ミラノの刑務所に入ってみたーミラノデザインウィーク(前半)
4月17日週はミラノデザインウィークでした。毎年、この時期に郊外で開催されるミラノサローネ国際家具見本市と、同時期に主に市内で無数に行われる展示イベントをまとめてミラノデザインウィークと呼ばれています(このイベントの発祥からの変遷に興味があれば3年前に書いた以下の記事をご覧ください)。
その今年の一発目の訪問先にぼくが選んだのが、ミラノ市内にある刑務所です。正確に言えば、現在は刑期が決まる前の人たちが収容されている拘置所です。およそ1200人のキャパがありますが、現在、囚人の6-7割は非欧州人だそうです(正確な数字は確認できていません)。ここで囚人によるデザイン作品の展示と、その作業を撮影した写真の展示がありました。考えるべきことが多かったので、デザインウィーク前半編として、ここでの見聞を書きます。
ただ、スマホも含め、すべての私物は入口のロッカーに預けるので、見たこと聞いたこと、その場で頭に叩き込んだ範囲で書きます(冒頭の写真は、入る前に撮影した刑務所の壁です)。刑務所はパノプティコンと呼ばれる、中央に監視塔をおいているシステムを採用していますが、その中心が上の写真にある場所です。ここが6つの棟の起点になっています。今回、ぼくも、この柵まで入ることができました。
人は自分の手で何かをつくり、それを説明したい
囚人たちがやったのは、刑務所内に既にある材料で家具や雑貨をつくることです。ペットボトル、そのキャップ、新聞紙、ボール紙、段ボール、セロファン、木片などです。捨てるべきものの再利用です。
新聞紙を固くまるめ、その外側をボール紙とセロファンで覆い、円柱をつくる。その円柱をたくさん組み合わせ、ちょっとリラックスできるチェアにします。あるいは色の違うペットボトルをさまざまにカットしてオブジェにする。また、木片と段ボールをつくった鍵のかかる箱、キャップで作ったピラミッドが実は中が動くメカニズムとなっている・・・と思いっきり工夫されているのもあります。
これらを中庭に展示し、つくった囚人たちは10人くらいの見学者グループにそれぞれに説明してくれます。それも、熱心ににこやかに。その様子をみていて、「人はどんな状況であっても、自分の手で何かをつくり、それを他人に話したいんだ」ということが痛いほどに感じます。
小さい子どもが自然の環境にある材料で何かをつくり、それを親に一生懸命に説明する、あの風景とまったく同じことが、刑務所内の庭で行われていたのです。
「誰でもクリエティブな力があるのだ」との表現を、いろいろな場でぼくも語り書いてきましたが、「クリエイティブな力」などと格好つけずに言わずとも、人が生きる力の根源がここにあるのではないかと思えます。
限られた条件のなかで作業する
囚人たちは、いわゆる「囚人服」を身に着けているのではなく、まったく普通の格好をして生活しています。囚人の生活はかなり自由がきくようになったと評価を受けることもありますが、刑務所内にオフキャンパスをおくミラノ工科大学のデザインの先生によれば、「額面通りには受け止められない」そうです。
上述の作品をつくるに要した半年程度の時間も、囚人が自由に使えたわけではないです。
狭い空間の監獄のなかで、ワークショップを主導する外のボランティア団体がいる時間帯にのみ、先が丸くなっているハサミなどで作業します。その限られた時間と道具で、しかも「この材料が足りないから、あの店で買ってきてくれ」とも言えないところで頭をひねるしかないのです。
それでも、囚人いわく、「作業できる日は朝から楽しみだった」ようです。
「チャオ」と呼びかけられて一瞬焦る!
