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なぜ鉄道がよく止まるようになったのか?

コロナ禍の3年で、テレワークやオンラインビジネスなど大きな変化が目立ちだしている。これまでと違った日常風景になった。コロナ禍前がどうだったのか、思い出せなくないくらい変わった。そんななか、気になることがある。

これら変化を「技術による変革」と捉える人が多い

日本には「技術が、社会を変える」という社会観・ビジネス観が席巻しているが、技術で主語で考えると、人が見えてこない。そうではなく、「技術を使った人々の新たなスタイル」が社会をどう変えると捉えたほうが真の社会変化の姿が見えてくるのではないか。

新たなスタイルが人びとや社会の価値観を変え、人と人の関係性を変え、都市・郊外・地方の構造を変え、社会を変えていくという「コロナ禍後の構造変化のメカニズム」を、鉄道に詳しい若い企業人に話をすると、明治維新以降の、鉄道を使った日本人の新たなスタイルが日本社会を変えたのではないかと、2人で鉄道150年の熱い議論をはじめた

1 なぜ日本人は時間に厳格となったのか?

日本人は時間に厳格だというが、もともとはそうではなかった。かつて日本人は時間にアバウトでルーズだった。

江戸時代は、日の出と日没を基準に、1日を12等分にして、日の出を明け6つ、日没を暮れ6つと呼び、2時間単位で生活していた。明るくなったら仕事をはじめ、日が落ちて暗くなったら仕事をおえる。日が長くでている夏は長く働き、日が出ているのが短い冬は働く時間が短かった。日本人は、お天道様とともに、暮らしをしていた


明治維新で変わった。太陰太陽暦から太陽暦に替わり、1日が24時間となり、1年の毎日が24時間という定時制となった。ただ時刻に関する制度を替えたからと言って、日本人の時間感覚がすぐに変わったわけではなかった。日本人が時間に厳格になったのは

鉄道の影響が大きかった

鉄道において「時刻表」が導入され、何時何分という「分」が持ち込まれた。明治5年の新橋・横浜間、明治7年の大阪・神戸間の鉄道開業から、長い時間をかけて歩いた街道に替わり、鉄道で人を移動、物を輸送できるよう、駅をつくり鉄道線路を敷設した。鉄道が全国を走るなか、地域ごとにまちまちだった時間が全国的に統一された。そして会社勤めする人が増え、鉄道を使った通勤スタイルが普通になっていくなか

時間に厳格な日本人が生まれた

時間どおりに走る鉄道を使うワークスタイルをとる人が明治・大正・昭和と増えていくなか、時間どおりに行動する日本人が増えていった。

2  なぜ安全ニッポンとなったのか?

明治時代から戦前に、日本中に鉄道網が張り巡らされ、国力向上に貢献した。戦後、さらに鉄道網が拡充され、交通と物流の大量輸送時代の主役に躍り出た。日本の鉄道事業者は、人と物をいかにより早く、いかにより多く運ぶことを考え、生産性を上げ、効率性を高めることを経営の主軸とした。そのころは、安全はまだサブ扱いだった

物事は時代によって、意味・解釈が変わり、定義が変わる。たとえば環境。環境汚染・環境保全・自然環境・持続可能性・環境にやさしいなど、同じ環境でも、時代背景・文脈が変わるごとに、定義が変わる

安全も、同じ。現代日本は安全を大前提で考えるが、時代の変化ごとに安全の定義も変わってきた。鉄道でいえば、まず鉄道そのものの安全に取り組む。鉄道をいかに安全に走らせることから始まり、つづいて鉄道に乗っている人の安全を確保するかを考えることとなった

戦略変更には、理由がある。大きな災禍や事故が契機となって、大きく戦略が変わることがある

2001年のJR新大久保駅事故が、駅で鉄道を乗ろうとする人の安全を重要な位置づけにするきっかけとなった。駅のなかをバリアフリーにする、エレベーターやホームドアなどを駅のなかに設置して、事故をおこさないように安全を確保する

