推しと経営 衝動を抑えられない素晴らしさ
あなたには「推し」がいますか? 「推し」がありますか?
『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』(久保(川合)南海子 著 数英社新書)は、そんな一文から始まります。本書には、対象を受け身的に愛好するファンと、能動的な活動=「推し活」をするファンは、大きく異なるものだと書かれています。
この「推し活」の能動的な活動には、いくつかの種類があります。
推しについて知りたい
対象について知っていくこと学んでいく活動。何かの試験に合格するとか、仕事に役立たせるとか、といった目的的な学びではなく、学ぶことそれ自体を喜びを持って体験するという、自律的な学びがここにあります。
推しに関するものを作りたい
そのまま受け入れるだけでは見えない世界。その余白に物語を見出し、自分の内的世界にある原作イメージを投射し、無いはずの物語を描き出す。二次創作などのクリエイティブな活動がここにあります。
推しと同じ世界を見たい
好きな対象の世界を現実で体験するような行動。同じ格好をしたり、推しのもつ世界観を大切に実生活を送ったり。推す行動が対象との一体感を生み、循環的「推しの沼」にハマっていく。
共に推したい
ギブの精神で、推しへの関係性を作り、その推しを共有する人々に対しても、ギブのアクションから関係性が始まっていく。テイクを求めない、「推したい」という衝動に動かされるギブとギブの循環がここにあります。
これらは、先の本と合わせて、『越境する認知科学8 ファンカルチャーのデザイン』(阿部大介著 共立出版株式会社)にも事例と共に書かれています。
「推し活」を抽象化したときに見える奥深さ
興味深いのは、この推し活を語る際に、イヴァン・イリイチのコンヴィヴィアール(それを用いる各人に、おのれの想像力の結果として環境を豊かなものにする最大の機会を与える)な道具についての言及があったり、自律的学びの姿勢と、ギブの精神などへの言及が極めて多かったことです。
これらは、『冒険の書 AI時代のアンラーニング』(孫泰蔵著 日本経済新聞社)で書かれていた、AI時代における学びのあり方と、極めて似ているものに思えました。
まるで「推し活」自体が、これからの時代に求められる学びの姿勢である、とでも読み取れるほど、なんというか、実に魅力的な営みに思えてきました。
推し活と研究活動
二次創作活動と研究論文執筆活動が、ほとんど同じ構成としてみることができる、というのも先の本に記されていました。
このように「推し」の活動と喜びを抽象化してみると、「推し」の対象は、漫画のキャラでも量子力学でも、なんでも当てはめて考えることができそうです。
そう考えてみれば、僕にとっては「仕事=推し活」でした。この夢中になってやってしまう活動状態は、僕が仕事に夢中になっている状態と同じでした。
「推し」ているのは「目指す未来」
以前、「フィクションをノンフィクションにするのが実事業」と書いたことがあります。現在、Holoeyes株式会社というベンチャーの役員をやっています。ここでは、CTやMRIなどの医用画像から作られた3Dデータを、HoloLens2やMetaQuest2等によって閲覧することのできる、医療機器ソフトウェアを提供しています。
空間的コミュニケーションを当たり前にする世界を医療領域で社会実装するというフィクションは、その社会貢献的な意味合いも含めて、めちゃくちゃワクワクするものです。この世界自体を、僕は「推し」ているのだと思うのです。
この世界を社会実装するという活動そのものが「推し活」であり、この「推し」を共有する人たちと共に活動する母体が会社ということになります。会社の経営とは、「推し活」を全力で円滑に行うことができるようになるための、環境を整えること、とも言えるのかもしれません。