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女だから、女の気持ちが分かる広告が作れるわけではない。だけども。

広告で炎上しているのを見ると、胸が痛くなる。
ざまーみろなんて、到底思えない。
特にジェンダー周りは、よりつらい。明日は我が身に思えてしまう。

記事はジェンダーへの配慮が不十分で炎上する広告事例から、制作者たちはどんな視点や思考法を持っているか、またその制作環境についても言及しています。
まさに私も渦中というか業界の末席にいる一人として、振り返りながら現場から感じることを書きたいと思います。

「空気」は読み取れるものなのか

記事にもありますが、いきなり言ってしまうと炎上しない表現の正解なんて、ないです。制作者は皆悩み、模索しながらやっているはずです。

例えば私の担当する化粧品広告では、体感的にここ2,3年ぐらいでしょうか。意図なく「●●な女性たちへ。××な化粧品を」のような表現は避けるようになりました。化粧品の使用者が女性だけであるとは限らないからです。

そう表現することが、あるときから決まりになったわけでは決してありません。ただ広告は時代の空気に敏感です。物差しでは測れないものでもあるため、制作システムを確立しただけでは限界があります。
ネガティブ表現のリストを作り、チェックもしました。企画チームに女性のスタッフもいます。それだけでは防ぎきれないと感じています。

女であることは強み、という思い込み

ただ私も「女性であること」、それしか自分の強みはないと思い込んでいた時期がありました。
入社した20年ほど前は、化粧品会社でも広告制作のチームは男性のほうが多数でした。女性のクリエイターはいたけど、担当ブランドも多いため皆散り散りばらばら。特に新入社員の私は勉強も兼ね、超ベテランの集まるチームに配属されることが多かったです。

会議室の机の端っこで小さくなっている日々でしたが、ボールは突然に来るのです。
「女のひと的にはどう思うの?」
もはやラッキーだと思いました。広告制作者としてのキャリアは浅くても、女性としての視点は、私だけが持てる正解であり、この時間は、皆耳を傾けて話を聞いてくれる。しかもそこでちょっと面白いことを言えば、採用されるチャンスもあるかもしれない。若さゆえの浅はかさなのですが、自分の発言が、女性代表の意見としての見なされる責任の重さに気付いていなかったのです。

議論の場の多様性の大切さ  


ただ実際には私はそんな全女性を背負う立場でもなく、決裁の場はいくつもあり、変な案は却下されました。それでも今の社会や今の自分の視点で見たら、赤入れしたい過去作はあるのです。

検討を重ねてもなお、ときに予想外の反応が出てくることもある。だから決裁や議論のプロセスが誠実であること、様々な視点からの意見がフラットに同じテーブルにのることが大切だと感じています。

もし女性をチームに入れることだけで完結してしまっているなら即刻やめていただきたいし、制作者も、個人の野望と広告本来のゴールを間違った方法で混ぜてはならないと自戒を込めて思います。

あれ?私がほぼ初めての母ライター?

さて制作環境の話。
第一子の頃の約10年前、社内の広告制作の分野で出産して働くのが、私と同僚が実質初めてでした。(会社全体や、同じ部の別分野や超・大先輩では過去にいらしたが)
しかし前も語ったように子どもにまつわる話は100人100通りの物語があり、個人的な話です。
ただ周りでは、私たちが初めてである、その事実は確かでした。

すべてが手探りで、子ども2人ともなると、どこにもロールモデルなぞいなく、こんな風にキャリアを積めたらいいなと思う人は、記事内で取材されている、当時ご近所で働く国井さんしかいませんでした。他にも同じように働いている方もいらしたのかもしれない。が、そういう人を探すぐらいなら、1時間でも多く寝たかった。

制作の前提に、太刀打ちできなかった

自分の努力だけではどうにもならない、広告制作の大前提の前に途方に暮れました。
企業の活動というものは、大体はモノが生まれてから、最後にその広告が作られます。いわばリレーのアンカー。モノづくりの段階で何か起こって延期になれば、広告制作の時間はひっ迫されます。かといって依頼前に見切り発車して動くのも限度があります。(そもそも依頼も来ないかも!)
また制作には関わる人が多く、打ち合わせ一つ組むのも大変です。どうしても全員集まれるのが夜9時なんてときも。撮影や編集の拘束時間も長い。予想すらつかない日もあります。またクリエイティブとは時間をかけ「粘る」ほど良いものができると考える風潮もあります。(ここ判断難しいところもある)

少しずつの、明るい兆し

そんな日々に詰んでしまい、松屋銀座の地下を亡霊のようにさまよっていたら、国井さんが声をかけてくれました。私のしんどさは国井さんも通ってきた道であり、本当に助けられた。この10年、いつも誰かに助けられてもいるのです。

そして明るい兆しもある。
会社にはその後沢山の女性が入社し、7.8割女性チームというときも。出産し復帰する人も続いています。テレワークは画期的だったし、朝9時のteams会議で、男性監督から「保育園に送ってて遅刻します」とチャットが入り、産休育休を取る男性社員も出てきました。
いよいよ新しい働き方にシフトしているからこそ、打ち合わせひとつとっても、制作プロセス全ての必要性の精査や、濃度をあげていく必要が問われていると思います。

人生は短く、結局選択を迫られる

ただその変化は決して超高速ではないのです。
古い慣習を変えようと働きかけても結果を待つ間に、どんどん子どもは大きくなってしまう
その子それぞれに大切な時期があり、親の代わりはいない。人生は短い。しかも一度きり。
子育てだけでなく、色んな理由が重なってではあるが、広告制作者が最終的にフリーランスを選択することが多い現状にある背景を、業界や企業はどれほど真剣に受けとめているのか。
そして特に育児や介護、誰かのケアの場合、結局女性が変化の選択を取るケースが多いことも心にとめてほしい。

問題は多岐にわたるため、時間はかかると思う。私も日々模索してます。
ただ旧態依然の広告の仕組みに合わせられる制作者だけで作る広告は、炎上を繰り返すとも思うのです。

ついテーマがテーマなので、1月から熱く語ってしまいましたが、さて2月。(ほぼもう2月)またお会いできますよう。

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近森 未来(資生堂クリエイティブ コピーライター)
ここまで読んでいただきありがとうございます。 読んで、少し心がゆるんだり、逆にドキッとしたり、くすっとしたり。 おやつ休憩をとって、リフレッシュする感じの場所に ここがなれたらうれしいです。