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日経新聞の記者がラグジュアリーの記事を書き始めた ー その変化の背景は?

今年のはじめ、日経新聞にラグジュアリー関連の記事が目につくようになったと書きました。昨秋、LVMHのアルノー会長がイーロン・マスクを抜いて長者番付のトップに立ったことが背景にあり、ラグジュアリーに注目をはじめたのだろうと推測しました。

そして、LVMHなどのコングロマリットの売り上げ動向は、日経新聞の記者が記事を書いていましたが、ラグジュアリーを鳥瞰的に捉える記事はFTやエコノミストの記事を翻訳したものが主流である、と指摘したのです。

高級品市場の全体的な分析に関しては翻訳記事が主流であるところをみると、この領域を全体的に語る記者が日経新聞のなかにあまりいないのではないか?と想像します。

なぜ、日経新聞に欧州高級ブランドの記事が目につくようになったのか?

ところが、7月30日、次の記事を目にしました。「マクロ経済エディター 松尾洋平、パリ=吉田知弘」との署名入りです。個々の企業でも、宝飾などの一部の商品群の動向ではなく、ラグジュアリービジネスを全体を追おうとしているものです。これは何かあるかな?と思いました。やはり、『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』の筆者としては、気になります。

日経新聞のなかでも、この分野を無視できないと認識したのでしょうか。

しかし、ぼくが日経新聞の記事を十分に追っていなかった可能性もあるので、日経新聞電子版の検索で1月以降のラグジュアリー関連記事を探してみました。ラグジュアリーに関わる個別企業の動向を伝える記事はみつかりましたが、産業全体を視野に入れようとの意図を感じる記事は、やはり上記だけでした。

数は少ないものの、明らかに潮目が変わりつつある兆候は出ていると言ってよいでしょう。記事は次のようにはじまっています。

衣服や宝飾品などの高級ブランドに代表されるラグジュアリー産業が世界経済で存在感を増している。市場規模は1.4兆ユーロ(200兆円)との試算もあり、新型コロナウイルス流行後もいち早く回復した。歴史と文化を独自のストーリーで包んで商品価値を高め、世界中の消費者を魅了するビジネスモデルは、21世紀の新たな産業のあり方を示す。

ラグジュアリー、巨大企業が席巻 歴史・文化を武器に

その後、世界の同分野の売り上げ規模別の企業ランク、LVMHの企業内容や市場別売り上げ高と解説は続きます。同社の時価総額が欧州内で首位であり、その影響力が窺えます。

ラグジュアリー産業のガリバー企業、フランスのLVMHモエヘネシー・ルイヴィトンは2023年に時価総額が一時5000億ドルを突破した。直近もトヨタ自動車の約2倍で、欧州企業では首位、先進各国でも10位前後に位置する。

ラグジュアリー、巨大企業が席巻 歴史・文化を武器に

例えば、この4月にマクロン大統領が中国を公式訪問した際、欧州高級ブランド品の市場として依存度が高い中国へ大層気を遣っていたとの報道も英国のメディアでありました。「マクロン大統領はエアバスだけでなく、高級ブランド企業の意向も配慮していた」と。だからこそ、「中国政府に対して、強いことを言いにくかったのでは?」との観測もでてきます。

日経新聞がこれまであまり見向きもしなかった分野の記事を書き始めた背景を想像するに、富をもつ一部の人たちの行動パターンを無視し続けることに限界が感じ始めているのもさることながら(その一方、高級ブランドの顧客が必ずしも、一部の金持ちではないのも明らかですが)、ラグジュアリーとはいくつもの分野に跨る総合的な領域で、いわば「応用問題の領域」であると気づいたのではないか、と推察します。当たり前ですが、すでに単一領域の専門であれば、なんとかいく時代でもありません。

ラグジュアリー、巨大企業が席巻 歴史・文化を武器に

最近、アート、特にコンテポラリーアートへの関心が、日本でもじょじょに若い人たちを中心に広まっているとの以下記事もありますが、これも、ラグジュアリーの再発見と同期化させると、みえてくることがあります。なにも高級ブランド企業の文化財団がもつアートコレクションのバックグランドを知るという意味ではなく、分野を超えた文化的なうねりを認識するのに貢献する、ということです。実際、上記のベイン&カンパニーのグラフには、アートもカウントされています。

さて、ここまで延々と書いてきて言うのも気がひけるのですが、上で紹介した日経新聞の記事は、ラグジュアリーにせよ、アートにせよ、極めて初歩的な解説です。この分野をまったく知らない読者を対象にしています(としかみえないです)。

逆をいえば、日本のなかで、この2つについて成熟な議論がされてきていない、その証です。しかし、同時に言えるのは、ラグジュアリーとアートについて語れることが、ビジネスパーソンに求められる素養であると語られる日も近い、ということです。

個人的なことに言及すれば、ぼくは記事で紹介されているような企業を「旧ラグジュアリー」と分類しており、そことは方向の違う「新ラグジュアリーのスタートアップ」の背中を押そうとしているので、旧ラグジュアリーの輪郭がはっきりとみえてくる動向は歓迎です(笑)。

写真©Ken Anzai



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