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街を単機能で見ない -15分都市で考えるべきこと(日本滞在記4)

街を歩くのはそうとうに面白い行為です。何かが見える、あるいは瞬間的に何かが見えている気になれる。

散歩しながら詩を書く活動もあるようです。

散歩をして、詩(ポエム)をつくる。ふたつを掛け合わせたイベント「Sampoem(サンポエム)」を催す大学生がいる。国際基督教大学4年生の伊藤悠希さん(21)と東京大学4年生の山口温大さん(22)だ。たわいない遊びは、遠くイランの人々と風景や詩情を共有する交流会にまで発展した。詩を通じて誰かの散歩と出合う。堅苦しい「異文化理解」とは一線を画した、心地よい「発見」のひとときだ。

さて、日本滞在記の4本目です。今回は街歩きをしながら考えたことです。

先週、京都に数日滞在し、いくつかの地区を歩きましたが、殊に京都駅からすると西側にある梅小路エリアに興味を惹かれました。食の市場や問屋が多かった地域が、今、新しいクリエティブな雰囲気をもちつつあります。そしてJR嵯峨野線を挟んで反対側(より都心側)は花街でもあったらしいですが、こちらにもところどころ、変化の兆しが窺えます。

また横浜に戻り、久しぶりに野毛、日ノ出町、黄金町、横浜橋商店街あたり一帯も歩きました。伊勢佐木町のような旧ブランド通りは外食チェーン店がメインになり、一方、脇道に入ると若い人による新しい店もあり、それを街のバランスとみるか、イノベーションのはじまりとみるか、と考えました。

こうした散歩をしながら、世界各地で進む「15分都市 15-minute city 」プロジェクトについて想いをはせました。

15分都市とは何か?

徒歩や自転車または公共交通機関によって15分であれ、20分であれ、比較的小さなサイズのゾーンで生活や仕事ができるエリアのコンセプトを指しています。かなり以前からある考え方です。特に注目されるようになったのは、ソルボンヌ大学のカルロス・モレノ教授が提唱し、2020年、パリ市長選においてアンヌ・イダルゴがそのコンセプトを採用したからです。

もちろん、パンデミックにより移動がしづらくなり、近距離内ですべての用事が済ませる必要が出た。しかも、移動においては他人との接触が避けられることが望まれ、自転車は手段として推奨されたとの実利もあります。

また、遠くにいる会ったこともないソーシャルメディア上の友人が沢山いるのに、隣の人に薬を買ってきてもらうことさえ頼めない・・・これって、どうなの?との現実に向き合ったのも事実です。

いずれにせよ、バルセロナ、ベルリン、ミラノなど欧州の各都市や他の世界で、この政策が推進され、都市計画の基本にあったゾーニング(商業地区、オフィス地区、住居地区など)を見直し、それぞれの都市機能が混ざることで住みやすくなるのを目指します。

環境に負荷のある移動が減り、近隣の人々との必要なときの助け合いがしやすくなり、人との関係性が重視される社会に近づきやすくなります。

それって、小さいサイズの都市圏の話?

以上のようなコンセプトは、日本において「面白い!」と興味をもつ人もいる一方、「それって、欧州の都市のように、人口と広さが限定的なところで有効な話じゃない?東京では無理だよ」と冷淡な人もいます。

しかし、今回、日本の各地を巡りながら、東京を日本の代表事例として使う時代でもなくなったと強く感じていました。リモートでの仕事が可能との理由だけでなく、首都圏の特殊性だけが一般性を帯びて理解される危険がどんどんと増していると考えていました。

他方、15分都市を採用する街として京都は適当なサイズであるだろうと思っていましたが、実際に街を歩きながら、これを実感しました。

しかし、横浜の上記の地区でも15分都市は可能だと気づいたのが、収穫です。実のところ、東京においても可能なはずですが、どうも東京といったとき、人は大きなサイズで捉えすぎる、その認知自体が問題なのかもしれない、と思い直しました。

「道」を移動の場という単機能でみない

横浜の伊勢佐木町を歩きながら、歩道面積を増やしクルマが走りにくいつくりにし、しかも歩道と車道の境が直線ではなく曲線にした、いかにも「歩く人の魅力を優先しています!」道が、ちっともそう思えないと感じました。

極端な表現をすれば、外食チェーン店やパチンコ屋の前を通過するベルトコンベヤーのような気がするのです。そこで、15分都市で何が強調されているのかを思い出しました。「さまざまなスペースを単機能でみない」という点です

道であれば、移動のためだけの機能的スペースとしてみない。人との出逢いの場であることを忘れてはいけない。だから、クルマが走りにくくなるようなでっぱりをつくり、時速10キロに抑えるようにしたからといって「人が中心の街」とはならないのです。

あるスペースに複数の機能と意味をもたせる他の例として、学校があります。子どもたちが昼間の授業を終えたあとの施設は近隣の人々の家庭菜園であり、コワーキングスペースでもあるのです。

この考え方の導入にあたり、都市のサイズは関係ないでしょう。横浜であれ、東京であれ、15分都市のコンセプトは大いに使えると考える理由です。

レジリエンスのある街づくり

日本滞在記3において「外食チェーン店の質が低下?ー工業品質的管理の脆さ」について書き、以下を指摘しました。

今までローカルコミュニティとの観点で、「個人商店が多い街では、街づくりの真剣味が増す」と考えてきました。しかし、食そのものにも適用できるのです。最近、よく使う言葉で表現するなら「個人経営の飲食店は社会のレジリエンスに貢献する」ことになります。

外食チェーン店が主流であるエリアは単機能の傾向にあります。今の伊勢佐木町です。しかし、脇道にある数々の店や横浜橋商店街は複数機能の可能性を多分に含んでいます。

したがって、15分都市が成立する有力候補になりうるのではないか。「東京は無理だ、京都ならいけそうだ」と思うこと自体に認知の罠があると認識して、もう一度、横浜のまちを見てみようかとの気になりました。

災害にも強い街をつくるのは、日本のすべての場所にとって必須事項でありますが、ハードのインフラもさることながら、ソフトのインフラをどうするか?が課題です。

そのとき、15分都市にある「スペースを複数の機能と意味で捉え直す」アプローチが有効になると思います。



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