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学び直しの文脈で「シニア人材」という対象はいない【Part 2】

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「学び直し」⇒「転職」という美しいストーリー

先日、岸田文雄首相が「キャリアアップを目指す人に専門家の意見も聞きながら、学び直し(リスキリング)から転職まで一気通貫で応援する制度を創設したい」と衆院予算委員会の答弁で述べた。
成長産業では常に人手不足だ。しかも、日本の産業構造は教育制度とのミスマッチを起こしていて、産業界が欲しい人材を教育界が提供できているかというと疑わしい。例えば、エンジニアが不足し、データ分析がどの職種でも求められるようになって文系理系関係なく数字を扱うようになっていることは、何も急に出てきた問題ではない。数十年前からわかってきたことだ。しかし、若者の理科離れと数学離れは深刻化する一方だ。このような需給ギャップを埋めるために、学び直しで人材の最適配置を目指したいという気持ちは理解できる。

一方で、リスキリングで成長産業に人材をシフトさせるというストーリーにどれほど現実味があるのかわからない面もある。キャリア論のセオリーで言うと、キャリアアップを目指す人は多くの場合は自分の仕事の延長線上を目指す。例えば、飲食店のウェイター/ウェイトレスがソムリエを目指したり、自動車ディーラーの販売員が高級外車の営業となって、専門性と収入の向上を目指す。
まったく異なる領域に転身するのは、キャリアップではなく、キャリアシフトだ。キャリアシフトをするということは、初心者からやり直すということなので、その意思決定のハードルは高い。
特に、昨今の学び直しの文脈で語られる対象は50代以上のシニア人材が主だ。アラフィフになって、「あなたの専門性は陳腐化して市場価値がなくなったから、一から勉強しなおして成長産業に転身して欲しい」と言われて素直に応じる人はどれほどいるのか。

そもそもシニア人材など存在しない

それでも、シニア人材の「学び直し」の事例をみていると、成功例もでている。また、「シニア人材の学び直し」事業で成功したという企業も容易にみつけることができる。個別のケースでは成功例がみつかるのに、なぜ統計でみると厳しい結果が出てしまうのか。ここには「シニア人材」という言葉の恐ろしさがある。
そもそも、「シニア人材」とは誰を指している言葉なのだろうか。丸の内の大企業で働く役職定年前後の管理職を指すのだろうか。それとも、大企業で管理職にはなれなかったが長く勤務した従業員を指すのか。また、中小企業で長らく屋台骨を支えてきたベテランだろうか。ほかにも、工場や現場仕事で長らく働いてきた職人さんたちもいる。さて、「シニア人材」とはこの中の誰を指した言葉なのか。また、すべてを総体した言葉なのだろうか。
「シニア人材」がすべてを総体した言葉なのだとしたら、それまで歩んで来た人生がまったく異なる50代後半の会社員をまとめて同じ施策でカバーすることの無理筋も見えてくる。
「シニア人材」の学び直しについて検討するのであれば、まずはじめに「シニア人材」は誰かを特定しないことには始まらない。試しに、「シニア人材」について整理するために4象限でまとめてみた。X軸を「自分のキャリアを自律的に歩んで来た/いない」、Y軸を「学びの習慣がある/ない」で整理している。

第1象限は、学びの主観があって、キャリアを自律的に歩んで来た「自律型」のシニア人材だ。この象限に含まれる人は、キャリアの節目に、更なる成長と挑戦を求めて転職をしたり、大学院へ進学して専門性の習得をすることで自分のキャリアを自分でデザインしてきた。社外の勉強会にも積極的に参加し、自ら学ぶことにもどん欲だ。例えば、知の巨人として有名な出口治明氏の主催する学びのコミュニティの参加者や、グロービスのような実践を重視したビジネススクールの修了生に多い。シニア人材の学び直しの成功事例として取り上げられることも多い。
第2象限は、学びの習慣があるが自分のキャリアを自律的に歩んでこなかった「生徒型」のシニア人材だ。1つの企業に長く勤めあげ、会社員として成功してきた人に多い。会社から与えられた職務に全力で取り組むために、社内外の学びの機会や人的ネットワークを駆使して、自己研鑽に努めてきた。
このタイプの人は、政府の言う「学び直しからの転職で成長産業へのシフト」に最も適していると言えるだろう。学ぶことに慣れているだけではなく、会社や行政などの上位組織から与えられた職務を忠実にこなすことに抵抗感が少ない。例えば、大手製造業の技能職や理系職種のように、資格の取得や新しい設備の操作方法の学習など、キャリアを通して新しいことを学ぶ機会が多かった人々だ。
第3象限は、学びの習慣がなく、キャリアも自律的に歩んでこなかったシニア人材だ。このタイプの人は、まずは学ぶことの習慣をつけることから始める必要がある。そうすると、ハローワークの求職者支援訓練のようなイメージが近い形式となるだろう。年齢によって新しい仕事を見つけることができなくなったり、会社内でのポジション低下や収入の減少をどうにかするためにスクール形式で最低限のスキルを身に着け、新天地を探すことになる。
しかし、このタイプでは現在のハローワークで生じている問題がそのまま降りかかるリスクも容易に想像できる。つまり、求職者支援訓練の質の確保が難しく十分な訓練を受けることができないことや、求職者側に訓練を受けてまで仕事が欲しいという動機付けがないこと。また、受け入れ企業が健全な経営をしているとは限らず、労使問題が起きやすいことなどだ。
第4象限は、学びの習慣がないが、自分のキャリアを自律的に歩んできたシニア人材だ。仕事で身に着けてきた専門性を活かして、さまざまな企業でキャリアを歩んで来たり、社内公募制などの組織内の機会をうまく活用してきた会社員だ。一度身に着けた専門性の応用でやってきたが、専門性の幅が狭く、新しいスキルを学んでこなかったタイプだ。「もう年だから、デジタルとかわかんないよ。若い人がやってよ。」と新しいやり方を学ぼうという姿勢がない中高年社員が典型的な人物像だ。
このタイプに新しいことを学ぶように啓蒙することは容易ではない。そのため、カウンセラーのように対話を通して本人の気づきを促し、将来どうしたいのかを自分で決めてもらうことになる。新しいことを学ぶように行動を変容するのも良いし、自分の既存の専門性が活かせる場所を探して新天地を探すことを意思決定することもあるだろう。

今回は4象限で整理したが、シニア人材と言ったとき、その対象がボヤけてしまうことが最も好ましくない。事業として考えるなら、顧客と市場が曖昧になってしまい、誰にどのようなサービスを届けるのかがはっきりしなくなる。政策としても社会課題の何を解決するのかが明確ではなく、やったは良いものの社会は変わらずに問題は解決されないままズルズルと続いてしまう事態になりかねない。そして、現状の多くのシニア人材の学び直しの議論が、残念なことにやったは良いものの社会課題の解決には繋がらずに進んでしまいそうな怪しい雰囲気が出ている。
シニア人材の学び直し施策を企画する行政の担当者や事業者には、社会課題を解決するために小さくても構わないので、明確でクリティカルなアイデアが求められている。

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