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めっちゃ長い部署や肩書を書いた名刺に出会った時に思うこと #肩書を複数持つ必要ありますか #COMEMO

このテーマになるとやっぱり僕の中では、(絶対にnoteを書かない = はてブ村の住人の)この方を想起します。(以前のCOMEMOでも書いた。)

パラレルマーケター」というシンプルなタグで、市場でのアイデンティティを顕示しているのは、強いなぁ、と。そして、先日、このYouTubeを見ていて思ったのですが、この界隈には、同様に #自分にハッシュタグを  的に1つのタグで存在感を出している方々がいらっしゃいます。

この放送を聞いていて、感じたことは、

僕って、NANIMONO?

って思いました。(以降のパートはこちらを聴きながら、どうぞ)

自己存在意義・存在証明としての「名刺」

若い頃は、「自分がNANIMONOであるか?」の証明として、「名刺」と「そこに書かれている文字情報」がとても役立ちました。企業名と組織と肩書のもっているブランドが、自分自身を代弁してくれていました。

新入社員であっても、あの紙1枚あるだけで、企業の知名度(と信用)があれば、自身までも信用ある人材であるということを証明してくれる不思議な用紙です。(パルコとキリンの名刺は、遺憾なくその効能を発揮してくれました。)

ただし、僕は、この数年から、そのへんの感覚が麻痺してきて、名刺の価値を一切感じなくなってきました。名刺がなくても、仕事が機能するからです。(組織としては別の話です。展示会などの場では、名刺が必須です汗)

この数年は、リアル名刺交換をする時、「あの島袋さんですね...!ようやくお会いできました..!」とお声がけいただく、「事前に知られていること」が、頻繁になりました。様々なメディアや個人発信のおかげで、(良くも悪くも)知れ渡る環境があったためです。(ちなみに、ただのサラリーマンなのに、街場のカフェや飲食店でも知らない方から声をかけられるようにもなります汗)

そうなると、紙の名刺の機能や、そこに書かれいる情報は無価値となります。Eメールアドレスや電話番号も書いてありますが、僕のスタイルだと、ガツガツコミュニケーションする方は、メッセンジャーでやりとりすることがほとんどだからです。(シャドーITな話題もありますが、当然セキュアな情報やりとりは、所属企業提供のEメールを利用しています。)

めっちゃ長い部署や肩書を書いた名刺に出会った時に思うこと

今回タイトルにした、このようなケースに出会うことありませんか?

大企業の新規事業部や、兼務が重なっていて複数部門を掛け持ちしている方などに多いのですが、「〜部 兼 〜部 兼 〜部 / マネージャー 兼 エバンジェリスト」みたいな。

で、「あなたはNANIMONOなのですか?」と。

その方は、自分でも自分自身をうまく表現できず、「まぁ、いろいろやってます〜」とお茶を濁すような。

これは、当人が悪いのではなくて、どちらかというと「組織」に問題があるかと思っています。当人は、スキルがあり、様々なセクションから「ひっぱりダコ」なんだと思います。しかし、経営サイドや組織構成、人事の管理が追いつかず、管掌事業領域の整理や優先順位をつけるのが下手で、不都合ながら、そうなってしまっているイメージです。そうなると評価制度にも歪みが生じてきて、その方自身が、正当に評価されているのか?とも疑念をもつことにも。このようなキャラクターのサラリーマンは、早晩に離職し、より活躍できるフィールドにフィットされることが多いように見けます。

部署や肩書がないと、動けない?働けない?

よっぽど厳格な職務規定でもないかぎり、現代のサラリーマンの働き方は自由になっていると思っています。僕自身、過去、人事からの職務発令がなくても、自由に動き回っていました。(その結果は、げふんげふん..)

半期に一度の人事異動を「待っている」だけでは、「遅い」ことも多々あるかと思います。そんな時、部署や肩書に縛られている時点で、競争優位の逆、「競争劣位」を自社で認めているようなものです。

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個人的には、カード1枚で、このようなJoker的な「ワイルドカード」な存在になるのが理想的だとも思っています。

ワイルドカードとは、トランプなどのカードゲームで、万能の効力を持つ、あるいは他の任意のカードの代わりとして使用できる特別なカードのこと。転じて、人や集団、物、事について、不確実な要素、まったく予測不能な要素、鍵を握る重大な要素などのことを比喩的に表す。

つづいて、こちらの曲を聴きながら。

This Is Me.

「私」という存在を代弁するものが、静的な「小さな紙」から、「無限に動的なキャパシティであるデジタルメディア」に変わってきていることに気がついているでしょうか?

SNSは、自身のコピーロボットとも機能しているのです。

(この前、社内で「コピーロボット」という例えが、伝わらなかったのはここだけの話です。)

メタバース時代、自己表現を拡張する手段を持っていないと、埋没し、思い出してもらえなくなる時代です。

僕が僕であること、いつでも僕はここにいる。「This Is Me.」といえるメディアを持つことは、複数名刺や複数肩書を持つこと以上に、重要なことになっているとも思います。

ちなみにこちらが This Is Me. です。お気軽に名刺交換を!

...とはいえ、この名刺入れは、ちょっと憧れるなw


#日経COMEMO #肩書を複数持つ必要ありますか


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