本がもつ物理的な重みや紙の匂いから、その本のコンテンツを身体的に摑まえるとの実感を失ってはいけない、と。

紙の本の読書体験が人類にとって必須のものであり続けてきたか?は慎重に答えないといけないです。しかし、現時点で物理的な書籍の意味を積極的に評価するためにも、AIの力を適切に評価していくとの姿勢が欠かせないのです。

職人仕事を重んじる企業であるからこそ、AIを正当に評価する

紙の本とAIの関係を、職人仕事とAIの関係にも置き換えられます。AIが職人仕事を奪うのではなく、より質の高い職人仕事を促進するように使われる、という次元の話だけではなさそうです。

もっと広範囲の領域にいる人たちの背中を押す、との狙いがあります。

ブルネロ・クチネリのような職人の尊厳やその仕事の大切さを世の中に大きな声でアピールする存在であるからこそ、新しいテクノロジーについても語り合える相手である、と見なされないといけません。

それによって職人たちがより自由にテクノロジーを使える環境になるはずです。あるいは若い人たちも、自分たちにあった職人仕事のあり方や世界観を独自につくろうとの意思を働かせるでしょう。それらを後押しします。

ブルネロ・クチネリのつくる服の7割は手仕事によります。だからこそ、AIの推進者として適当だといえます。この流れで、昨年、Forbes JAPANの連載にぼくが書いた文章を思い起こしました。丹後を訪れたイタリアのテキスタイルメーカーの社長の語りです。

「生産できる生地が着物用の幅である30センチしかないのは大きな問題だが、洋服やインテリア用途にあう生地をつくる機械に投資しづらいという事情が分からなくはない。仮に日本の外でも市場を求めようとするなら、最大の課題は機械そのものもさることながら、生産性と国際的なビジネスをするメンタリティではないか?」とビジネス上の障害に言及するのも忘れません。

今後も丹後で、既に欧州では博物館でしか見かけないような機械で生地を織り続けるならば、逆に管理的な領域にはデジタル投資を徹底すべきだろう、と考えたそうです。それにより、クリエティブ領域にさらに時間とエネルギーを注げます。先週、ミラノの郊外にある高級家具メーカーの工場をたまたま見学しました。そこには最新のレーザー機械やミシンなどが並んでいるのですが、同時に古いミシンもあります。それを「私たちはお金がないから、古いミシンをまだ使っているのではない。スローなミシンはエラーをおこしにくく、クリエイティブな作業ができるからだ」と説明していました。

また、「明日、生産する量が頭のなかだけにあり、人とのアポをとるのに電話だけに頼る会社と一緒に仕事をしようとは思わない」という言葉も続きます。

https://forbesjapan.com/tag/detail/postluxury

なぜ、プレス発表を急いだのか?

急いだ、と表現して良いかどうか分かりませんが、見るからに急いだ印象をうけました。イメージを大切にする企業のβ版での公表もそうだし、このプレス発表への参加を打診されたのも1か月前です。

生成AIの導入やそれを巡る議論が熱を増しているのは言うまでもないです。ラグジュリー領域も例外ではなく、高級ブランド企業がビジネスに直接的に貢献するAIを導入する、との記事を今春あたりから散見します。

また、ローマ教皇が6月14日にイタリアで開催されたG7サミットに出席し、AIの規制を訴えています。

AIについて「先進国と発展途上国との間の不公正」につながる恐れがあると指摘。「人間が自分自身について決定する能力を奪われる」ことがないように倫理面での観点から規制するように求めた。

ローマ教皇、G7サミットに史上初出席 AI規制を訴え

更なる詳細を知りたい場合は、バチカンニューズの記事を参照ください。

数年前からシリコンバレーのキーパスン達とかの地で、あるいはソロメオでITや人間主義的経営について話し合いを重ねました。その結果、2021年夏からAIに関するプロジェクト検討をはじめていたブルネロ・クチネリは、このような政治的・宗教的な大きな動きのなかで、何らかの形で社会に自分たちの目指す方向を早急に示す必要を痛切に感じたのでしょう。

そのためには、自分たちのビジネスに焦点をあてたAI活用は相応しくなく、風景美や図書館の延長線上であるのが適切です。繰り返しますが、もちろん、他の高級ブランド企業やローマ教皇の動向が明らかになる前から、この方向で準備を進めていたのですが、発表のタイミングがより重要になってきたはずです。

クチネリの判断の背を押したリード・ホフマン

毎朝、電話で話すというクチネリの長年の友人である建築家のマッシモ・デ・ヴィーコ・ファッラニ(冒頭の写真で右から2番目)が今回の件でも相談相手になっていました。しかし、彼もクチネリと同じくデジタル音痴であると自白(?)しています。

ブルネロ・クチネリのデジタル戦略に関わってきたChief of Humanistic Technology (人間的という言葉がついているのですね!)のフランチェスコ・ボッティイエロ(冒頭の写真の右端)が、そこにいるのは当然です。

クチネリだけでなく、これらの人たちを含めた背中を強く押したのが、LinkedInの共同創業者でもある、起業家・投資家でありAIに関するエキスパートであるリード・ホフマンです。

この5月、クチネリがいろいろと尽力し、ホフマンにはペルージャ大学より人間科学分野で名誉博士号を授与され、かつ9月にはAIに絡むプロジェクトが同大学で立ち上がることになりました。その授与式でホフマンが話した内容が、以下で聞けます。また読めます。

この内容のひとつひとつにぼくがコメントするのは無粋ですが、この内容を知れば、クチネリがこの講演録を何十回も読み返し、「私の人生を変えた」と語る背景がよく理解できます。

「古代から近代の哲学には大きな影響を受けたが、現代の哲学者の書いた内容にはあまり影響を受けない」と言うクチネリが、ホフマンの語る内容で人生が変わった、と言うのです。プレス発表当日、このセリフを聞いて、ずいぶんと大げさな、とぼくは正直思いました。

しかし、後日、ホフマンの講演録を読み納得しました。クチネリの今回のプロジェクトのコンセプトの基盤となる考え方を支えています。そのホフマンが「ソロメイAIのようなものをかつて見たことがない。早く出すべき」とアドバイスしたというのです。

新ラグジュアリーの文脈で読む

プレス発表から数日を経て、新ラグジュアリーの世界観を一歩前に進める新しい扉が開けた、とぼくは感じました。遅ればせながら、ですが。

新・ラグジュアリー ――文化が生み出す経済 10の講義』のなかで、ブルネロ・クチネリのユニバーサル図書館のプロジェクトを紹介しました。高級ブランド企業の創業者のアートコレクションが美術館として公開されるスタイルに「旧型ラグジュアリー」の匂いを感じていたぼくは、図書館をたてようとする志向を魅力に思いました。

個人所有物を一般の人に「見せてあげる」、または「本業のマーケティング戦略に活用」というのではない、別の視界が図書館構想にはあると考えたのです。当然ながら、アートのなかでもコモンズ的コレクションが議論されていますが、手で本に触り、多くの時間を一冊の本と過ごす経験を提案する人は、そもそもが別の方向を見ているのですね。

それが、ソロメイAIのインターフェースに表現されていたのです。ホフマンはT・S・エリオットの「私たちは探索を止めず、探索の最後になって、出発の場所にたどり着き、初めてその場所が何であるかを知る」との言葉を援用しています。

この言葉に沿えば、ぼくは今になってソロメオの風景美のプロジェクトの意味を知ったのかもしれません。

(時系列によれば、クチネリ自身も、風景美のプロジェクトとAIが繋がってくるとは予想だにしていなかったはずです)


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