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「おごる」を社会的関係とジェンダーギャップから再考する

お疲れさまです。uni'que若宮です。

今日は「おごる」ということについて考えてみたいと思います。


「おごる」は美徳か?

以前SNSで

「お礼にご飯おごるよ」ってもはや美徳じゃないから見直した方がいいかもしれない

というような投稿をしたところ、色々なご意見をいただきました。

これには世代間で差もありそうで、比較的同世代の方からは「えー、おごるのはいいじゃん!」とか女性からも「むしろおごってくれる方がいい」というような肯定的な声も多かったです。

一方で若い世代からは「割り勘でいい」「おごるとかおごられるとか却って面倒」と「おごりおごられ」を敬遠する意見や、自分は気にしないのに周りから「初回デートで奢らない男性となんか付き合うもんじゃない!」と言われ悩んでいる、などもありました。少なくとも上の世代ほど「おごる」のが無条件でいいことという感じでは無くなっている感があります。


異性間での「おごる」に対する感覚は変化しているようで、↓のコラムにも、「おごる」を巡る価値観の揺れが書かれています。

男女間のお金にまつわることはなにかと難しい。
先日、収入もあって自立した知人女性が
「初めてのデートで奢(おご)りじゃなかった」
と相手の男性に対する不満を周囲に吐露したところ、聞いた側の性別を問わず、それはダメだという意見と、いい大人なんだから対等に払えばいいだけ、という意見で真っ二つになった。
そういうのは当人たちの価値観の問題なので、一致さえすればどちらでもいいと思うが、女性でさえも意見が割れたのは今の時代を象徴しているようで興味深かった。

ただ例外もある。
一対一の食事の最中に男性のほうから、自分は高収入だという話を始めたことがあった。
それからさらに口説き文句もあったのち、私がトイレから戻ると会計のトレイが用意されてすでにお札が置かれていた。
それがきっちり半額、彼の分だけだったのを見た瞬間、ふと相手と目が合った。
彼は笑顔で頷(うなず)くと、私に支払いを促した。
もちろん相手が稼いでいることと、それが赤の他人に還元されることに因果関係はないのだ。
そう理屈では分かっていても収入の自慢や口説き文句の後で「僕が払います」「いえ、私も出します」といった会話も飛ばした半額前払いには思いがけず動揺してしまった。

徐々に変わってきてはいるものの、まだまだ男性はおごるもの、という固定観念はありそうです。

「異性への奢りはフロー、同性への奢りはストック」?

「おごる」と性別の話でいうと、先日、こんなツイートを目にしました。

これ、なかなかに興味深いなあと…。

(僕は多分に昭和的な男らしさを生きてきたため)実はみた瞬間「あ…わかる!」と思いました。でもよく考えるとこの文、色々と解釈できる多義的な文な気がしてきて、ここにはけっこう多くの論点が含まれているのでは?と少し考えてみたくなったのです。

以下にみるようにこの文はコンテキスト次第で色々な取り方ができますし、エルモさんや元の発言をした方の真意はわかりません。この記事ではそれを邪推する意図はなく、あくまで色々な視点から考えてみようというのが意図であることを予めお断りしておきます。中にはもしかしたらあなたが賛同しかねる解釈もあるかもしれませんが、そのように説得したいわけでも僕がそう思うというわけでもないので、あくまで解釈のバリエーションとして読んでいただき、ご自身がおごる立場/おごられる立場の時にどういう思考をしているかを反芻するきっかけにしていただけたらうれしいです。


「見返り」の感覚

元の発言をした「知人の経営者」の性別がわからないのですが、僕も男性なのでいったん考察しやすい「男性」の言葉と仮定して考えてみます。

するとこの文は

男性が女性におごるのはフロー
男性が男性後輩におごるのはストック

ということになります。

まず、「フロー」と「ストック」とはなにか、というと、フローは流れ変化するもの、ストックは蓄積され残るものです。


財務諸表でいえばP/L(損益計算書)がフロー、B/S(貸借対照表)がストックで、B/Sには資産や負債が記載されます。

お金の出し入れでいうと、たとえばお金をあげて無くなってしまうとP/Lで損失として処理されますが、あげるのではなく貸し付けたりすると無くなるのではなく債権が残るのでB/Sに載ります。

