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解雇規制の議論で考えるべきこと

今これを書いている時にまさに行われている自民党総裁の議論のなかで出てきた解雇規制緩和の議論ですが、やはりこのテーマは、話題に出すだけで大きな議論を巻き起こしています。

私個人的な見解としては、結論はともあれ解雇規制の議論は避けるべきではない論点だと思っています。

また、何らかの法改正を検討するとしても、考えるべきは「緩和」ではなく「明確化」だと思っています。

いずれにしても、解雇規制の議論の結論は民意に任せるとして、議論の際に検討すべきだろうと思うところを書いていきます。

労働市場の流動化のために解雇規制緩和が必須であるか

まず、解雇規制緩和に賛成する人がその理由として挙げるのは、「労働市場を流動化させるため」ということです。すなわち、我が国の労働市場が硬直化しており、それが企業の競争力の低下の要因の一つになっているということです。

この点については、確かに、解雇規制緩和が労働市場の流動化の一つの手段ではあると思いますが、「唯一の手段」かというとそうではないだろうと思われます。

労働市場の流動化は、「会社が人を労働市場に出す」というだけでなく、「労働者から出ていく」(つまり辞職)ことでも起こるからです。
法的に言えば、労働者には辞職の自由があるわけです。

したがって、「労働市場の流動化のために解雇規制を緩和するのだ」というのはやや短絡的で、「労働者から出ていく」ことによる流動化では足りないことを主張しなければならないでしょう。

労働市場の流動化+αが必要ではないか

「労働者から出ていく」ことによる流動化では足りないのだというと、結局のところ言いたいのは、能力が不足している社員を解雇したいというニーズになってくるのではないでしょうか。

となると、解雇規制の緩和によって労働市場に放出されるのは、悪く言えば「能力不足」の社員ということになります。

こうした人材が労働市場に放出されたとしても、次の就職が困難であり失業者数が増えてしまう可能性がありますし、企業が人材を採用しようとしても、労働市場には能力が不足した人材が滞留することになるので(当然みんながみんなではないですが)、我が国全体でみたら労働市場がやせ細ってしまい、ひいては企業の成長につながらないのではないかと思われます。

したがって、労働市場の流動化に加えて、リスキリングを行うのでなければ、長期的にみて我が国の成長につながらないように思われます。

その意味で、「リスキリング義務を課す」という議論は、おかしくはないと思っています(ただ、個人的には私企業がやるべきなのか、国がやるべきなのかという議論があるように思いますが)。

「解雇規制緩和」の条文イメージは?

「解雇規制緩和すべし」という議論は多いものの、「緩和」の具体的な条文イメージまで語っている人は少ない印象があります。

「解雇権濫用法理を定める日本の労働契約法16条は厳しすぎる!改正すべき!」と言われますが、労働契約法16条には、以下の定めがあるのみです。

第十六条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

この条文自体は、極めて抽象的な規範であり、その文言自体は「厳しい」というわけではないだろう思われます。

問題なのは、この条文の解釈・適用であって、裁判所の判断です。そして、裁判所の判断は、労働契約が職務無限定であるのか、そうでないのかで異なる判断をしています。

確かに、最終的な結論は「ちょっと会社に厳しすぎないか?」というものはありますが、労働契約法16条の条文だけみると、そこまで厳しいことは書いていないです。

そうなると、「解雇規制を緩和すべし」と結論を取った時の法改正としては、具体的な立法イメージが湧かないところがあります。

労働契約法16条をなくす考え方なのですが、解雇自由なのはアメリカだけであり、欧米諸国でも労働契約法16条のような条文は存在しています。
また、16条をなくしたとしても、16条自体が判例法理の明文化であるとすると、結局判例法理として権利濫用論が復活するだけではないかと思います。

じゃあ「解雇は自由なのだ」と明文化するかというと、それはそれで想定しにくいところです。

したがって、「解雇規制緩和」と言ったところで「どういう条文にしたいの?」というところまではっきり議論すべきと思います。
繰返しになりますが、整理解雇の要件など含めた「明確化」をすべきというのは私の考え方です。

自分が解雇されても文句はないか

解雇規制緩和の是非については、色々な意見を議論すればよいですし、私自身も個人の見解を述べてきています。

ただ、本当に何らかの法改正をするとなった時に、それを国会で通すことができるのかということはかなり疑問です。

経営者や学者、弁護士などが専門的知見を踏まえてこのテーマについて見解を戦わせることが多いように思いますが、これらの人は普通の会社員ではないといえます。

解雇規制緩和を主張する人も、いざ「君クビだから来月(もしくは明日?)から来なくてもいいよ」と言われて、「解雇自由だししょうがないね」と言えるのかは疑問のように思います。

よく人事部門の人からもこうした声が聞かれますが、いざ自分が違う部署になった時に同じことが言えるのかも疑問です。

そのためにもリスキリング含めた深い議論はすべきですが、やや一部の専門家の議論になりすぎていて、民意を置き去りにこの議論を進めるべきではないと思っています。

重要なテーマであるが故に冷静な議論を期待したい

繰返しになりますが、私は解雇規制緩和(個人的には明確化と思っていますが)に絶対反対ということでもないですし、やはりこの議論をやっていくべきだと思います。

ただ、このテーマは対立構造を招きやすく、やや冷静さを書いた地に足着いた議論にならないことが多いように思われます。

しかし、重要なテーマであればあるほど、「労働市場流動化の手段として解雇規制緩和が絶対なのか」、「解雇規制を緩和すれば我が国全体の成長に本当につながるのか」、「そもそもどういう条文にするのか」、「民意はどうなのか」など深く議論していく必要があるのではないでしょうか。


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