「わからない」ものの価値に触れることで、自分の価値観をアップデートしていく。(若宮和男氏×高嶺格氏出演 常識を揺らす、アートのいたずら イベントレポート)
日経COMEMO主催のシリーズイベントとして、毎回大好評をいただいている「アート・シンキングの学校」。このシリーズは「わからないことに触れることの重要性」を体感できるイベントとして、うまく言語化できない感覚を大事にし、内発的動機につながる何かに敏感になりたい方に向けて開催しています。
著書『ハウ・トゥ・アート・シンキング』が話題のCOMEMOキーオピニオンリーダー若宮和男さんがホストを務め、今回は、あいちトリエンナーレでも圧倒的な展示で注目を集めた現代美術家の高嶺格さんを招いて、トークセッションとパフォーマンスによる「アートで常識が揺れる体験」が実現しました。
■若宮さんによる「アート思考」レクチャー
はじめに、若宮さんから「アート思考」に関するレクチャーが行われました。以下、若宮さんのお話のポイントを抜粋でご紹介します。
・「同じ」が価値だった時代から「違う」が価値の時代へ
まず、ビジネスにおける「アート思考」が注目されるようになった背景を見てみると、そこには「ロジカル思考」「デザイン思考」という流れが見えてきます。
2000年頃に登場した「ロジカル思考」は、見えている課題を分解して解決するためには非常にパワフルなツールでした。次に2010年頃、見えていない課題やニーズを抽出するために有効な思考法として「デザイン思考」が登場します。そして今、課題やニーズではない、新規事業を立ち上げやイノベーションを起こすために有効な方法として「アート思考」が注目されています。
これまで私たちは、「同じ」ものをたくさん作ることが価値であり、その中に違うものが混ざることは悪だと考えてきました。ところが、情報が溢れるようになり、「同じ」ものを作ってもその価値は埋もれてしまう、むしろ自分だけのオリジナリティのあるものを作ることが「価値」となる時代に入ってきたのです。価値観が180度変わり、「違い」が価値で「同じ」が悪と考えられるようになってきています。
世の中の不確実性が増し、変化が激しく少し先の未来も読めない状況の中で、「アート思考」が注目されるようになった背景には、このようなことがありました。
・イノベーションとは技術革新ではなく「価値革新」
イノベーションは日本語ではよく「技術革新」と訳されることがありますが、私は、技術を革新することではなく「価値革新」だと考えています。
今までになかった価値を生み出して、価値観自体を変えてしまうものがイノベーションなので、最初はそれが「歪なものに見える」という特徴があると思います。
この「いびつ」というものを、アート思考ではキーワードと考えています。正解の反対に不正解があるとすれば、正解だけが正しいことになってしまいます。しかし、不正解の「不正」という文字を1つにまとめてしまうと「歪」という文字になり、不正解は「歪解」となります。
これは私が作った造語で、「歪解(わいかい)」と呼んでいます。
アートのひとつのあり方として、この「歪解」を求めていくということがあり、不確実性が高く正解がわからない時代に、この考え方が重要なポイントとしてビジネスにおいても注目されるようになってきたのだと思います。
・「常識」を疑って「常識の外側」を見る
「歪解」を求めて行く中で、それをはばむものが「常識」です。みんなが前提として思っていること、信じて疑わないことの外側には、違う次元があります。
「常識」というのは、1つの平面に乗っているときに、その次元だけにロックされてしまうということです。そこからどんなふうに逸脱をしていくのか、もしくは、違う次元をどうやったら知ることができるのか、そこがアート思考のポイントです。
今日のイベントでは、「常識をどうやって外していけばいいのか?」「既存の価値観からどうやって自由になればいいのか?」「価値観自体を変えてしまうようなイノベーションはどうやったら起こせるのか?」を考えていきたいと思います。
■高嶺さんによるアートワーク
