「異論免疫」高めよう ~フィルターバブルとエコーチェンバーによる分断の罠
お疲れ様です。uni'que若宮です。
今日はちょっと改めてインターネット空間において気を付けたい対話のスキルについて書きたいと思います。
フィルターバブル
「フィルターバブル」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
SNSをはじめとするインターネットのメディアにおいて、個人の好みによって情報の出し分けが進むと、人によってそれぞれに見える景色は変わってきます。
フォローしたりミュートしたりブロックしたり、というような積極的な情報元の選択をせずとも、AIなどを活用したプラットフォーマーによる最適化でそれは加速します。
プラットフォーマーが「パーソナライズ」と称してユーザーが見たいと思うもの、興味を示すものだけを優先して表示するようになるため、ユーザーが「まだ」関心を持っていない情報や「ちょっと不快」とおもう情報は視界から消えていくのです。
こうしてそれぞれがあたかも自分を取り囲む「泡(バブル)」の中にいるようになっていくのが「フィルターバブル」です。そこはそれぞれに最適化されたcomfortableな世界であるとも言えますが、多様性が少ないモノカルチャーな世界になりかねず、自分にとって都合のいい情報が世界のすべてであるかのような誤認をしてしまいかねません。
エコーチェンバーによる異論免疫の低下
フィルターバブルによって起こる現象が「エコーチェンバー」です。
フィルターバブルによって自分の周りの「泡」の同質性が高まってくると、自分の意見に同調した反響だけが届き、それによって意見や思想が一方向に強化・増幅していきます。
これはいわゆる「イエスマン」に囲まれた「裸の王様」のような状態で、自分が間違ったことを言っていても誰も否定してくれないどころか、「その通り!」と持ち上げるので自分が「正しい」と信じるようになります。
ひとはそれぞれ小さな泡の中にいながら、似通った人とだけコミュニケーションをし、賛同ばかりをやり取りします。これはある意味では「快適」な状態です。泡の中には自分の感情を乱すような異物が入ってこないからです。仮に入ってきたとしてもすぐに「ブロック」や「ミュート」してしまえばさらに快適さは増します。
そしてこれはまさにプラットフォーマーが「ビジネス的に望むこと」でもあります。「快適さ」が増せばユーザーの滞在時間が長くなり、依存度が増していくからです。少なくともいやな思いをして「二度と来るか!」と離脱する確率が減ります。
しかしこの「快適さ」と引き換えに失われるものもあります。
異論免疫の低下によるアナフィラキシー
「快適さ」と引き換えに失われるもの、それは「異論への免疫」です。
フィルターバブルとそれによるエコーチェンバーの状態に入ると、自分とは異なった考え方に触れる機会が少なくなります。
こうしてほとんど自分に心地よい意見ばかりに囲まれるようになると、「泡の外」への想像力が低下し自分とはちがう考えが見えなくなります。そしてそれだけではなく、異論に触れる機会が減ることでそれに対する免疫が減ってきます。
これはとても不自然な環境です。
たとえば公衆衛生においても、本来私たちの周りには無数の雑菌が存在しています。こうした雑菌をすべて除菌しようとはしません。人間には免疫の機能が備わっていることによって雑菌と共存できるわけですが、無菌室にいると免疫が低下するように、「異論」に出会う機会が減ることでそれに対する耐性がつくられる機会が失われるのです。(「異論」は「雑菌」であり「雑音」ですが、それを排除(ノイズ・キャンセリング)しすぎると無菌室化する)
するとどうなるか。免疫がないためにフィルターバブルの中にほんの少しの異質性が入ってきただけで、アナフィラキシーのような過剰な拒絶反応が起こります。
こうした過剰反応によって、しばしば「石の投げ合い」のような他者への攻撃が起こります。
また、免疫が低下した人は見知らぬ人に対してだけでなく、少し前まで仲がよかった人でもちょっと自分とちがう意見を言われただけでそれを排除するようになります。心理学的には「黒い羊効果」というのがありますが、自分の「身内」の中に発見された異質性は攻撃され、排除されるのです。
この結果としてフィルターバブルはより同質性が高い状態になり、分断が進みます。
カルト化し高まる攻撃性の悪循環
それぞれの「泡」が小さな共同体としてありながら他の共同体とのバランスもとって共存しているうちはよいですが、エコーチェンバーと異論免疫の不全により「他者」を全く受け入れられないようになると「カルト化」の危険性があります。