この中庭での展示を見学して、囚人から作品の説明を受けていたとき、ぼくの顔を見た1人の囚人に「チャオ!」と皆の前で声をかけられました。いかにも「(久しぶり!)」という雰囲気があり、その瞬間、10人くらいの他の見学者たちが一斉に「(お前は以前から知り合いなのか??)」という感じでぼくの顔をみて、一瞬焦りました 笑。
誰か人違いなのかどうかわかりませんが、その時にぼくが焦った気持ちが、まさしく、ぼく自身が刑務所や囚人に抱いている偏見の裏返しなのだと気づかされました。
中庭をみている看守は3人程度で、彼らは彼らで雑談をしており、囚人と見学者の間での会話をチェックしている様子はないです。それでも、囚人と近しいと思われる兆候があれば、ぼくとしても囚人と話しづらくなります。
上述した手の器用さと工夫力を発揮してそれなりのメカニズムのあるピラミッドをつくった囚人は、周囲の仲間からは「エンジニア」と呼ばれ、一目置かれています。鍵の仕組みにも詳しい。そういう人に向かって「前職は何だったの?」と聞くのは憚れます。
いわんや、「ここの生活はどうなの?」とも聞けない。そのあたり、抑制がかかる自分を意識せざるを得ません。
多くが外国人の囚人であるコミュニティ
先に書いたように、6-7割が非EU出身の囚人です。アフリカや中東からの難民や移民です。ここで知り合った心理カウンセリングのボランティアの方によれば、非合法の入国や滞在のため、社会で生きづらく、結果的に悪事に手を染めてしまうことがある、とのことです。
そうした人たちは、家族や親せきがイタリアにおらず、面会にくる人がいないので孤独感が激しく、心理カウンセラーが必要とされるのです。
外国人が多いとなると、言葉によるコミュニケーションが障害になりそうです。それぞれの主な言語の通訳がいるだけでなく、同国人同士が助け合って通訳を買って出るケースもあると聞き、感心しました。
ここでボランティア活動をする人は100人以上います。刑務所の外でなかに入れる許可された時刻まで待っている間、かなり頻繁にそのような人たちが出入りするのを眺めていたので、ある程度のコミュニティができているのだと想像できます。しかも、ここは刑期が決まる前の段かいなので、流動的なコミュニティです。つまり、流動的なコミュニティの運営の仕方がノウハウとして蓄積されているのでしょう。
そういう姿を撮ったのが、イタリア人の建築家で、それらの写真が監視塔に通じる廊下の壁を使って展示されていました。
そもそも、なぜ刑務所に行こうと思ったのか?
上記の一連のワークショップから展示までを主宰したのが、Repubblica del design (デザイン共和国)という地域開発の団体です。それと濃い関係のあるミラノ工科大学オフキャンパスのオフィスも、この廊下に面したところにあります。監獄を改造したものです。扉と壁の厚さから、その堅固さがわかります。
ぼくがミラノの刑務所に興味をもったのは、もう少し郊外にある別の刑務所で市民に開かれたレストランをやっていることを以前、知ったからです。また、自由に部屋を出て自分のファッションで生活できると聞いたからです。
そして、そういう空間にミラノ工科大学が昨年、オフキャンパスを設置し、これからデザインを使って活動をしはじめたとの情報を得たのです。オフキャンパスの刑務所内の役割が事前に決まっていたのではなく、まずは監獄の一室をオフィスにして、週の決まった曜日の決まった時間帯に限ってリサーチャーが滞在して「何をするか?」を考え始めたのです。
リサーチャーも勝手に囚人と話せるわけでもなく、写真を撮れるわけでもない。その極めて限定的な制約のなかで自分たちの活動テーマを模索するのです。
ある意味、デザインのあり方を知る究極の姿がここにあると思ったがゆえに、身分証明書のコピーを2週間前以上に送り、デザインウィーク中に開催される展示を見に行こうと思ったのです。それは、以下で紹介した、まちづくりの本の内容の延長線上にあります。移民の多い地域のコミュニティのつくり方、認知症の人たちのケアセンターの運営の仕方、ソーシャルハウジングといったテーマのなかに刑務所の問題も密接に関係すると思ったわけです。
因みに、このサン・ヴィットーレ刑務所は19世紀後半、イタリア国家統一に合わせて作られたインフラです。それまで囚人は元修道院などに収容されていたのですが、政治体制の確立と共に刑務所もそれに見合うものが求められたのです。第二次世界大戦中はユダヤ人の収容所となり、ここから中央駅に連れて行かれ、貨車でポーランドの強制収容所に運ばれました。
戦後は政治犯などで捕まった名の知れた人たちが、ここに入っていました。ファッションの世界に生きたマウリツィオ・グッチも殺人の罪を犯して収容されていたようです。
そして、今は難民や移民を背景とした社会問題がこの場所に反映されているわけです。デザインを考えるべき起点として、サン・ヴィットーレ刑務所があると狙いを定めた理由はここにあります。
次回の後半は、これを視点として、どうデザインウィークを探索したのかについて書きます。
<追記:下記が後半です>