次のパートでは、高嶺さんご自身の解説による作品の紹介がありました。高嶺さんのお話を抜粋でご紹介します。
・「2.5トンの油粘土」を持ち込んで、新しい創作の場で戦う。
最初の作品は、「God Bless America」というクレイアニメーションです。
「God Bless America」という曲はとても有名な曲なので、皆さんもお聞きになったことがあるかもしれません。この歌を中心に私が2002年に作った作品が「God Bless America(クレイアニメーション)」です。この前年の2001年に起こった、9.11のテロ事件に呼応して作った作品です。
実は私はアニメーションを作ったのはこれが最初で、それ以降作っていないので、私のアニメーション作品は1つしかありません。でも、この作品は非常に人気があって、いろいろな国に呼ばれては発表したり紹介したりしました。
アニメーションを作ったことのない人間が、クレイアニメという歴史のある世界でどう戦えばいいのか。
私は9.11があった後に、ものすごく衝撃を受けて、今後世界がどうなっていくのだろうかと、毎日考えていました。そこで、アメリカをテーマにして作品を作ってみようと思うようになりました。
当時、とても気になっていた曲を中心にして、2.5トンの油粘土を持ち込んで、全身を使って作っていく。思うようにコントロールができない中、即興に任せて1日中作業をして作っていく。それを繰り返す様子を撮ってアニメーション化して、編集をせずに全部繋げてムービーにしました。
私生活を全部さらけ出すというプランでこの作品は作りました。
・「無意味」なものを、できるだけ「意味」が発生しないように創る。
次は、「大きな休息 明日のためのガーデニング1095㎡」という個展です。
「せんだいメディアテーク」という仙台唯一のアートセンターでやった個展です。実はここの建物がとてもユニークで、壁と柱で建物の重量を支えているのですが、壁が全部ガラスでできているんです。そのために、建物を13本のチューブが貫通する作りになっているという、建築物としては非常にユニークな構造になっています。
中の空間もとても気持ちが良くて、とてもオシャレで、採光のこともよく考えられている、美しい建物です。しかし、これが美術作品の展示会場としては非常に難しい。チューブの存在があまりにも強く、それを隠すためのカーテンなどもあるのですが、逆に存在感が増してしまうような感じになっていて、それに打ち勝つためにはどうすればいいかと、非常に頭を悩ませました。
一時は「何も展示しないことにしよう」というところまで考えました。
最終的には、一緒にやってくれていたスタッフの実家が、ずっと誰も住んでいなくて廃棄するということだったので、それを解体して持ち込むことにしました。廃材を使った非常に無意味な展示を、なるべく無意味になるように、意味が発生しないように展示して、それを目の見えない案内人が案内して回る、というような展示にしました。
展示というよりも、パフォーマンスに近い作品になったと思います。
・先のことがすべて見える作品を、思いつく瞬間がある。
最後は、「The Unwelcomed 歓迎されざる者」 という劇場作品です。
この作品は、「ロームシアター京都」という劇場で発表した作品です。当時、私は秋田に住んでいて、「漂流船が漂着した」というニュースを知って、近所だったので見に行ったことがありました。
4人の遺体が出てきたそうで、警察が調べるために船の横には切り抜いた跡がありました。なんとも言えない臭いがしていて。それは死体の臭いではなく、潮の臭いだったと思いますが、それが強烈に鼻にこびりついてしまいました。
この体験の翌日、妻はそこに「花を持って行きたい」と言い出しました。私の大学の同僚には、漂着船が着いたことに強い嫌悪感を示した人がいました。この2つのことが頭の中で組み合わさって、それを作品にしようと思いました。
創作活動をする中で、そのスケジューリングから何が必要かまで、一瞬で先が全部見える瞬間に出会うことがあります。この作品はまさにそれで、「こういう作品を作ろう」とすぐに動き始めました。
