広告は時代と共に生きづらくなったと、図書館で気がついた話。
何年ぶりだろう。
図書館に行った。
たまたま時間ができて、寄っただけだったけど、それにしては多くのことを考えさせられた。
考えたのは、広告のこと。
自分の生業でもある、広告のこと。
しかも雑誌広告のことだ。
前回のnoteでも書いた通り、雑誌広告はかつて4マス(4大マスメディア)と呼ばれていた。
それが今では、復権するラジオ広告にも溝を空けられ、Z世代の中でも注目率最下位の広告メディアとなった。
そんな雑誌広告の意義に、なぜか図書館で気がついた。
今日はそんな話。
■雑誌広告の価値
図書館には入ったが、本を読むつもりはなかった。ただの時間調整だったから。
ふらふらと歩き回って、雑誌コーナーを見つけて、ファッション誌やらホビー誌に目を通した。
学生の頃はお金がなくて「図書館はタダで雑誌が読める場所」、そんな風に捉えていたことも思い出した。
しばらくして、雑誌コーナーにはそんな数年前、十数年前の雑誌も所蔵してあることに気がついた。
懐かしくなって、学生の頃に読んでいた雑誌を数冊抱えて、くたびれたリュックを置いた席に戻った。
・懐かし表紙
・懐かしいタレント
・懐かしい記事
そして「懐かしい雑誌広告」が、そこにはあった。
広告を見た瞬間、まるで流行りのタイムリープをしたかのように、当時の空気感が脳内で蘇った。
あぁ、これが雑誌広告の価値だったのか。
瞬間的にそう感じて、(大袈裟ではなく本当に)鳥肌がたった。
■時代から切り離される広告枠
10年前の雑誌広告を見て、真っ先に考えたのはデジタル広告との違い。
雑誌の記事にもデジタルの記事にも「広告枠」がある。それは同じだ。
そして両方とも、半永久的に記事が残り続ける。
記事が残る場所はこうした図書館だったり、サーバやクラウドだったり違いはあれど、「残っている」から私たちはこうして当時の記事を見返すことができる。
ただ唯一違うのは、こうして数年経って、記事を振り返った時のこと。
デジタルの記事には「今の広告」が表示される。
デジタル広告の世界では、記事は2010年でも、今見るとそこ掲載される広告は2023年の広告になっている。
1つの記事の中で、時空が歪んでいる。
デジタルの記事は、サーバやクラウドに残っているから今も見ることができるが、当時のデジタル広告は時代から切り離されてしまった。
どこかに消えてしまった。
それが雑誌広告の世界では、記事が2010年なら、広告も2010年のまま残っている。
もしかしたらこれは、とんでもない価値かもしれない。
鳥肌の理由は、これだった。
■広告を時代から切り離すことに成功したデジタル
デジタル広告は、それまでの「広告の当たり前」を変えた。
そんな変化の1つが、先ほどのような「時空を越える」ことかもしれない。
それまで広告は、時代と共にあった。メディアと広告の関係が、蜜月関係にあったと言ってもいいかもしれない。
デジタルはそんな蜜月関係を切り離すことに成功した。
メディアから広告だけが切り離され、広告は時代と共に生きられなくなった。
昔のテレビ番組も、オンラインでいつでも見られるようになったが、そこに流れるのは「今のCM」だ。
当時の空気の中にあったCMは、どこかに消え去ってしまった。よっぽどの名作でもない限り、見返されることはないだろう。
そんな感覚が当たり前になっていた今、寄り道した図書館でメディアと広告が一体になった稀有な書物と出会った。
もしかしたら雑誌広告は今、時代と共に生きられる唯一の広告メディアなのかもしれない。
Z世代にとってのラジオと同じように、α世代が雑誌というメディアに着目する未来は、そう遠くないのかもしれない。