日経記事「5年後もっと豊か? 「YES」日本だけ半数割れ、2600人調査」を読む
さまざまに直面している現実「逆転の世界」をテーマにした特集の一環で、12月31日の日経新聞電子版に「5年後もっと豊か? 「YES」日本だけ半数割れ、2600人調査」という記事があります。
日経電子版と日本経済新聞社の英語メディア「Nikkei Asia」の読者2645人にアンケート調査を実施したというのです。「アジア中心に世界の読者」と表現しているものの、欧州や米国にNikkei Asiaをどのくらいの人が読むの?とも思うので、以下の数字をまともに捉えるのは控えながらも、いくつかの観点で面白いと思いました。
ぼくなりの解釈をしてみます。
傍からみれば、一国二制度が崩壊したといわれる香港、いつ中国と衝突するかと危惧される台湾、政情不安定なタイですが、日本よりは5年後に豊かになっていると思っている人たちが多いのです。栄光が過去にあり、難問が山積みの欧州であっても、日本よりおよそ35%多い人がポジティブです。
しかし、「自国に生まれて幸せ」と思う人の割合は、日本であろうと世界であろうと、さほど差がありません。日本の人は、将来にあまり期待できないけどマシなところにいる、と思っているのでしょうね。とすると、まるで悩むのが好きな高等遊民のようです。
ぼくが気になるのは、次です。
「重視するパートナー」で米中比較しています。他国の人と比べて日本の人が米国をパートナーとする比率が高いです。ただ、この記事では何のパートナーか?がはっきりしません。文化的価値を含む政治と経済分野と仮定しましょう。米国に過大に頼る、あるいは米国を指標として活用し過ぎる点に日本の人の特徴があることになります。
それでは、リーダーは自国優先タイプが良いか?と問うと、日本の20代以下はYESと答える率が低く、30-40代ではYESと答える率が世界と比べても相当に高いです。これはリーダー像として日本の中で世代間で大きなギャップがあると示しています。どちらの世代が世界の動きに敏感と言えるのか?ですね。
このほかに日本とその他の国で大きな乖離があるのが、政府への信頼です。日本の人は本当、政府を信頼していないのですね。「5年後もっと豊か?」に、不安定にみえる国際・国内状況にいるにも関わらず豊かになると期待していると他の国の人が答えているのは、なぜでしょう? 日本の人たちが経済ナンバー2の地位から降りたことにまだ「馴れていない」だけではないでしょう。
ぼくは、どうも日本の人の「井の中の蛙大海を知らず」という(実態といよりも)性格が、良くも悪くも、過剰な楽観と悲観をつくっているような気がします。
世界は確実に変化しているにも関わらず、新しい世界をみる眼鏡を探せていない。日本に限らず、何処の国も似たり寄ったりとは思いますが、自分の意見に確信をもつのが苦手な日本の人は眼鏡の選択により迷うのでしょう。
その世界の変化を指摘するのが、「逆転の世界」の以下インタビュー記事です。コロンビア大教授のマーク・マゾワー氏(国際関係史)の語りです。
即ち、米国だけを見ていると危ういと、米国の識者自身が明確に語っているのです。それなのに日本の人は米国を視野の中心においている(または、おくしかないと信じている)ーそして、(1980年代にあったように)米国に次ぐほどの経済パーフォーマンスが再びできるはずだと思い込み、米国を指標にしようとするがために、その差に愕然とし続けている。これが、43.8%の人しか「5年後もっと豊か」と思わない要因ではないでしょうか。
もう1人、政治学者のフランシス・フクヤマ氏へのインタビュー記事も読んでます。
このフクヤマ氏の意見からも、日本の人が「米国の過去の栄光」にモデルを見いだす時代は終わったことがよく分かります。
フクヤマ氏の語りから推察できるのは、こういうことですーー文化的アイデンティの強調と保護への流れがあり、言うまでもなくそれは推進すべきものですが、その完璧な姿を求めるスピードがあまりに速くてその論調についていけない人たちが多い。
倫理的なレベルの変化には時間が必要ですが、その変化に追いつけないーこれへの不満が経済的格差への不満を上回るかもしれないとの指摘です。いわば、沼の深みに足をとらわれる。必要なことながら、それを他の指標と同じようなプロセスを期待されると叶わないことが多いと思われます。しかも、この数年、人権保護とは逆行する地政学的問題が噴出しています。
経済・社会・文化状況に関わらず、「自国に生まれて幸せ」と思う人はどこの国でも一様に高いとの数字を勘案すると、その幸せの充実度と深さがテーマになっているのではないかと想像できます。
こうみてくると、日本の人たちが「5年後もっと豊か?」との質問に答えるとき、経済的側面以外を含みがちとの傾向があるのでは?とふと頭をかすめます。
さあ、どうなんでしょう?
そのヒントが「移民はサウスからサウスに 「米欧集中」今は昔」という1月1日付けの記事にあります。
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冒頭の写真はマントヴァのドゥカーレ宮殿・結婚の間にあるルネサンス期、マンテーニャのフレスコ画です。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロといったルネサンスの「完成像」で指標をつくってしまうと、その後のマニエリスムやバロックが下のレベルに見えてしまいがちです。しかし、マンテーニャをその後のアートヒストリーの先駆者にとらえると、俄然、次の展開が面白くみえてくるのです。