■若宮さんと高嶺さんのクロストーク
ー若宮さん
高嶺さんのクリエーションの観点はどんなふうに見つかってくるのか、まずはそのあたりからお話をお伺いしたいです。常識的な観点から「これはきっと世の中に受け入れられるだろう」というようなことでは、出てこない感じがするんですよね。
ー高嶺さん
横浜美術館で個展をやったとき、僕の前が「ドガ展」だったんです。それで、ドガ展のあつらえをそのまま残してほしいとお願いしました。使っていたキャプションや壁の造作など。
印象派の展覧会を日本でやると、何万人という人が入ります。それに対して、僕のような現代美術の個展は、その100分の1くらいです。その差が「気にくわない」わけですよね(笑)
現代美術には「わからない」と言っておくほうが安全、印象派には「わかっている」と言ったほうが教養がありそうな感じがする。みんなそう思っているのではないでしょうか。その回路をおちょくってやりたい、そういう気持ちがあるんですよ。
キャプションがどう書いてあるかで「アートっぽく見える」かどうかが決まったりするんです。「それっぽくする」とみんなありがたそうに見るんですよね。価値があるように見えてくる。展覧会にきてもらうための入り口として、そんなこともしたりしています。
ー若宮さん
「アート思考」というのは「こういう考え方をすれば新しいことが思いつきいますよ」ということではありません。新規事業などを考えるとき、「こうあるべき」という一般的な意味で求められるものにとらわれてしまうと、その外側が見えなくなってしまいます。
現状のある姿の裏側に目を向けることが必要だと思います。そこにはある種のユーモアも大切で、高嶺さんの作品の「いじわる」さのようなところがそれだと思っていて、僕は面白いと思っています。
ー高嶺さん
確かに、固定的になるのを嫌うところはあると思います。僕は舞台もやりますが、「こうだろう」という意味が発生しそうになったときに、それを裏切るシーンをわざわざ入れて、それを繰り返すことで作品を作り上げています。
ー若宮さん
高嶺さんの作品は、社会に対して批判的な題材であっても、「おかしいじゃないか!」と言うのではなく、自分がもともとその価値観に巻き込まれていたような、自分ごとひっくり返してしまうような、そんな感じがしています。あえて、題材として社会的な問題を取り上げて、そのようにしているということはあるんですか?
ー高嶺さん
基本的には自分の興味がどこに向くかで題材を決めています。危機感を感じたときに、それをなんとかしたいという気持ちで作品を作ることもあります。せっかく作るなら、本気で取り組みたいわけです。できるだけ作品にしづらそうなものに取り組む傾向はあるかもしれません。その難しさと向き合って、具体的なソリューションを見つけ出し、形にできるかどうか、ということに対する挑戦ですね。
ー若宮さん
ここから少し、質問にも答えていきたいと思います。
Q .ビジネスで企画を考えるときに、新規性だけではダメで、類似性(すでに認められているものを上手く取り入れること)が必要と言われますが、アートにおける新規性と類似性のバランスはどのように考えていますか?
ー高嶺さん
僕はこの質問にすごく上手に答えられるアーティストをたくさん知っていますね(笑)リサーチ型の過去作品のレファレンスをもとにした作品では、美術史に対する批評を含んでいるかどうかということが、その作品の評価に大きく関わってきます。そこで勝負をしている作家はたくさんいます。
私たちはみんな人類の長い歴史の先っぽにいる、その歴史の積み重ねを受けて今を生きています。その実感はあるものの、僕はそのバランスをあまり考えてはいません。
ただ、長い歴史がある中で、普通に勝負しても全然歯が立たないことに関しては、飛び道具を使ったり、裏の手を使ったりして、「これならいける」と思ったことをやっているという感じです。
Q .最近アート思考などの本が出回っていますが、自分の内面を見つめるといったクリエイター向けの本で、違和感を感じています。アート思考自体は重要だと思っているのですが、領域横断的にどう生かせるのでしょうか?
