アバターアイデンティティによるアバターソーシャルによるアバターエコノミー
お疲れさまです。メタバースクリエイターズwaka00です。
今日はメタバースについて。
「メタバース」というと、デジタルツインなど「空間」の方が思い浮かびがちですが、僕はメタバースでの体験においては「アバター」が軸だと考えています。
制作したワールドがグローバルで大反響
先週金曜日、VRChatというメタバースプラットフォーム上にメタバースクリエイターズが制作を担当したワールドが公開されました。このワールドは日本でまず話題になり、韓国や中国、タイのユーザーにも広がり、欧米英語圏でも人気に。VRChat内のワールドランキングでも、グローバルで新着ランキング1位、Trendの2位まで上がっています。
公開から5日で訪問者数はすでに6万人を超え、毎日のべ1万人が訪れている計算です。
このワールドはメタバースクリエイターズが提携している、北米のアバターマーケットプレイス『Avatown』からの依頼を受けて制作したもので、
クリエイターとAvatownとで議論し、企画を何度も練り直していきました。ワールドをつくる上で大事にしたのは、単なる宣伝ワールドではなく、VRChatのユーザーにとって役立つ、VRChatterコミュニティに貢献するものにすること。ユーザーコミュニティが盛り上がれば結果的に市場も広がります。クリエイターとは特にアバタークリエイターやアバターをカスタマイズして使うような、コアなユーザーに楽しんでいただけるものを目指しました。
アバターによるアイデンティティの拡張
アバターユーザーに便利な機能をワールドに盛り込みましたが、特に人気になった理由の一つは、アバターのいい感じの画像を自動で生成できるジェネレーターを設置したことです。
↓早速メディアでも紹介されました。
この機能を使うと、アバターが自動でいい感じにポーズを取って、いろんな角度から撮った写真を組み合わせ、こんな風にアバターのプロフィールや紹介用の画像を簡単に作ることができます。
これが期待以上の好評を博しました。
ツイッターで「#Avatar」と検索すると、日本だけでなく、韓国、中国、タイ、英語圏の方々がポストしている、色とりどりのアバターの写真をみることができます。(みてるだけで楽しいので↓のリンクを開いてぜひみてみてください)
この反響を見て、メタバースにおいて「アバター」がいかにユーザーにとって大切なものかを改めて実感しました。そして、アバターによる「アイデンティティの拡張」の可能性を感じたのです。
アバターによる「アイデンティティの拡張」には2つの方向があると思っていて、1つ目は「自己複数性」です。
Twitterの投稿をみていると、同じ人が何体ものアバターの写真を投稿しています。一人が色んなアバターで何枚もの画像をつくるので滞在時間が伸び、結果としてワールドの盛り上がりにもつながっています。
VRChatでは日常使いするメインアバターは一つですが、多くの人が何体かアバターを持っていて、イベント用や相手や気分に合わせて自分の姿を変えることができます。物理アバター(生身の肉体)では一つしかないのでせいぜいTPOで服装を変える程度ですが、「アバター・アイデンティティ」では複数の「自分」を持つことができるのです。
メタバースを体験したことがない人からすると、アバターを変えても自分は一人でしょ、と思うかもしれませんが、姿を変えると人格も変化する感覚があります。自己が一つだけの存在に固定される物理世界とはちがって、メタバースでは分人主義的にいくつもの顔を持つことができます。
かつ、「アバター・アイデンティティ」においては、主体の外縁も拡張する感覚があります。写真の投稿の中には、少なくない数、「うちの子かわいいからみて」というコメントがちらほら見られます。アバターは子供やペットのような愛着の対象にもなっているわけです。
アバターは自分自身でもありつつ、しかし同時に対象的な存在でもあり、かといって他者でもない、不思議な距離感を揺れ動いています。純粋な一人称ではない「1.5人称」な感じというか。だからこそ自分自身を自慢するといより「推し」みたいな感覚で気軽に自慢できるのかもしれません。
