日独GDP逆転の本質~為替要因だから気にしなくて良いのか~
為替要因だから4位で良いのか?
先月、2023年のドル建て名目GDPが確定したことを受けて、日本がドイツに次ぐ第4位の経済大国へ転落したことが大々的に騒がれました。今でもその余韻があって、断続的な報道が見られたりしています:
このテーマに関しては昨年来、noteでも複数回議論しているもので、予想されていた未来が統計で追認されたに過ぎないと思っています。例えば下記は昨年10月のnoteです:
しかし、公にテーマが周知される中、「円安による為替要因であり、4位転落は騒ぎ過ぎである」という斜に構えた論調や、「普段は見ることのないドル建て名目GDPでの比較に意味はあるのか」といった根本的な論点を問う論調なども散見されています。図に示されるように、基本的にドル建て名目GDPを規定するのはドル/円相場ゆえ、為替要因で逆転したという認識に大きな間違いはないでしょう:
「為替要因ゆえの逆転なのだから問題は無い」と言わんばかりの論調にどう考えるべきでしょうか。筆者は賛成しかねます。日独経済の比較分析については拙著「アフター・メルケル 『最強』の次にあるもの」を参照頂くとして、今回は為替変動に責任転嫁した上で安堵感を得ようとする風潮について筆者なりの見解を示したいと思います:
円高に戻る保証はない
結論から言えば、「為替要因ゆえの逆転なのだから問題は無い」といった発想は現実逃避でしかないと私は思います。まず、そのような論調は「いずれ円高に戻る」ことを自明の前提としていそうですが、その勝算はどこから来るのでしょうか。もはや私のnoteでは議論を尽くした感がありますが、過去2年にわたって持続している円安局面の背景について日本固有の要因を微塵も疑わないというのは無理があるでしょう。
これはドル/円相場ではなく名目実効相場ないし実質実効相場を一瞥すれば分かる話で、あらゆる主要貿易相手国の通貨に対して円はかなりまとまった幅で売られています。対ドルで売られているのではなく、為替市場で忌避されているという表現の方が近いわけです。端的に日本の弱さゆえに円安が大幅かつ長期化しており、その結果としてドイツに追い抜かれているのであれば、楽観視できる要素はどこにもないはずです。著しく切り下がった水準が円の新常態だとした場合、ドイツを下回る名目GDPもまた、日本経済の新常態ということになります。ちなみにドイツの使っている共通通貨ユーロは確実にドイツの自力と比較すれば割安なわけですから、本来はもっと日本とドイツの格差は大きくなっていてもおかしくはありません。
ドル建て名目GDPで見る意味
なお、「普段は見ることのないドル建て名目GDPでの比較に意味はあるのか」という論調に絡めて「日本で生活している以上、ドル建て名目GDPの国際比較に意味は見出しにくい」といった主張も目にしました。正視に耐えかねる主張です。この主張は少なくとも2点から退けられるでしょう。第一に、経済規模を国際比較するにあたってドル建て名目GDP以外の尺度はあり得ないこと、第二に日本人の生活は現に円安で苦しくなっていること、です。前者に関しては議論の余地がありません。敢えて言えば、対案として「国際比較に際し、理論的には購買力平価(PPP)ベースGDPを見るべきであり、その場合、日本より上には米国、中国そしてインドといった人口で大きく勝る国しかおらず、5位のドイツとはまだ大きな差がある」という事実が持ち出されることもある。正論です。しかし、この点もnoteでは執拗に論じているように、そもそも円のPPP自体が信憑性を欠いています。その原因が恐らくは円ひいては日本経済の構造変化にあると推測される以上、PPPベースGDPを用いることの是非も多分にあって良いはずです:
既に通貨安が輸出増加を通じて貿易収支黒字を積み上げ、需給調整機能を焚きつけることが無くなった日本において、実勢よりも大幅な円高水準にあるPPP(例えばIMFのconversion rateだと91円台)を使うことがフェアと言えるのでしょうか。もちろん、ドル建て名目GDPが万能だと言っているわけではありません。しかし、単に「経済規模を国際比較する」ということに徹した場合、金融市場が評価する名目為替相場で算出したGDP規模を使う以外に良い方法は乏しいのではないでしょうか。もちろん、「経済規模を比較することに意味はあるのか」という争点は別途あり得ます。しかし、私のnoteでそのような禅問答を展開するつもりはありません。あくまで「経済規模を比較するならばこういう方法がある」という話です。
元々の成長実績が異なる