ー高嶺さん
よく思うのが、自分というのは自分がこうなろうと思って、こうなったわけではないということです。人間は作られるもので、自分はどう作られてきたのかということを、日常的に問う作業が非常に大事だと思います。
「今、なぜ自分はこう思ったのか?」「それはどこからきているのか?」ということを常に考える。それは、自分を社会の中でどう位置付けるかということと、同じ作業だと思います。
ー若宮さん
「自分の内面を見つめる」ということは、極めて危ないような気がしています。自分が本当にそう思っているかというと、そんなことはなくて、常識や良識、他人の思考によって判断の基準を無意識にセットされている可能性もあるわけです。
それに騙されずに、自分だけが出せる価値かどうかを、社会との関係の中で考えていくことが大事だと思っています。違和感をきっかけに問い直しながら、誰かが決めたことではない自分らしさのようなものを出していくことを、実践としてやっていけばいいと思います。
■最後に
ー高嶺さん
僕は、自分の作品を発展的に、美術館やギャラリーでどう展開していけばいいかということに対しては、ほんとに才能がないんですよ。なので、若宮さんの本でビジネスに関して勉強になることがたくさんありました。
ビジネスに関しては疎い僕ですが、直接ではなくてもいいので何らかの形で「役に立つ」ということは、考えながら作品を作るようにしています。着地点がどこにいくかは見えない部分が多いですが、「直接じゃないけれど役に立つ」ことがアートのいいところだとも思っています。
そういうものを「みんな」と一緒に考えていきたいと思っています。多分、ここに参加している方たちは、そういうことを一緒に考えることができる方たちなのではないかと思っています。
ー若宮さん
今日、もやもやとした気持ちのまま終わったという方が、結構いらっしゃるのではないかと思います。ビジネスの場では、求められているニーズに当てにいくということが決められていると、既存の価値観の中で再生産してしまったり、徹底的にマーケティングをすることが是とされたり、価値観がなかなかアップデートされていきません。
そして、そのような中で「いかがわしいもの」は排除されてしまう。一見わからないものの価値によって価値観をアップデートしていくことは、メタな意味での「役に立つ」だと思います。
いわゆる有用性だけを追い求めていると、そういう観点が抜け落ちてしまうことがあるので、そこをアートに触れながら、自分の価値観の「揺れ」のようなものを感じながら、やっていければいいのかなと思っています。
■登壇者プロフィール
若宮和男さん
uni'que代表/ランサーズタレント社員
建築士としてキャリアをスタート。その後東京大学にてアート研究者となり、建築・アート論、ニーチェ研究をしつつ、アートイベントを主催。2006年、モバイルインターネットに可能性を感じIT業界に転身。NTTドコモ、DeNAにて複数の新規事業を立ち上げる。2017年、女性主体の事業をつくるスタートアップとしてuni'queを創業。「全員複業」という新しい形で事業を成長させ、東洋経済「すごいベンチャー100」やバンダイナムコアクセラレーターにも選出。ビジネスに限らず、アートや教育など領域を超えて活動。2019年『ハウ・トゥ・アート・シンキング』を出版。
高嶺格さん
現代美術家/多摩美術大学 彫刻学科長
1968年鹿児島県生まれ。京都市立芸術大学工芸科漆工専攻、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー[IAMAS]卒。93年から4年間にわたって「ダムタイプ」のパフォーマーとして活動した。これまでの作品に、身体障害者の性を題材とした映像作品《木村さん》(1998)、自身の恋人との関係を起点に、在日との関係を問い直す《在日の恋人》(2003)、放射能汚染をめぐる会話を舞台上で再現した「ジャパン・シンドローム」シリーズ(2011-)など現代社会に潜む諸問題を、パフォーマンス、映像、インスタレーションなどの多様な表現で展開してきた。また、アメリカの9・11を出発点とし、2トンに及ぶ粘土を使ったクレイアニメーション《God Bless America》(2002)を第50回ヴェネチア・ビエンナーレに出品した。主な個展に「在日の恋人」、「とおくてよくみえない」「高嶺格のクールジャパン」など。
■イベントにご参加いただいた皆様へ
日経COMEMOは、すべてのビジネスパーソンに「書けば、つながる」の実現を目指して、活動を行なっています。
ユーザーの皆様に、ニュースに関して自分なりの意見を書いて発信していただくための様々な取り組みを行なっており、イベント開催もその一環です。皆様に「イベントレポート」などを積極的に書いて発信していただきたいと思っています。
ぜひ「 #日経COMEMO 」をつけて、今回のイベントの感想やご意見をnoteに書いて発信してください!運営チームのメンバーが読みに行きます。
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