「物理身体疲れ」と「アバターソーシャル」
通常のアイデンティティとはちがう、拡張された「アバターアイデンティティ」同士で会えることはメタバースの面白みの一つだと思います。
特に20歳以下の若い世代では、アバターでのコミュニケーションが当たり前になっていて、その世代を見ていると、物理身体よりむしろアバターでのコミュニケーションがデフォルトになっていると感じます。
もうひと世代前、Instagram世代では、「セルフィー」という言葉が生まれたように物理身体としての自分をセルフプロデュースしたり、セルフブランディングしたりしていました。しかし今の世代はそうした物理身体への関心が減退しているようにも思います。
この背景には、ある種「物理身体疲れ」みたいなことがあるのかもしれません。
僕自身、メタバースに長くいて物理世界に戻ってくると、人付き合いの上でちょっと面倒だなと感じることがあります。物理世界で人と会うと、どうしても見た目の情報が先に入ってきて、それによってバイアスも生まれます。(女性や若い人だとみるとタメ口になるおじさんや、ルッキズムによる贔屓などなど)
しかし、見た目や性別、人種など、物理アバターの外見というのは、誰一人自分で選んだわけではなく、まったく偶然に与えられたものです。なのにそれにあまりに振り回されすぎるので、もう物理身体を気にしなくていい世界にいきたい。そういう「物理身体疲れ」があるのではないでしょうか。
いまや物理アイドル以上にVTuberや2.5次元アイドルが人気なのも、こうした傾向を示しているかもしれません。昔はアイドルになるには見た目が重要でしたが、見た目はガチャみたいなもので、本人の自己決定や努力と関係ない要素が大きいものです(もちろん見た目を磨く努力や見た目ではない魅力のある方もいます)。しかしアバターでなら、物理身体に依存することなくファンを集めてスターになる道も開けるのです。
自己の選択とは関係なくたまたま与えられ、変更することも難しいのにその重力に縛られてしまう「物理ソーシャル」に比べ、「アバターソーシャル」は軽やかな関係性を持てるのかもしれません。
進化した「アバターエコノミー」
アバターでコミュニケーションする「アバターソーシャル」がどんどん当たり前になってきています。
弊社でも、クリエイターの物理の顔をほとんど知らず、年齢や性別もよくわからない中でやり取りしています。無駄な物理側の属性に振り回されずに、とてもフラットなコミュニケーションができて楽ですし、「中身」で付き合っている、と言えるかもしれません。
「物理ソーシャル」がすべて置き換わるわけではないですが、今後「アバターソーシャル」の割合はどんどん増えていくでしょう。一日の中でアバターソーシャルで過ごす時間が増え、アバターで知り合い、アバターとしてコミュニケーションする人が増えると、ファッションなどのソーシャルツールは物理よりアバターのためのものになり、バーチャルファッション領域は確実に拡大していくでしょう。こうして「アバターソーシャル」の拡大に伴い、「アバターエコノミー」が発展してきます。
「アバターエコノミー」自体はこれまでなかった新しい概念というわけではありません。古巣DeNAのモバゲーをはじめ、アバターに服を着せたり武器を持たせたりする文化はありましたし、クリノッペ(なつかしい…)など育成系ゲームでペット的存在に服を着せたりして楽しむ消費行動はすでに確立されています。
ただし、技術の進歩によってアバターという存在の「質」は変化したといえます。ソーシャルゲームのキャラクター的なアバターとは違い、今のアバターは本当にそれになって生活することができ、他の人からもそのアバター=その人として認識され、アイデンティティを獲得しています。
そして「アバターアイデンティティ」の拡張性を持ってそれを使いこなす「アバターソーシャル」の割合が増えれば、アバターでの仕事も増え、最終的には、物理世界に今ある仕事の半分くらいはアバターでの仕事に置き換わるでしょう。
メタバースが社会である以上、大事なのは「人」の方です。メタバースの市場性を考える上では、(仮想の土地の売買などではなく)「アバターエコノミー」が非常に重要な観点だと考えています。