2011年3月11日に発災した東日本大震災に伴う計画停電に連動して、鉄道で計画運休がおこなわれた。つづいて2014年に、JR西日本が台風進路予想を踏まえた、日本初の計画運休を決断した。それ以来、危険を事前に予測して、鉄道に乗らさないようにするために、「計画運休」を行うようになった

鉄道を動かすと、台風が来ることが予想されても、鉄道に乗って会社に行こうとする人がいる。だから事前に予告して鉄道をとめ、会社に行けないようにして、人びとを守ろうと考えだした。つまり鉄道の安全は、鉄道に乗らさない安全性を考えるステージに進んだ

3  なぜ鉄道はよく止まるようになったのか?

鉄道は、ターミナル駅から始まった。
その駅は始発駅であり、終着駅の駅。一本の鉄道ができて、働く人々が鉄道に乗った。速く移動でき便利だから、いろいろな場所から鉄道に乗って、その町に集まった。また別の鉄道ができて、また新たな人たちが、いろいろな場所から鉄道に乗って、その町に集まった。その町は、働く場所だけでなく、物を買ったり食べたり遊んだりする場所ともなって、賑わい、「都市」となった

人々が都市に集まりすぎて、都市で暮らす土地が少なくなったので、鉄道線路を延ばして、新たな駅をつくり、駅を中心とした住宅地をいろいろなところにつくった。住まいのある駅から鉄道に乗って都市に向かい、会社に着いて仕事をして、仕事が終ったら、会社のある都市から鉄道に乗って住まいのある駅に帰った

駅と駅を鉄道線路でつないで、地域ごとに都市と郊外をつくり、歩いて旅していた寺社仏閣・観光地を鉄道に乗って短時間で移動できるようにした

戦後に人口が急増して、経済が高度成長して、大量輸送時代となり、鉄道はさらに拡充する。しかしその頃に新たに登場した自動車や航空という巨大なライバルへの対抗策として、鉄道はお客さまの利便性を高めるサービスを充実させる戦略に転換した。それは、企業的には、効率性を高めてコストダウンを進めることであった。こうして鉄道事業者は

もっと速く、もっと便利に、もっと効率的に

を強力におしすすめた。ターミナル駅での乗り換え、鉄道各社の駅と線路が入り乱れ、生み出された様々なボトルネックの解消に向かった。ターミナル駅を通過して長い距離を一本でスルーできるようにした、鉄道各社の線路をつないでスルーできるようにした。乗る人、移動する物にとって、便利に、機能的に、効率的にしていった。しかしその便利さ・機能さの引き換えに

鉄道がよく止まるようになった。
どこか遠いところでおこった事故が
離れたところで影響がでるようになった。

かつて東京駅はターミナル駅だった。発着駅であり、終着駅であった。乗り換える駅であった。それを東京駅、上野駅を経由し、宇都宮線、常磐線、東海道線を直通にした。他にもいろいろな線をつないだ。利用者にとってはとても便利になり、企業にとっては効率化となりコストダウンとなった

各線がつながっていなければ、運転手、車掌さんは倍必要だった。当然コストが増えた。それを一本につないだ。便利になったし、コストダウンにもなった。しかしどこか遠いところでおこったこと、あっちでおこったことがこっちで影響がでるようになった。なぜ電車がとまったんだよ、どうなっているんだよと多くの人はイライラし、怒る人も出てくる

(中略)
技術の進展に伴って、利便性・効率性の追求で、いろいろなボトルネックの解消をめざそうとする。しかし「乗り換え」「積み替え」「振り替え」「溜まり」「休憩場所」がなくなったことで、もしもの時への対応力がおちていった

様々なフィールドで、健全なボトルネック、不便さ、「遊び」がなくなった。急激な力が入るのを防ぐために部品の結合にゆとりをもたすことを「遊び」というが、「ハンドルの遊び」のようなもの、場が社会や地域や企業や生活からどんどんなくなった。なにかとなにかをつなぐ「遊び」がなくなっった

note日経COMEMO(池永)「ニッポン、そんなに急いでどこへ行く」

高速化、利便性、機能性、効率性を高めていくなか、2005年に、JR福知山線脱線事故が起こった。この事故を契機に、鉄道事業者の時間性・効率性・利便性重視から、安全性重視に変わった

