今、デザインについて考えていること。
今年最後のCOMEMOです。ここでは、ぼくがデザインについて今、探求していることを書いておきます。ぼく自身のデザインに対する「心変わり」の模様です。
今世紀に入りデザインの対象領域が一気に広がりました。この数年、ぼく自身もストックホルム経済大でリーダーシップ、ハーバードビジネススクールでデザインを教えるロベルト・ベルガンティの唱える「意味のイノベーション」に関わってきました。
広義(あるいは大文字)のデザイン、つまりは物理的な形状をもたないデザインへの比重が増えています。今年の5月と10月の2回、ベルガンティとワークショップを東京で開催しましたが、これもテーマは「Leading by Meaning」です。意味を起点としたリーダーシップです。
この秋、ソーシャルイノベーションの第一人者・エツィオ・マンズィーニの『ここちよい近さがまちを変える/ケアとデジタルによる近接のデザイン』を『日々の政治』に引き続き共訳したのも、大文字デザインの路線上にあります。
しかし、その方向だけがデザインと共に進むべき道ではないでしょう。その方向を強力に推し進めながら、別の方向も探っていかないと・・・。
実は、ぼくは狭義(あるいは小文字)のデザイン、物理的な形状や色の評価が外せないプロダクトデザインの重要性により目を向ける探求をしています。「復刻版をビジネスのコアにおく企業の存在感が増している - 「デザインプロダクト」を巡る旅で思うこと。」でプロダクトデザインの復刻版ビジネスが脇役からメインストリームに入りつつあると書きました。この現象は大きく捉えれば、プロダクトデザイン全体の地位が再浮上していることも表しています。
「狭義のデザインを語るのは、もはや古い」と語る方も少なくないですが、趨勢は逆です。時代におけるデザインの位置を見誤っている可能性が高いのは?と疑ってみるとよいです。
(ここで追記しておくと、ベルガンティ自身、モノを見る目は厳しく、彼と一緒に街を歩くとその目利き力に感心します)。
モノの審美性が人のあらゆる知覚に「効いてくる」。ただ、「プロダクトデザインはほっぽっておいても人々は追う」と思い込んでいると違います。ぼく自身、デザインといえば狭義のデザインにしか目を向けない人も多いことから、今さらそこにあえて力点をおくこともないだろうと長い間、考えていました。しかし、それはぼく自身の思い込みに過ぎなかったと、近年になって気づきはじめたのです。
Forbes JAPANの連載に最近書いた、デザインを学ぶ学生たちが新・ラグジュアリーの旗手になるとの下記の記事では、身体性と社会意識の感性の強さが鍵であることを強調しました。
今、広義のデザインを語る人たちは、必ずしも狭義のデザインを踏まえていないし、それも意図的に踏まえないのではなく、そもそも狭義のデザインについて知識や素養がない。そして、圧倒的に「自分の目で見て、自分の手で触った経験」がない。これではデザインを考える際に片手落ちです。
だが、広義のデザインの勢力が増せば、同時に狭義のデザインの関心も自ずと広まるだろうと長く楽観視していました。しかし、この2つが繋がらずにそれぞれが論議されるだけ。こうした状況が続き過ぎました。
その結果、手で触れられるものなど、なんらかの身体的経験につながることへの意識が弱まり、具体性や感覚に欠ける抽象的な思考への依存が過剰になり、かつ、そのアンバランスに気がついていない人が徐々に増えているのを目にするようになりました。人はそんなに抽象的思考ですべてが捉えるようにはできていないのにも関わらず、です。
特に、今年、生成AIが話題の中心になり、これは決定的な分岐点に到達したと感じました。
生成AIの批評をいろいろ見聞していても、身体的経験を軸にした思考の広がりと確かさを視野外においていることが少なくないです。そのために、AIによって最初の思考のとっかりが良くても、その先で空回りをはじめる。
身体的経験の軸がないから、自分が空回りしていると自覚をするのがタイミングとして遅いのですね。その結果、ちょうど、青い鳥を求める思春期の子が大量に生まれたような風景を突如、目にすることになったのです。
そこで、ぼくは来年以降の行動を構想し始めました。
一つの目標は、イタリアの殊にミラノのプロダクトデザインの黄金期であった1970-1990の20年間に関する本を書くことです。
デザインヒストリーの本は数多ありますが、ぼくの目指すのは、この20年間でデザイナーたちがどう交流し、新しいモノのコンセプトなりをどう生んでいたかに関するヒストリーです。デザインのコンセプトを生成する「デザイン・ディスコース」を生々しく表現できないか、と。人と人がリアルに出逢い、あらたな対話が生れるプロセスヒストリーが焦点になります。
イタリア人のこの分野のパートナーと共同執筆を検討しており、できれば英伊日の3つの言葉で表現できないかと話し合っています。かなりハードルが高いのですが、このテーマは今、やらないと後悔するのが分かっているのです。
というのは、1970-80年代に活躍したデザイナーにインタビューできる時間もそう多く残っていないのです。人は80歳代の半ばになると、記憶もあやふやになるだけでなく、知らない他人と会うのを億劫がることも少なくないです。だからアポをとるのも苦労します。だいたい、Whatsappで簡単に交信できるかどうかも怪しい。
2000年代、1960年代から名をなしたデザイナーにインタビューを繰り返したことがあります。その後、その人たちは10年くらいの年数を経て次々にこの世を去ったので、あの時にインタビューしておいて良かったと思いました。それとまったく同じ思いをするであろうことは、自然の理としてもう確実なのです。
(マエストロと呼ばれる)彼らの自慢話を聞かざるをえない機会も増えますが、何が自慢であるかも、こちらもある程度判断できる経験を積んできました。自慢を脇におく、または自慢せざるを得ない心情を想像するのもインタビューの醍醐味でしょう。
そういうことを想定しながら、現在、2人のイタリア人デザイナーの回想録を並行して読んでいます。1人は既にこの世にいない人ですが、どのような感覚で1970-80年代のデザイン活動をしていたかの風景は覗き見られます。
こうした本を読みながら、その20年間のヒット曲も聞いています。正確にいえば、その時代に活躍した人たちの青春を刻んだ曲は1950-60年代かそれ以前の音楽でしょうが、そこは逆に時間を辿っていこうかと思います。
1980年代の世界を席捲したデザイン活動・メンフィスは1980年12月、ボブ・ディランの『メンフィス・ブルース・アゲイン』を仲間たちと聴きながら、この「メンフィス」の名称を思いつきました。
身体的経験の系譜を探ると、かなり奥深く突っ込めそうです。
冒頭の写真©Ken Anzai: 上記のForbes JAPANの記事に書きましたが、この11月、国際ブラインドフットボール財団がミラノ工科大学のキャンパスでデザインの学生を相手にワークショップを行いました。視覚を意図的に遮ることで、逆に見えてくるものが多いことを学生たちは身体で即座に理解したようでした。ここでも身体的経験の大切さを再認識します。