「強制転勤廃止」の先にあるもの
昨今、強制転勤を廃止する企業が出始めている。
背景には、労働人口の減少や価値観の変化に伴い、働き方に制限がある人が増えてきたこと、また、情報技術が発達したことで、これまでは物理的に難しかった仕事の進め方が可能になったことがあるようだ。
今回はこの「強制転勤廃止」が意味するところと、その先にどんな未来が待っているのかを自社の事例も踏まえつつ考察してみたい。
「強制転勤」とは何か?
「強制転勤」とは、多くの日本企業(特に大企業)に見られる、本人の意思に関わらず、会社都合で勤務地を変更するという雇用慣行である。
日本以外の社会では、雇用契約を結ぶ際、あらかじめ職務内容や勤務地について合意(限定)をした上で採用することが殆どであるため、本人の合意なしに、会社都合で勤務地が変更されることはない(その代わり「職務」がなくなれば「整理解雇」という形で一定の手続きを経たうえで解雇される)。
一方、日本では特定の仕事だけをお願いする形で会社と契約を結ぶのではなく「会社の一員(メンバー)」として契約を結んでいるため、その人がどんな仕事をするかは勿論、どんな場所で働くかも、会社の一存によって決められる(その代わり、そもそも何の仕事をやってもらうかを決めていないため、従事している仕事がなくなっても容易に解雇できない)。
この「強制転勤」は長い間、長期雇用を前提とする日本型雇用には欠かせない慣行として認識されており、日本の最高裁判所では、高齢の母、保育士の妻、二歳児を抱えた男性労働者に対して神戸から名古屋への遠距離配転(強制転勤)を命じ、それを拒否したことを理由とした懲戒解雇を有効とした判例さえ存在する(東亜ペイント事件)。
「強制転勤廃止」には2種類ある
ここまで見てきたとおり、日本社会では「職務」「勤務地」を限定しないで雇用契約を結んでいるため、会社都合で「強制転勤」を行うことができる(そして、その裏返しとして整理解雇には厳しい条件がつけられている)。
「強制転勤廃止」とは、こうした日本独特の雇用慣行をやめるということと同義であるが、ここで改めて「強制転勤廃止」という言葉について考えてみると、実はいくつかのパターンがあることが分かる。
①「職務」を限定する
最初に考えられるのは、日本以外の社会と同じように、雇用契約を結ぶ際は、企業の中の労働をすべて職務(ポスト)ごとに切り出して、その職務(ポスト)限定で人を採用する、というやり方である。
ただし、日本企業が本気でこうした改革を進めるためには、社会システム全体(社会保障制度、雇用システム、教育システム、etc...)を見直す必要が出てくるため、すべての日本企業でいきなりやるのは不可能に近い。
また日本社会の場合、「定年までの長期雇用を予定せず、特定の職務に限定して雇用される」という特徴は、有期雇用契約の社員など、いわゆる「非正規」社員が持っているという背景もある。この場合、当然、本人の合意なしに職務を変えられる心配はなく、「強制転勤」も、もちろん存在しない。
②「職務」は限定しないが、「勤務地」は限定する
もう1つは、「職務」は限定しない(強制人事異動は継続する)が「勤務地」は限定する、というやり方である。
勤務地の限定・非限定を明確にする雇用管理としては、従業員のキャリアを「転勤を予定するコース」と「転勤を予定しないコース」とに分けて、従業員に選択させる「コース別雇用制」や「勤務地限定採用」があり、男女雇用機会均等法対応をきっかけに多くの日本企業に普及した(ただし、多くの企業において、転勤を予定しないコースは女性専用のものになっていた)。
最近では、この「職務は限定しないが勤務地は限定する」というやり方に、テクノロジーを活用した事例が増えてきている。
たとえば、以下の事例では、「強制配転」というスキームは残しながらも、テレワークが可能になったことで、勤務地を変えずにそのまま働くことができる、という制度設計がなされている。
つまり、テクノロジーの力を借りることによって(もちろん、それが可能な職種に限られているものの)強制転勤を廃止するというやり方も可能になってきたのである。
強制転勤を廃止してみた
ここからは実際に「強制転勤」を廃止しているサイボウズの事例を紹介していきたい。
現在のサイボウズでは、個別に労働条件を合意(限定)しており、会社の一方的な命令によって、職務内容や勤務地が変更させられることはない。
