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初心はこわい。だからこそ新年
こんにちは、電脳コラムニストの村上です。
2025年が始まりひと月が経とうとしています。新年にあたって抱負を立てることを習慣にしている方も多いのではないでしょうか? わたしも毎年年末年始の時間を使って、1年の振り返りと新年には「今年がんばること3つ」を決めることを習慣にしています。
この3つの中には、必ず1つは新しいことを入れます。行ったことないところに行くだとか、経験したことないことをやるだとか、なんでもよいです。歳を重ねるごとに未経験のものを避けるようになりがちですが(億劫とか、面倒とか)、とりあえず自分自身に宣言しておくことで意識は向くようになるからです。
もう1つは長期で学習の必要なものを入れます。これは継続案件になることが多いですが、すでに習慣化したものは敢えて入れる必要はなく、新規で始めるものが望ましいです。そして、身の回りの人に「今年はこれを始めるんだ」と言ってしまいます。やんわりと自分にプレッシャーをかけるわけです。そうしておくと、後に「あれってその後やってるの?」などと聞いてくれる人が出てきます。
幸福度をあげるには「学び」と「交流」が鍵のようです。これは私の実感とも一致しており、新たな学びをすると新たな友人もできますし、なによりこの歳になると「初心者になる」ということがとても大事なことだと感じます。50歳ともなれば仕事場では責任のある立場を担っている方も多いでしょうが、謙虚さを取り戻すという意味でも積極的に初心者になる努力をすべきではないかと思います。
以前書いた記事でも触れたのですが、学びというのは幸福度と関係しています。そして、積極的に初心者になる努力をすることは、年を重ねるごとに重要なことだと考えています。その道の先輩というのは年齢とは関係なく、芸事であれば芸歴がモノを言います。年上だから、男だから等々のラベルとは関係ない世界がそこにはあります。無意識のバイアスがかかりがちな昭和生まれの男性には、特に意識していただきたいなと思います。
新しいことというのは、こわいものです。仕事でもそうですが、失敗したらどうしよう、、、うまくできなかったら恥ずかしい、、、未経験の領域に飛び込んだり変化することに恐怖を感じるのは自然なことです。そのようなことを考えた時に、ぜひ読んでいただきたい記事があります。
この「初」が含まれる「初心忘るべからず」は、能楽を大成した観阿弥、世阿弥父子が初めて使った言葉だ。ふたりはこの語をさまざまな文脈で使う。が、その都度意味が微妙に違うので、ここでは「初」という漢字について見てみたい。
「初」の左にある偏は、衣へんで「衣」を意味する。右は「刀」。衣を作るときには、反物にハサミ(刀)を入れて裁断する。その最初の一刀が「初」であると、最古の辞書『説文解字』にある。
反物にハサミを入れなければ衣を作ることはできない。その反物がどんなに美しく、またどれほど高価であろうともハサミを入れて裁断する。
人間も同じだ。変化し、成長するためには、過去の自分にハサミ(刀)を入れなければならない。栄光の過去を斬り捨てよという教え、それが「初心」だ。
ハサミを入れなければ先には進めないというのは示唆に富むことです。次のステップに進むためには、己にハサミを入れて過去を断ち切ること。まさに、脱皮しない蛇は死ぬということですね。巳年の2025年こそ、特に意識しておきたいモノです。
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タイトル画像提供:bluet / PIXTA(ピクスタ)