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アートに対する心変わりーイタリアの絵画に関心がもてるようになった。

長くイタリアに生活しながら、イタリアの近世以降・現代以前の絵画にあまり興味がありませんでした。恥ずかしながら、です。美術史家の高階秀爾さんの言葉を借りるなら、イタリアの近世以降の人間にあまり興味がもてなかったことになります。

「芸術研究とは、つまるところ人間研究だと思います。美術館では、作品の来歴などを明らかにする基礎的な研究はもちろん大切です。しかし、それだけではない。作品を通して、人間の活動の歴史を深く見据えていくことが重要です」。高階さんはそう語る。

ぼくの関心が中世・ルネサンス期と現代という2つの時代にかなり限定されていた、ということです。13世紀から16世紀あたり、イタリアの作品が西洋美術史のなかで必ず取り上げられる頃、です。その中間の時期、17世紀から19世紀の絵画には目があまりいかなかった。それが最近、イタリアの絵画全体にやっと関心がでてきたのです。

このあたりの絵画に以前は関心がなかったのですが、急に目覚めてきたのです。

その理由を自分なりに考えてみました。十分に分析しているわけでもないし、分析できるわけもないし、分析する必要すらないかもしれません。が、いくつか思い当たる節があるのでメモしておきます。ちなみに、ぼくはアートについて言及することも多いですが、まったくの素人なので寛容に読んでください。

最初はお決まりのルネサンスからはじまっている

イタリアで生活する前から、ご多聞に漏れず、ルネサンス期の名作は関心がありました。ラファエッロやミケランジェロの作品を見るためには時間を惜しまないようにするくらいの心得はありました。

マンテーニャの作品がしっくりくるようになったのはミラノで生活をはじめてから。

イタリアで生活をはじめてから、ルネサンス以前のアートにも親しみを覚えます。教会や美術館での鑑賞もありますが、ある時、イタリアの金融機関がもつ中世から20世紀までのコレクションの売却案件に関わり、一気にアートが近くなりました。

このコレクションはイタリアに留まらず、北ヨーロッパやフランスの作品も多数あり、西洋美術史をおさらいするような感がありました。その頃から、それぞれの時代にはそれぞれに価値がある作品があるとは意識しましたが、相変わらず18-19世紀のイタリアの絵画は主流には見てなかったのですね。

歴史を遡る最初の契機

デザイン史を知ることがファインアートの見方を変える契機になったとは思います。20世紀のイタリアデザイン史で名のあるデザイナーたちが、同世紀のはじめにおきた未来派という「当時の今風騒がしさ」が表現された運動に影響を受けていたと知り、未来派が視野に入ってきました。

未来派は絵画だけでなくデザインも範囲内

ミラノには900という美術館があり、ここには未来派の主要作品が展示されています。その同時代の未来派ではない作品も一通り見てはいますが、ぼく自身の注意の度合いとしては低かったのです。

そもそものところ、(イタリアの人も含む)たくさんの人たちと同じく、19世紀後半から20世紀前半といえば、圧倒的にフランスの絵画、あるいはフランスで活躍していた作家たちの作品が目に入り、話題になり、イタリア絵画はなんとなく冴えないと思い込んでいた感がありました。地味というか。

20世紀はじめの個人コレクションをみたのが分岐点のひとつ

ミラノ市内にある個人邸にあるコレクションが公開されているのですが、未来派でもないアーティストに関心をもったのは、ここをミラノ工科大学でデザインの学生にモダンアートヒストリーを教えている先生にたっぷりと案内してもらったからです。「私の個人的趣味が濃厚な解説だが・・・」と言いながら。ぼくが悪くないじゃないと思うような作品を結構酷評するのです。逆に、これがぼく自身の趣味を浮きだたせてくれたのです。

20世紀はじめのピエロ・ポルタルッピの設計により建物

アッパーミドルの個人邸はポルタルッピという当時の名の知れた建築家の手によるもので、上の写真の建物のなかに複数の親族が住んでいました。この建物の(日本での)3階にあたる部分が美術館として公開されています。

建物内部の階段

エレベーターは住人専用なので3階まで階段をあがっていくのですが、階段の様子が上の写真です。壁が大理石にみえます。しかし、コンクリートに目地もすべて「大理石風」に描かれたものなのです。19世紀に開発された手法で、やはり大理石が高価なため「大理石風」という需要が発生したのですね。この微妙さがアッパーミドルらしいところです。