この観点で元の文を翻訳すると、

男性が女性におごるのはお金をあげること
男性が男性後輩におごるのは「貸し」

とパラフレーズできるかもしれません。


女性におごることは貸し借りではなくあげたお金なので後に残らない。一方で男性におごるのは何らか「貸し」として「見返り」が期待されている


でもちょっと待ってください。もしお金を出したとしても「貸し」になるのだとしたら、それって正確にいうと「おごる」ではない気もしますよね…。

以前書いた↓の記事のように、「give」のふりをして実は「押し貸し」である、というケースもけっこうある気はします…。

「押し貸しおじさん」は「ギブファースト」しているように見えますが、実は「見返り」が前提です。
羽振りが良いふりをしていても実はケチで、誘いを断ると「あのお店いくらしたと思ってるんだ?」「君も分かっててもらってたんだろ?」「させないんなら返せ」などといい出したりします。「ギブ」といっても、あげてるのではなくて勝手に「貸し」をつくっているんですね。だから返ってこないと急に手のひらを返して怒り出します。頼んでもいないのに「貸し」をつくって、返さないと怒るというのはなかなか困りものです・・・。

「おごる」ふりをして内心では「見返り」を求められるってありがた迷惑ですよね…。「タダほど高いものはない」という言葉もありますが、「見返り」を期待しておごられるのは面倒くさいですし、それなら割り勘の方が気が楽です。おごられるのは別にうれしくないとかむしろ面倒、という意見はこうした「見返り」や「貸し借り」への警戒なのではないでしょうか。


しかし実際のところ、「おごる」行為の中には一定このような「見返り」への期待が含まれているところがあります。「見返り」性がもっとも高いものでいうと「接待」がありますが、これは形式的には「おごり」でも後々便宜や仕事の発注などを期待した行為であり、その「見返り」があるからこそ「接待」になるわけですよね。

とくに、女性がおごられる時に「見返り」を期待される場合、同性とはちがって恋愛や性的な要求など面倒なものまでくっついてくることがあるので、おごる側として女性へのおごりは「見返り」のない「フロー」として考えるべし!というのはよい戒めかもしれません。


将来性への期待

おごられる立場からすると「見返り」が期待される「ストック」より「フロー」でおごってもらえるほうがいい気もします。

しかしここで、「男性後輩におごるのはストック」となぜ「男性後輩」だけが見返りを期待されるのか、ということも考えてみたいと思います。

「ストック」という言葉には「」という意味もあります。

先ほどは「貸し」と言いましたが、「おごる」の性質を考えると「男性後輩におごる」は「貸し」ではなく「投資」の方がよりニュアンスが近いかもしれません。なぜなら「投資」は「貸し」とはちがい、リターンへの期待はあるけれども返ってくるかは確実ではないし、リターン額も一対一で対応するものではないからです。

「出世払い」という言葉がありますが、おごった相手がもしかしたらいつか大物になって「恩返し」をしてくれるかもしれません。見返りは確実ではないけれども大きなリターンになるかもしれない。それが投資です。

先程のフレーズを

男性が女性におごるのはお金をあげること
男性が男性後輩におごるのは「投資」

と言い換えてみます。

「投資」は単なる「見返り」というよりは「将来性」への期待でもあります。だとすると「男性後輩」には将来性が期待されるけれども「女性」にはそれを期待していない、というニュアンスが出てきます。性別によって将来性への期待に差があるとしたら、その非対称性は経済的ジェンダーギャップであり、「仕事」や「稼ぎ」を暗黙のうちに男性にのみ結びつけるバイアスではないでしょうか。


「お金をあげる」は「小遣い」か「貢ぎ物」か

男性から男性に対しての「おごる」が「貸し」もしくは「投資」なのに対し女性への「おごる」は「お金をあげる」こと。仮にそうだとしても「お金をあげる」にもさまざま種類があり、それは両者の関係性によって異なります


たとえば「お小遣い」と言い換えたらどうでしょうか。

男性が女性におごるのは「お小遣い」

と言われると、お金を出す男性が上位に立っているニュアンスが強くなります。お小遣いをあげる側ともらう側では「(経済的)優位性」に差があることが前提とされている。

また、「お小遣い」という言葉に比べると「寄付」や「贈与」だともう少しフラットな感じはありますが、いずれにしてもお金を出す側が上位な感じはあります。



これに対し、むしろ出す側の方が立場が低いケースもあります。たとえば「貢ぎ物」なんかがそうですね。

男性が女性におごるのは「貢ぎ物」

と言い換えたらどうでしょうか。この場合「お小遣い」とは逆に、女性の方が上位になります。かぐや姫の物語なんかが典型ですが、「貢ぎ物」「捧げ物」ではそれを差し出す男性の方が下位にあり、ご機嫌伺いをする、という感じがあります。(そもそも「あげる」という言葉は下のものから目上の人に差し出す、という意味だったりしますよね)

