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機械が消費者になるメタネイチャー時代と承認欲求を満たすしくみ

ここ数ヶ月、5年先の目的地の方向を定め、2年間の動きの枠組みを検討し、直近半年の足場固めと骨組みづくりに集中してきました。高ストレス状態で、不安定な足元の具体をつくることに力を注いできましたので、年末は未来に目を向けてみようと思います。より遠い未来へ。

全自動タクシー

7〜8年前のこと、全自動タクシー会社のような話をしていたことがあります。レベル5の完全自動化されたタクシーが、AIによって制御される、という全自動タクシー会社です。もはや社会実装される時代になってきました。

現在でもそうですが、アプリなどと連携して送迎が実施されます。もちろん、流しのタクシーも自動走行です。位置情報などと連携し、乗車可能性の高い人流のあるエリアに合わせて、走行車両の量なども調整されるでしょう。走行ルートも効率化され、エネルギー消費も最適化されます。

車両故障の予測も行われるでしょう。必要に応じて、メンテナンス事業者のもとに、全自動の車が訪れることでしょう。事前に故障状況および整備点検箇所の情報が共有され、メンテンナンス内容が発注された状態で、車両が到着します。決済は全てオンラインで実施されるため、無人の全自動タクシーがメンテナンスを終えた後、そのまま業務に復帰することができます。メンテナンス事業者は人であるかもしれませんし、こちらも全自動で無人になっているかもしれません。

なんとなく、筋斗雲みたいに、呼べば来てくれて、あとは勝手にいい感じに過ごしてくれる。放っておいても、常にベストな状態を自分たちで維持してくれる。そんな感じに思えてきました。

メタネイチャー

こういう状況が生まれてくる未来を想像すると、数年前に斉藤賢爾さんや孫泰蔵さんから聞いていた、メタネイチャーの世界に繋がってきます。

自然は、放っておいても(むしろ放っておいた方が)自律性が働き、循環型で継続的なシステムを構築します。人がむやみやたらと介入する方が、システムが歪む場合があるくらいです。

この自律的継続型システムに寄り添う形で生活すると、実はストレスなく、のんびりと生活することができそうです。牧歌的で、環境と折り合いをつけながら、永続的にゆるやかに生活する形です。

機械の消費行動

自然がエネルギーの循環を実現するように、メタネイチャーが経済を含めた各種エネルギーの循環を実現するように思えてきます。

面白いのは、機械が消費行動を起こしているように見えるところです。上記のタクシーの例では、メンテナンスというサービスを受けているのは、全自動のタクシーであり、そのタクシーは全自動のタクシー会社というシステムの一部です。まさに、機械がサービスを消費して、自らの存在を維持しています。

遠近法

話は変わりますが、遠い間合いはディテールがぼやけます。以前、遠近法について透視図法の話を書いたことがあります。

それとは別に、遠近法には、ディテールをぼやかす、という手法があります。彩度やコントラストが弱くなる空気遠近法と呼ばれるものや、焦点がぼやけていく消失遠近法と呼ばれるものなどです。

要するに、遠くにあるものは、ぼやけて見えるというものです。写真でも、あえて奥にあるものを大きくぼやかす撮影方法があったりします。これによって、手前の、より視線を集中させたい部分を際立たせることができます。

間合いの違い

この、間合いが遠くなると、ディテールがぼやけていく、ということが面白いです。SNSの「いいね」だけが得られる関係性は、非常に遠い間合いのやりとりだと思います。目の前にいて、熱く語り合うという、めちゃくちゃ近接型対話の間合いと比べると、はるかに距離のある、関係性といえます。

この遠さだと、人のディテールはぼやけ、そこに本当に存在しているのかどうかすら怪しいくらいの実体感になってきます。本当に、その人が「いいね」したのかどうか、「その人」といっているアイコンの向こうにある存在は、実体のある人なのかどうかもわからなくなってきます。

そう思うと、「いいね」を送り合う間合いであれば、チューリングテストには簡単に合格できそうです。

特定の価値基準によって対象を判定し、「いいね」するシステム。合否が明瞭なものほどやりやすいでしょうし、チャットbot以上に簡単に作れます。

AIによる「いいね」

2022年は、AIを活用する創作活動が一気に加速しました。オープンソース化されたことが、その大きなきっかけだったと思います。この波は止まらないでしょう。

AIを使って作り出したものを、先のようにAIが「いいね」してくれる関係性だって、本当のところ、すでに実装されているかもしれません。ネットワーク上では、「いいね」の向こうにAIの影は見えず、社会の中で承認された気分を実感として味わえます。

社会の中で承認された気分が、しっかりと味わえ、気持ちが満たされます。これは、とても大切なことだと思うのです。そもそも、気持ちは自己満足でしかなく、当人が満足感を得られば、それで十分ともいえます。

承認が欲しくなるとき

高ストレス下では、承認が欲しくなります。不安定な中に身を置き続けると、不安が首をもたげてきます。揺れる心支えるために、自己肯定という支柱を求め、手っ取り早く承認してもらうことで、心を慰めようとします。それは、マッサージみたいなものかもしれません。しかし、本質解決にはならなくとも、時には必要です。

僕は、イライラしてくると嫌味くさくなるようで、家族には「イヤミンがでた」と笑われます。笑ってくれるので助かっています。

こうした、心が疲れている際に、ネットワーク上でマッサージ的承認が満たされることで、身の回りにいる人たちとゆとりを持って対話できれば、実存的人間関係を、より豊かにしていく、そのゆとりが生まれるのかもしれません。

感染症対策による行動制御がもたらしたオンラインコミュニケーションの活性化で、改めてオフラインの価値が再認識されたように、AIを活用した創作物を配信して、AIによって承認されるという状況も、人と人とが生でぶつかり合う生活を支えてくれるものなのかもしれません。

自然に寄り添う生き方

メタネイチャーに寄り添って生きていくということは、もしかすると、こういうことなのかもしれません。

先の完全自動化タクシー会社のような社会インフラが、新たな生態系の一部のようになっていく社会。

EBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)が実装された社会。

AIをツールとして活用する様々な創作物、もしくはAIそのものが生み出す新たな創作物を楽しむ社会。

AIが生み出す論文によって新たな視座を得る社会。

それらを活用し消費するAIが存在する社会。

まさに自律したエコシステムであり、人新世における新たな自然と呼べるものなのかもしれません。私たちは、こうした新たな自然と折り合いをつけて生きていく、そんな生き方を模索していく時代に差し掛かっているように思えます。


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