なお、為替レートに原因を求めるのは自由ですが、そもそも現在は過去の積み上げです。この点、成長率に関し、日本はドイツに劣後し続けてきたという事実もあります。前掲図に示す通り、1990年代後半以降、日本のドル建て名目GDPがはっきりと拡大したのは2008~2012年の5年間に限られており、これはリーマンショック後の超円高局面と完全に符合します。つまり、為替変動がなければ日本のGDPは横ばいが基本でした。
一方、ドイツは着実に右肩上がりで規模を積み上げてきました。そうして積み重なった「地力の差」に2022年以降の歴史的な円安相場が加わったことで、たまたま2023年というタイミングで逆転に至ったというだけの話だと筆者は理解しています。図示されるように、1990年以降、欧州債務危機の局面ですら、実質GDPの成長率に関して日本はドイツの後塵を拝してきました。結局、大きな円安局面がなかったとしても両国の差は徐々に縮小する傾向にあったことは忘れてはならないでしょう:
人口格差は今後縮まる
繰り返しになりますが、日本とドイツの成長率格差については諸説あって、とても本欄では議論が尽くせないので、冒頭の拙著をお読み頂きたいとは思います。しかし、シンプルな論点として、人口動態の議論は重要です。2月15日付の毎日新聞で筆者は「中国に追い抜かれるのは『時間の問題』だった。しかし、人口が7割程度のドイツに逆転されることは必然ではなかった」とコメントしました、為替云々以前に、今回の問題の要諦はやはりそこにあると考えます:
https://mainichi.jp/articles/20240214/k00/00m/020/065000c
繰り返し論じている点ですが、経済成長の源泉は①労働力、②資本、③全要素生産性(TFP)に尽きます。③が容易に変わらない以上、①と②で成長率格差は規定されやすく、人口で圧倒的に勝る国に抜かれること自体、「来るべき時が来た」という文脈で読めます。この点、日本の人口は1億2404万人であるの対し、中国は14億1000万人、米国は3億3669万人と日本より経済規模の大きな国は人口規模も遥かに大きいものです(数字はIMFの最新版を使用)。これがそのまま①労働力の格差になるわけですから、名目GDPの規模で競うこと自体、中国や米国に勝つのはそもそも難しいという話です。
しかし、ドイツの人口は8389万人と日本の7割弱にとどまります。それほどの人口差を持ちながら経済規模で抜かれてしまうという事実がショッキングなのではないか、という問題意識は持ちたいところです。上述の①~③で言えば、近年の日本は①の縮小が低迷の主因と指摘されてきました。それでも人口が多い分、①で優位にあるはずの日本がドイツに抜かれてしまったということはやはり②や③の劣化が著しいという可能性を示唆します。
ちなみに、日本とドイツの人口格差が縮小し始めたのは2009年頃で、そこから徐々に、しかし確実に両国の人口は接近しています。円安の大幅修正が無い以上、一過性の逆転では終わらず、人口の面でも相対的な追い上げが期待されるドイツとの格差は拡大方向が予見されます:
円安をカードとして何ができるか」を考える時
もちろん、今やドイツも「戻って来た病人(the sick man returns)」と言われるほど凋落しており、中国やロシアにベットし過ぎたツケを払うという厳しい状況に突入しつつあります。それが日本よりも深刻な状況かどうかはさておき、ドイツの長期停滞説を唱える声は強まっています。
とすれば、日独逆転を「為替による一過性の問題」とすり替えた上で再逆転を期待する胸中も分からなくはありません。しかし、確実に言えることは、かつては7割以上も日本が上回っていた状況から、両者の差は為替変動次第でいつでも入れ替わるものになってしまったという事実は動かしがたいという点です。米中に次ぐ「世界第3位の経済大国」というステータスはもう日本の定位置ではなくなったという現実は直視が必要だと思います。「為替問題だから」と蓋をするのではなく、「円安が常態であれば世界4位もまた常態」という視点を持ち、その円安の背景に筆者が常々論じているような需給構造の大変化があることをまず認めるべきと考えます。
その上で日本がやるべきことは「円安をカードとして何ができるか」という論点に知恵を尽くすことであり、例えば岸田政権が推し進めようとしている有形・無形資産を対象とした対内直接投資の拡大などは方向性としては正しい一手と考えられます。対内FDIを起点とする日本経済の復興、この点は別の機会にしっかり議論します。
もっとも、それらの施策が花開き、円安相場を根底から修正するほどの変化をもたらすには10余年の月日がかかることを覚悟しなければならないでしょう。日本の対外直接投資が活発化し、貿易収支赤字を定着させるに至った年月を思えば、当然、対内直接投資の効果も遅行性を伴うはずです。