「お小遣い」なのか「貢ぎ物」なのか。「見返り」を期待されないフローのお金だとしてもどちらだと取るかでおごられる側の気持ちは大きく変わるでしょう。

「おごりたいと思ってもらえる女性でいたい」というように「おごられる」ことを美徳ととらえる女性は「貢ぎ物」的な感覚で捉えているのかもしれません。この場合「おごられる」ことは自分の価値の証左です。

一方で、おごられることを「お小遣い」だと考えれば、経済的に自立していたいと考える女性にとってはみくびられているように感じたり、下に見られているようで好ましくない、と感じることもあるでしょう。


この他にも「お礼」や「お祝い」など「あげる」お金にも色々あります。「フロー」は「見返り」を求めない分おごる側にとってはシンプルな行為ですが、相手へのリスペクトがあるかどうかで大きくその意味が変わるのかもしれません。


短期的対価性

ここまで「フロー的おごり」を「お金をあげること」としてきましたが、実は一方的にお金をあげているわけではないかもしれません。

「フロー」と「ストック」の対比でいえば、「経費」と「資産」という考え方もあります。「資産」は長く使えるものですが、「経費」は「消耗品」など短期的に使用され消費されるものに対する費用です。

男性が女性におごるのは「経費」

と翻訳してみます。

これだとただ「お金をあげる」わけではなく、対価性がありますから両者の関係は貸し借り無くある意味で対等です。しかし「資産ではなく経費」だとすると、長い関係性というよりは「短期的対価性」のために使われるお金というニュアンスが強くなるかもしれません。


また「経費」でいえば、「必要経費」という言葉があります。男性が女性におごるのは「見返り」があるかどうかではなく、男性として「必要」な「経費」である。昭和の男性像ではこうしたイメージもあるかもしれません。自分の若い頃を振り返っても、お金がなかったら借金してでもデートでおごらなきゃ男じゃない、という価値観はたしかにあった気がします。


性別が逆転すると…?

さて、ここまでは「おごる主体」として男性視点で考えてきました。上記のようなことは果たして性別を入れ替えても成り立つでしょうか?

女性が男性におごるのは「お小遣い」
女性が男性におごるのは「貢ぎ物」
女性が男性におごるのは「経費」

どうもピンと来ませんね…。入れ替えると成り立たないのだとすると、ここには女性と男性とで社会的・経済的なパワーの非対称性があるはずです。

女性を主語にした場合、性別よりも性別を問わず「年上」か「年下」かのほうがまだしもしっくりくるかもしれません。

女性が年下におごるのは「お小遣い」
女性が年下におごるのは「貢ぎ物」
女性が年下におごるのは「経費」

とはいえ、これらの文は主語を男性にしても成り立つわけなので、性別だと男性→女性しか成り立たないのはなぜか、ということが重要です。

「年上が年下におごる」という美徳は「年長者の方が偉い」「年長者の方が収入が多い」という年功序列的美徳の裏返しです。ということは男性→女性の「おごる」には「男性の方が偉い」「男性の方が収入が多い」という家父長制的前提が潜んでいるのです。


では「ストック」の方はどうでしょうか?

女性が女性後輩におごるのは「貸し」
女性が女性後輩におごるのは「投資」
女性が女性後輩におごるのは「資産」

こちらもちょっとピンと来ない気がします…。女性は男性ほど「見返り」を求めないからかもしれませんが、対象を「女性後輩」とした場合にもし「将来性」にあまり期待していないからなのだとすれば、それも変えていきたいですよね。



この記事は「おごる」こと自体を否定するものではありません。「おごる」ことは「お礼」や「お祝い」のように人間関係が円滑にしたり、「恩送り」のような形で経済的非対称性を埋め合わせる機能もあります。

「おごる」こと自体にいい悪いはなく、個人の価値観や相手との関係性によっても変化する「ケースバイケース」なものです。今回のいくつかの解釈の中にも読み手によって共感できるものもあればそれはちがうでしょ!と思うものもあったはずです。

自分がおごる立場かおごられる立場か、誰におごるか誰におごられるか、想定する「ケース」によっても反応はちがうでしょう。自分の中でどんな反応が起こったにせよ、その反応がどんな価値観によって引き起こされたのか考えてみることに意味があるのではないでしょうか。

「おごる」の価値観も時代によって変化していくものです。一度あなたの「おごる」を棚卸しし、そこに暗黙に潜んでいるバイアスを改めて見直すきっかけになれば幸いです。

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