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どこかが違う、その違いが決定的な差となる―アメリカから日本を観る3

マッハッタンを背に威風堂々と立つ自由の女神へ、船がいちばん近づこうとすると、自由の女神のガイドからマーチ王J.P.スーザの行進曲「ワシントン・ポスト」に切り替わると、船内の世界からの観光客から歓声があがり、船内のボルテージが上がる

自由の女神

ニューヨーク港のリバティ島にある自由の女神は、世界で最も知られた世界遺産のひとつで、正式名は「世界を照らす自由」。右手の松明は自由と希望、左手に独立記念日(1776年7月4日)が刻印された銘版を持ち、冠の7つの突起は7つの大陸、7つの海に自由が拡がっているという意味を込め、足元の引きちぎられた鎖と足枷は弾圧・抑圧からの解放と人はみな自由であることを示しているという

この自由の女神はアメリ人が創ったわけではない。イギリスからのアメリカ独立100周年を記念に、アメリカ独立支援したフランスの政治家が起案して、フランス人の募金でフランスの彫刻家が創り1876年に贈呈された93メートルの銅像である。それがアメリカを代表するモニュメントであることがアメリカ的である



1 ブルックリンブリッジを創った3人

自由の女神やニューヨークのダウンタウンを海上から観るクルーズ船の出着地から、マンハッタン島とブルックリン区のイースト川に架かる、1883年に完成したニューヨーク最古の「ブルックリンブリッジ」が鮮やかに見える

ブルックリンブリッジ

自由の女神とともに、ニューヨークを象徴する鋼鉄製ケーブルを使った吊り橋がある。橋長が1834m、中央径間が483m。主塔は高さ84mでネオゴチック様式の重厚で壮重な石積みであり、橋からはマンハッタンが一望できる

1869年着工から完成まで14年間かかった大プロジェクトには物語がある
「ニューヨークだけにとどまらず、アメリカを象徴するブルックリンブリッジには、『アメリカの心』を語り継ぐ物語がある」と、ニューヨーク在住30年の幼児教育研究家が語りだした

ブルックリンブリッジの完成には14年かかった。この橋には、構想・計画・設計・施工に携わった土木技術者ジョン・A・ローブリング、その息子ワシントン、ワシントンの妻エミリーの3人の情熱が織りなし、完成させた

奴隷制をめぐる南北戦争後のアメリカ・ニューヨークのプロジェクト実現のため、吊橋技術の第一人者で、橋の構想を長年練っていたローブリングが最高技術責任者に任命され、1868年にすべての設計が完了して69年の着工直前の現地測量中の事故で重傷を負い、1ヶ月後に63歳で亡くなった

父の死去を受け、32歳の息子ワシントンが最高技術責任者を引き継ぐことになった息子ワシントンは32歳という若さだったが、3年後に不運がまた訪れる。主塔の基礎工事の現場指揮で潜水病を患い、下半身不随となってしまったため、ブルックリンハイツの部屋から出られなくなった。妻のエミリーは夫の指示を伝達するために、現場に向った

夫の指示を現場に伝えつづけていたエミリーは独学で架橋技術を学び、土木技術者として力を身につけて現場の指揮をとり、10年の歳月を重ねて橋の完成に導いた。1883年5月24日に挙行された開通式典に参加できず、夫婦はブルックリンハイツの部屋から見ていた

ブルックリンブリッジには親子・夫婦3人の橋への思いが込められ、『アメリカの心』として今にも伝えている

2 なぜニューヨークはニューヨークというのか

ニューヨークというと、思い出すエピソードがある

ある少年が中学時代にニューヨークという地名に疑問をだき、先生に「なぜニューヨークというのか?」と訊いたところ、「ニューヨークはニューヨークだ」、つまらないことを訊くなと言わんばかりの態度に、その先生の授業への関心を失った

少年は、その先生の答えに納得できず、図書館で本を読み、「イングランドのヨーク公に由来する地名」だということを調べて、納得した。その後、その少年は図書館に入り浸り、本を読み漁り、昭和を代表する作家司馬遼太郎となった

地名には
意味がある
記憶がある
歴史がある

1609年、オランダ東インド会社専属の探検家がマンハッタン島を発見した。その後オランダが現地のインディアンから土地を購入して、多くの人が入植した。そして、その地はニューアムステルダムと呼んだ。その後、その地は1664年にイギリスの植民地となり、地名が変わった。当時のイギリス国王の弟ヨーク公爵の名前を取って、「ニューヨーク」と名づけられた

3 コンテンツだけで、コンテクストを知らない

クリスマスウイークで賑わう
ニューヨークを散策した

1930年代の世界恐慌時に建設して
10年かけて1929年に竣工した
ロックフェラーセンタービルの70階
最上階のトップ・オブ・ザ・ロックから
ニューヨークの夜景を観た

1931年竣工したエンパイアステートビル
1883年に開通したブルックリンブリッジ
1876年に完成した自由の女神
マッハッタンの摩天楼の夜景を
360度で観た
その夜景は東京のようだが

どこか違う
なにか番う

ニューヨークの風景を一瞬で変えた

ワールドトレードセンターが
1999年9月11日の
同時多発テロで
突然消えた

瓦礫から、911を忘れないようにと
ワンワールドトレードセンター
WTC、911記念碑プール、博物館、アーツセンター
ワールドトレードセンター駅、リバティー・パークが
コンテクストを踏まえて、生まれた

1891年竣工のカーネギーホールは
ニューヨークの歴史的建造物でとみに有名だが
現在改修で外装は見えないが
外装カバーが芸術的
すごい

カーネギーホール

ニューヨークには
築100年以上の多くのビルが
都市の主役として健在
安易に建替えない
古いままではない
つねに新たな価値に
アップデートしつづけている
それをニューヨーク市民が応援している

日本はどうなんだろう
東京はどうなんだろう

ニューヨークのハイラインパークは
1934年に肉や鶏肉を輸送するために
つくられた鉄道の高架線路が
全長2.33kmの縦長の散策道に
生まれ変わった
新たな価値がアップデートされている

その空中緑道から、右に左に
マンハッタンの多様な街の貌を観て
都市の歴史を知る

ハイラインパーク

このハイラインパークを
日本の再開発・地域開発
まちづくりの参考に、と
日本のまちづくり関係者の多くが
見学にきて
同じようなモノ・コトを
導入しようとするが

どこか違う
なにか違う

コンテンツはその時代の背景である
コンテクストを踏まえないといけない

コンテクストのないところに
魅力的なコンテンツは生まれない

表面的には綺麗
しかし中味が薄い、ない
そんなモノ・コト・トキ・サービスが
日本に増えている

コンテクスト(文脈・背景)を認識せず
コンテンツだけを導入しているだけでは
すぐに飽きられる

そんなニューヨークを歩きながら
日本は新たな時代の文脈が
見えているだろうか?と感じた

トランプ大統領就任前のクリスマスウイークに「アメリカから日本を観たこと」の第4回目は、1月22日(水)に、今回書く予定だった「スーパーと日本の料理店の現場」から日本を考えてみたい


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