TM Networkにおける「藤井徹貫」が必要なように、ストーリーテリング・ナラティブ・パーパスが重要な時代にブランドには、社外ライター・エディターがいるといいかも。
CDを久しぶりに買いました。(ストリーミング配信の予定がなさそうだったので。)
高校時代、将来なりたい職業欄に「小室哲哉」と書いていた青年は、アラフォーになって、ただのサラリーマンになっていました。が、当時のキオクとキロクは褪せることなく、物理的なCDの存在感が減少した今でも、ストリーミングという手段によって、毎日小室サウンドに触れています。(「おっさんあるある」かもしれませんが、どんなに日々新譜がでて、聴き放題でも、結局日々聞くのは、青春時代を過ごした音楽になってしまっていませんか?)
藤井徹貫さんとは?
世間一般的には、「TM Networkのメンバーを知っていますか?」というと「Get Wildの曲しかしらないなぁ」からの「小室哲哉の!」と返事が返ってくるところですが、ある一定の閾値を超えた Fanksならば、accessの浅倉大介さんや、B'z松本孝弘さんまで含めたサポートメンバーまでも、想起してくると思われます。
インターネットがなかった当時、アーティストの情報源といえば、マスメディア、そして、深ぼろうとすると、CDショップ店頭のフリーペーパーや、音楽専門誌というチャネルに依存していました。そのチャネルから派生し、(当時ではレアだった)「メディアミックス」に果敢に取り組んでいたのが、TM Networkでした。当時、音源と映像以外のアーティストの世界観伝播、ファンとのコミュニケーションのために、「小説」にトライしていたのも、TMでした。
現実に行なわれたTMライブEXPOツアーのバックストーリーを、フィクションのストーリーを付与して物語にする、というなんてマニアックな構成なんでしょうかw しかし、情報に枯渇していた熱狂的なファン(Fanks)にとって、SNSがない時代に、アーティスト本人のキャラクターを知る(表のメディアでは知れない)情報に出会えることは、とても貴重な情報源でした。この書籍含め、いつも、どこかで、TMの活動の側にいたのが、藤井徹貫さんでした。TM Newworkとしてのアーティストの括りにははいってきませんが、TM史には欠かせない人物です。
今回僕が買ったCDのライナーノーツ(死語になりそう)も、彼によるものでした。
ライナーノーツを読んでいて思ったこと
このライナーノーツを読んでいて、ふと、企業のブランディングやマーケティングに置換をしてみました。
企業やブランドは、企業体自身が、自社の良い面・伝えたいことを、ありったけの美辞麗句を並べ、莫大な予算をかけ、企業主語で全面に打ち出していきます。それが、メッセージを伝えたい相手に、そのまま受け止められている場合もあれば、思ってもない方向に受け取られることもあります。直接的に口コミで伝播することもあれば、評判形成として、周囲の環境から形成されていくことも。
こんなふうに図解されたりします。
では、TMにおける藤井徹貫さんは、どこにいいるのか?どんな役割なのか?
こんな感じかな?と。
本来「音楽ライター」は、記者・ライター的な中立媒介者、アーティストのスナップショットを切り取り、魅力を最大限に伝えていく役割のはずなのですが、藤井さんの場合は、距離感でいうと、インサイドに入り込みつつアーティストの主観性も担保しつつ、外野からの俯瞰的・客観的視野をも包含して、Fanksのフロント役をも果たしている存在です。
企業でいうと、マーケティングでもなく、ブランディングでもなく、パブリックリレーション(PR)でもない役割。
ペイドにはなってしまいますが、PR TimesやNewsTVのサービスが近いかもしれません。
先日、日経MJにもこんな記事が。
これは、情報流布の過程において、第3者的視点による観察、整理があることにより、よりパワーを増すものではないか、と思いました。
昨今の「企業・ブランドコミュニティ」においても、中立者がコミュニティマネージャーをつとめていたり、インハウスエディターと名乗りつつも、企業主語に陥らず、客観視・一般的視野を主眼においたメディア運営をしていたりする事例もあります。
これは、内部理解を十分にしたアルムナイ(企業退職者)も役割を果たすかもしれません。過去、COMEMOにもテーマがありました。
みなさん企業自身のことを、藤井徹貫さん的に語ってくれる存在は、いますでしょうか?
余談ですが、日経では、「社史編纂」を支援してくれる事業もあったりします。(すごい)
身近に相談できる相手がいない場合、頼ってみてはいかがでしょうか?