自分が信じる人だけに囲まれて同調され続け、異論は攻撃し排除する。そうしてそれぞれの世界が分断され、別の論理をもつ敵対国のようになっていきます。特定の思想だけが固まった集団の他の集団に対する異論は「攻撃」になりやすくなります。正しいのは自分たちで間違っているのはそっちだ、とそれぞれが信じ切っているからです。
こうした状態ではさらに「異論」との対話は難しくなります。AとBという(カルト化した)集団があり、BがAに述べる異論はしばしばすでにして攻撃的です。そしてAはAで日頃異論に接していず免疫が低いため、過剰な反応でそれを打ち返します。するとそれを「反撃」と感じたBはさらにヒートアップして…エコーチェンバーとは逆に対抗性の悪循環により他者に対する攻撃性が増幅されていくのです。そしてまた相手の攻撃性はさらにA、Bそれぞれの内集団的同質化(お国のために!)を推し進めます。
「異論」のスキル
そもそもSNSは「承認欲求」をドライブさせる装置でありその技術を高めてきたものです。「いいね!」が原動力であり、人は「承認」を求め、「承認」が快感になってしまうわけなので、簡単にエコーチェンバー化してしまいます。
こうした事態に陥らないためにはインターネット上のコミュニケーションにおいても「異論」が一定の比率で入ってくる空気穴をつくっていくことが重要ではないでしょうか。
具体的はたとえば、
という方法もありかもしれません。自分はこうだ、と意見をもっていることでもそれを最初から意見として一方的に発するとそれに同調する「いいね!」な反応の比率がどうしても高くなります。(そして「異論」はそこに見える化されにくい)
インターネットでは複数のアカウントをもつことができますし、複数のコミュニティに属することが可能です。リアルとSNS1とSNS2とSNS3とというようにいくつか居場所がもてるなら、できるだけそれぞれが被らないような少しずつ異なる空気の場にいるようにするのもお勧めです。
意識していないとどうしても居心地の良い同質的な場ばかりになりがちなので、僕は意図的にそうした機会をもつようにしています。(すべての場に積極的に関与しなくても大丈夫で、ただそこにいてみんなの話を聞いているとか眺めているだけでも十分です)
そして一番大事なのは「異論」が目の前に現れた時の対応です。
異質なものに出会うととっさに防衛したくなりますが、少し深呼吸して、落ち着いた状態で返事をするようにしましょう。簡単に「なるほど、そういう考え方もあるのですね」というだけでもよいのです。
せっかくの「異論」も攻撃的に打ち返すと相手は二度と異論を言ってはくれなくなりますし、インターネット空間では何も言っていない人もそのさまをみているので、「見せしめ」的にほかの人の「異論」も封じてしまうことになります。結局は異論がmuteされて届かなくなり、エコーチェンバー状態に陥ってしまいます。
ですから異論をニュートラルに受け止める、というのは相手を不快にさせないためというのもありますが、それよりも自分にとっての異論の機会を失わないためにおすすめしたいのです。
ただ、ここではっきりと言っておきたいのは「暴力」に対しては毅然と決別を宣言したほうがいいということです。SNS上で異論を聞かないのか?と言う人たちの多くが実は初対面でいきなり「は?」とか「バカ?」とか言っている人が多いのです。こうした時僕は「そういう暴力的な物言いだと聞けないのでブロックしないといけなくなりますよ」と言って、相手に改善がなければブロックすることにしています。対話ではなくただ相手を貶めることが目的の人に付き合っても消耗戦にしかならないからです。
なのでもし「異論」をきちんと相手に伝えたいなら、伝え方も大事ですよね。
異論を伝える時、それが無駄な攻撃性を帯びてしまうとお互いに売り言葉に買い言葉の悪循環に陥ってしまいます。自分の主張が正しいと信じ切っている時であっても、それが相手にとっては「異論」であることを意識してできるだけニュートラルに伝えるようにしましょう。とりわけ感情的にならないように注意が必要です。「私はこういう考え方をしていて、こういう考え方もあることは知っておいてほしいです」というように、相手にいきなり同意を押し付けるのではない伝え方ができるようになるといいかなと思います。
いやそこまで人に気を使わないといけない?とかそれってトーンポリシングだろ!と思う方もいるかもしれませんが、上記のようにいきなり攻撃的に意見をぶつけるとただ見限られるか相手の攻撃性や同質性を高めるだけなので、フィルターバブルやエコーチェンバーによって異論免疫が下がりがちな現代では、まず「異論」として相手の見えるところにおいて、そこから対話が始められていくといいのかなと思っています。