元々、サイボウズでも強制転勤は存在していたが、2005年の離職率28%を経験し、「1人ひとりが自立し、キャリアや働き方も自分で選択していけるように多様な個性を重視できる環境を整えていくことこそが、生産性の向上、就労機会の創出、離職防止など、会社の理想実現につながっていく」という考え方が浸透していくとともに、徐々に転勤に対する考え方が変わっていった。また同時に、転勤だけでなく部署異動についても、本人の合意なしに行われるようなことはなくなった。
ある意味、サイボウズでは「会社への忠誠」を求めることをやめたわけだが、逆に言えば、「一生うちの会社で働き続けてください」という会社ではなくなったということでもある。
あくまで1人ひとりが自立した個人として、サイボウズと条件がマッチすれば働き続けることができるし、サイボウズと条件がマッチしなくなれば、他の会社に移っていくという選択をしてもらうこともある。ただ、ここでサイボウズが少し特殊なのは、「多様な距離感」が認められていることだ。
社内の仕事がなくなってきた時に、働き方を週5日から週4日、週3日と徐々に減らし、他社での複業の割合を増やして、そのままそちらに転職する、というケースがあったり、社内の他チームの仕事で人手が足りていない時に、もし条件がマッチすれば「兼務」という形でワークシェアリングするケースもあったりするため、職務がなくなったから、即解雇という事態にはなりにくい。
参考記事:「ジョブ型かどうか」よりも大切なこと
また最近では、新型コロナ禍でのリモートワークの普及も相まって、上記に加え、「強制転勤廃止」どころか、テクノロジーの力を使って、自ら「勤務地」を選ぶことができるような職種も増えてきている。
実際、ぼくと同じ部署で働いているチームメンバーの中にも、佐賀や広島などで働きながら、東京の労務管理や研修、採用オペレーションの仕事をやっている人たちがいる。
背景には、これまで紙面で管理していた雇用契約書をすべてアプリケーション化したり、研修カリキュラムもグループウェアを活用してオンラインを中心としたものに設計することができたりと、テクノロジーを活用しつつ、どこでもその価値を発揮できる環境が整ってきたことがある。
また、こうした動きは決して人事の中だけではない。開発や営業、財務経理、マーケティングなどの部署でも同様に、テクノロジーをうまく使うことで、移住できるような人達も増え始めている。
どこでも働ける職種が増えていく、ということは、逆に言えば、何らかの事情で会社の事業所がある土地を離れなければならない人が辞めなくてすむようになる、あるいは、色んな土地にいる人たちを採用できるようになるということでもある。
会社(チーム)側もメリットを感じているからこそ、「強制転勤廃止」や、さらにその先にある「自分で勤務地を選択できる」という理想に向けて、環境の整備を進めていくことができるのだろう。
環境の変化に合わせて、ルールも変えていく
今後、ワーク・ライフ・バランスへの配慮や、個人のモチベーション・生産性向上、多様な形での労働力確保などの観点から、少しずつ「強制転勤」を廃止する日本企業が出てくることは十分に想定される。
また、テクノロジーの進化によって、どこでも仕事ができるという職種も、少しずつではあるが、増えてくるだろう。
個人と企業の関係性が変化し、またテクノロジーも進化していくとなれば、当然、それに合わせて会社のルールも見直す必要が出てくる。
実際サイボウズでも、強制転勤の廃止後には、転勤手当について考え方の整理が行われた。そもそも、本人同意のない強制転勤がなくなったのだから、そこに対する手当も不要なものは削減できる、というわけだ。
また、テクノロジーの進化に伴い、どこでも仕事ができる職種の人達が増えてくると、給与評価の考え方や通勤手当、所属事業所をどこにするかなど、人事実務面でのテクニカルな対応も増えてくる。
勤務地が多様になっていけばいくほど、それに伴って人事も変化を迫られるが、「強制転勤廃止」「自分で勤務地を選べる」といった会社の変革の先には、きっとこれまで以上に多様な人が会社で活躍できる未来が待っているんじゃないか、とぼくは個人的に思っている。
これまで以上に人事は大変そうだが、やりがいはありそうだ。