鉄道がよくとまるようになったのは、それから。このように事故・惨禍・災害が、価値観を変え、ライフスタイル・ビジネススタイルを変え、産業・ビジネスを変え、都市・郊外・地域を変えることがある

4 コロナ禍3年の現在地

コロナ禍を契機に、テレワークやオンライン講義が増え、通勤・通学する人が減っている。コロナ禍に入って3年が経ち、ウイズコロナに徐々に慣れだしている。新たなビジネススタイル・ライフスタイルが新たな普通になろうとするなか、コロナ禍前から見えていた人口減少・少子高齢化に伴う、これからの人口構造と積み残してきた課題の解決に、企業も動き出している

鉄道に乗る人が減り、満員電車、朝夕のラッシュが、コロナ禍前よりも落ち着きつつある。そのなかで、「終電時間を早める」動きが鉄道各社からでてきた。この変更は、コロナ禍で鉄道の利用者が減少したためだけでなく、コロナ禍前から進んでいた若者減少・人手不足・働き方改革という構造課題を踏まえた、夜間作業における施工・点検業務の改革も包含していた

つまり、コロナ禍後を見据え、現在のコロナ禍での問題の対処療法でなく、コロナ禍前から現在、未来につながる構造的課題を明らかにして、それらを総合的に解決していかねばならないということ

コロナ禍の現在、過去から現在の構造を総括して、真の未来を見る。これまでをここでリセットして、全体をセロベースで鳥瞰して、未来のありたい姿を描き、これからに向け、考え、行動していく時期に入った。それが、コロナ禍3年が経とうとする私たちの現在地である

東京は「捌(さば)ける」ことを前提に、都市システムが設計されていて、「捌(さば)けないことが起こる」とは、これまで考えられてこなかったのではないか。人の流れ「人流」を円滑に捌(さば)くことを目的として交通システムがつくられ、平時は極めて精巧に運用されていた。1分たりとも遅れない交通システムをつくりあげてきたが、今回(3年前)の台風で浮き彫りとなった人流を捌(さば)けない理由は、「流路」の問題だった。

東京の交通システムは、接続とか集中とか分散といった問題を最適化する交通システムを組み立ててきた。しかし今回の台風でおこったような「出口から出られない」「乗り換えるため降りたいのに降りられない」という「流路」の課題を想定してこなかったかもしれない。

「駅から出ないと入れない・動けない」という課題を解決する策のひとつが交通システムからオフバランスさせることだが、代替交通システムへのシフトはおすすめできても、品川から新橋に電車で行こうとしている人に、”品川で降りて新橋まで歩いて行ってください”とはいえない。いえないとなると、どうなるのかというと、時間をかけて調整する。つまりお客さまには時間をかけて、問題が解決するまで待ってもらう。

しかしそもそも台風の日に、定時に、仕事や授業をおこなう必要があったのか。駅内外で待っている人の大半は、「スマホ」を操作していた。仕事や働き方の仕組み自体がかつてと根本的に変わっているのに、通勤・通学の形はかつてのままで、全員が「定時」に、「会社」「職場」に行かねばならないと行動していたが、スマホのように弾力的・柔軟的に変えるべきではないだろうか。

交通システム内だけで解決策を考えるのではなく、交通システム外の仕組みを総動員して、意識改革を含めて、考え直す必要があるのではないか

note日経COMEMO(池永)「台風一過”で見たまちの風景―出ないと入れない」

コロナ禍だけの視点だけで、これからの戦略を考えてはいけない。コロナ禍固有の変化だけを見て、議論を出発してはいけない。コロナ禍の現在には、コロナ禍前の過去が埋め込まれている。コロナ禍の現在には、未来が埋め込まれている。これらのさまざまな変化を集めて、いったんバラバラにして、分解・結合して、これからのありたい社会の姿を描き、その社会の実現に向けた戦略を再構築して、未来を向け、もうそろそろ動きださないといけない時期になった


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