どの部屋もアートコレクションが壁一面に

家のなかに入るとヴェネツィアの職人がつくったガラスの嵌った扉や窓があり、趣味の良さがうかがえます。

家具もすべて当時の実力派建築家のデザイン

当時はあまり名の知られていない、それこそ駆け出しの画家の作品をオーナーが自分の目で買い集めた(その後に高い評価をうける)作品の数々を眺め、20世紀はじめのコレクターの世界観を思います。

その過程でぼくはひとつ思い出したのですね。同じころ、日本の児島虎次郎がパリで美術品を買い集め、それが現在の大原美術館のコレクションの基盤となったことを。2年前の夏、倉敷を訪れた話を「西洋絵画の見方を変えられるのか? ー 倉敷の大原美術館で考えたこと(日本滞在記1)」として書きました。印象派の時代にあったフランス人だけでなく、印象派に影響を受けた日本人の作品があります。確か、イタリア人の作品も少ないけれど、あったと覚えています。

ミラノの個人コレクションを見ながら、イタリア人が芸術の都パリで影響を受けたことと、日本人がパリで影響を受けたことに差があったー特に、印象派への距離の取り方が違うと思いました。当然なんですが。ジュゼッペ・デ・ニッティスはプーリア出身でパリの印象派の第一回の展覧会に出展したイタリア人ですが、じょじょに印象派から離れていくのですね。

ジュゼッペ・デ・ニッティスの作品(他の展覧会で展示されていたもの)

イタリア人の画家は印象派に嵌ったあとに、(美術史的にいえば)戻りたいポイントがあり、例えば、人によっては再び田舎の風景画なんかを描いていたのです。

俄然、19世紀以前のイタリア絵画にぼくが関心をもった起点です。あれほど、田舎の風景画なんて何が面白いのか?と思っていたぼくが、あれっ?と思い始めたのです。

風景画っていつ頃に描かれはじめた?

なんとなくですが、美術館でルネサンス後期のマニエリスムと呼ばれる頃の絵画の前に立つと、鑑賞時間がその前の時期の作品と比較して短くなっていることは自覚していました。だから、それ以降の作品にあまり熱心でなかったのでしょうね。それが、歴史を遡るかたちでみると、違った目でみられると気づいたのです。

19世紀あたりの絵画というと、本記事の最初に挙げた写真や次のような作品です。

動物の生態が描かれ人がいない風景

新古典主義やロマン主義の頃に風景画が出てくる、殊にロマン主義のなかで荒々しい自然の姿が描かれるとか、解説には書いてあるのですが、ここで、そういえば!と思うのですね。16世紀あたりの作品をみていると、風景が主役になることってないのですね。

主役は聖母子
背景は建造物が多い
ここには自然の風景があるが、あくまでも背景

宗教がテーマとならない時代が到来した、というのはどういうことかといえば、宗教的登場人物が前面から消えて、それまでに背景でしかなかった山や森林が前面にでてきた、ということなんですね。外を描くから解放感が得られるだけでなく、前景をどかせた解放感もあるのでしょう。

で、こういう経過が自分なりに実感できると、19世紀後半、フィレンツェの屋外でシルヴェストロ・レーガが描いていた印象派との親近性を覚えるような自然環境と人の姿を以前とは違って好意的に見れるのですね。以前は、この作品を「ふ~ん」と見ていたのです。

シルヴェストロ・レーガの描く自然と人

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テリトーリオの旅の意味を再認識する

西洋美術史という教科書と有名な美術館に所蔵されている作品だけでは穴が多すぎるのです。もちろん、かといって各国や地方の美術史をくまなく追うのもなかなかできないことです。

自分が掴めている範囲は極めて限定的で、かつ、まばらです。そして、何よりも、そうしたものを受け身でみていると、自分の言葉で作品の数々を語れない、ということに気がつきます。

実は、次のような案内の旅を9月末実施で企画しています。ここに書いたように、自らイタリアの絵画を巡って探索を続けているわけですが、「探索」のプロセスを知る、というのはかなり応用度が高い知恵です。プロセスがわかると、最初の混沌とした状況を焦らずに楽しめるのです。


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