「グリーンウォッシュ」批判の視点からみるミラノデザインウィーク(後半)
4月17日週に開催されたミラノデザインウィークに関して前半に書いたのは、初日に刑務所の囚人による作品展を見に行ったこと、何故、そこを最初の訪問先に選んだのかの理由、です(デザインウィークの変遷に関心があれば、「『デザイン文化』をデザインするーミラノデザインウィークの変遷」をお読みください)。
さまざまなコミュニティとデザインのあり方が深く問われている場所をスタート地点にしたわけです。利益が相反する流動的コミュニティにおけるデザインの役割が求められる今、まず、大文字としてのデザインをミラノデザインウィークのなかで再確認しておきたかったのです。
この後半では郊外で開催されたミラノサローネ国際家具見本市と市内のフオーリサローネについて書きます。ただ、テーマを絞ります。ソーシャルの側面をみます。そのなかでも、サステナビリティを謳いながら実際は違う、見せかけの環境対策・グリーンウォッシュが最も批判の対象になっている現状を鑑みた視点から書きます。
サステナビリティの強調が差別化に繋がる時期では、実体が伴わなくても、「サステナビリティを基本方針としている」とアピールすることで注目を集めました。だが、サステナビリティへの法制化が進み始めているなかで、グリーンウォッシュは、ガバナンスの側面から行政から懲罰の対象になっているのです。したがって、ここをポイントとします。
今年のミラノサローネ国際家具見本市は何を変えたか?
見本市は6日間で181か国から307,418 人の入場者があり、昨年と比較すると15%のアップです。(2019年は40万人を超えましたが)地政学的問題から移動が難しい人たちや諸々の事情からすると、かなり良い数字です。
2021年秋、パンデミック中に行った特別編、通常より2か月後ろにずらした昨年6月の開催、それらを乗り越えて「いつもの風景」が戻ってきました。
しかし、会場のゾーニングの考え方は、まったく変わりました。従来、様式を重視するクラシック、20世紀的なモダン、今風のデザイン、アクセサリーといった区分けをしていました。しかし、今回はすべてミックスしているのです。特定のジャンル、例えばデザインは人に溢れ、クラシックやアクセサリーはやや閑散としているのがこれまででしたが、今年は何処でも満遍なく人がいました。
ぼくの印象では、これは最新の都市計画の考え方を踏襲しているような気がします。
商業地区、オフィス地区、住宅区といったゾーニングを廃し、住居から15-20分、徒歩や自転車で仕事も含めてすべてがこなせる「近さを重視したまちづくり」との発想に近いものが、このサローネにもあると踏んだのです。それによって、広い会場を隅から隅まで歩かなくてもインテリアデザイン動向の全体がとりあえず把握できる、というメリットがあります。
実は2021年の特別編は、このような方向でした。新鮮でぼくは気に入りました。だが、昨年は従来のパターンに戻りました。それでも随所に「多義性への転回」を確認しました。展示の場と対話の場の融合の試みも、その一つです。
機能を軸にした碁盤の目の区分けは、素早く自分の見たいスタンドにたどり着くには便利で一見効率が良いように思えます。機能重視とは、言ってみれば、単機能を優先することになります。だが、全体のシステムとしては無理がある。いくつもの機能ゾーンができることでゾーンそのものの増殖を促し、デッドゾーンがたくさん生まれてしまうのです。サステナビリティ戦略に反します。
そこで、今回、一つの場所に多くの意味をもたせる多義性を軸にする空間つくりに転回したことになります。あえて深読みすれば、サステナビリティの基本言語を普及させようとの意図を感じます。この点の推測は、昨年7月、サローネの代表であるマリア・ポッロにインタビューした際に得た情報にも基づいています。関心があれば、Forbes JAPANに書いた以下の記事を読んでください。(尚、冒頭の写真も©Salone del Mobile, Milano。セラミックのBitossiのスタンド )
什器をできる限り減らしたALCOVA
かつての屠殺場を会場に選んだ今年のALCOVAには、70以上の展示が行われ、9万人を超える人が訪れました。崩れ落ちている建築物のあるこの敷地は、これから地域開発のコアになり、教育機関や商業施設が開発されていくようです。
興味深い展示がたくさんありました。南仏でローカルリソースと女性の力を活用する複数のプロダクト開発していた事例は参考になります。UAEの機関が支援し、職人やデザイナーだけでなく、バイオテクノロジーの専門家などが参加しています。シューズのケースは下図です(概要は、このプロジェクトを推進したAtelier LUMAというスタジオのサイトも参照してください)。
科学やテクノロジー主導ではなく、科学とテクノロジーと良い関係を築きながら、プロジェクトが推進されたことがよく窺えます。よく危惧される「テクノロジーの暴走」が抑制されているのでしょう。
地味だけど、ぼくが気に入ったのは以下の展示です。この地域の再開発に関わる企業の建築家たちが、会場となった建築物のエレメントを床一面に並べているのです。現在地のリサーチであり、アーカイブです。ここも什器は殆ど使われていません。
YAMAHAの展示も、まさしくこの路線にマッチする
什器を新たに無駄につくらない。什器をつくるとしたら、その後の再利用を事前に設計しておく。これがサステナビリティ戦略の鍵です。ミラノ工科大学のデザインの先生は「我々の活動の検証によれば、どのようなプロダクトであろうと、初期段階のデザインで8割がたの材料は再利用できるようになる」と話しています。
この考えで新たなコンセプトを練り上げ新たなプロダクトを開発し、それにふさわしい場所で無理なく展示していたのが、楽器のYAMAHAです。下の写真をみてください。
上の2つの写真をご覧になった後に、以下の2つの写真をみれば、什器がまったく不要である世界のコンセプトが実感できます。
これらだけでなく、ギターの弦が使えなくなったら、それを捨てるのではなく、壁を飾るアクセサリーになるのです。下です。なかなか、にくいです。
決して、辛くないサステナビリティ戦略です。ぼくが感心したのは、YAMANAはコンテクストを読み切ったデザインをしたことです。これがサステナビリティ戦略の究極の姿になるはずです。
まず、ミラノ市内の地区の選び方です。この展示がされたのは、下の地図に赤印のある地点です。この通りは、以前からヴィンテージショップやアートギャラリーなどが並んでいましたが、近くにマイクロソフトやアクセンチュアのオフィスができた頃から、じょじょに洗練されてきたところです。そして、この一帯はミラノのなかでも、サステナブルモデル事例の集積地と見なされる計画ゾーンです。
そして、YAMAHAはこの通りにあるアートギャラリーを借り切ったのです。上の写真にはデザイナーの川田学さんがギターを弾いている姿がありますが、その後ろに今回のイメージ図が展示されています。こうした展示がサマになるのがアートギャラリーである、というのがギャラリー選択の理由です。
極端な言い方をすれば、都市文脈と展示会場のインテリアが自らの意図と合っているならば什器は不要であり、什器を必要とするのは場の選択が悪いからである、ということになります。逆にいえば、コンテクストに沿わないモノとサービスを提供しようとすると什器で舞台をつくるはめになり、反サステナブルな方向に行ってしまうわけです。
因みに、YAHAMAの今回のコピーはYou Are Here です。コンテクスト重視で、究極のエクスクルーシブです。かつて、エクスクルーシブとは、少量のものを限定的な人数に提供する意味合いでよく使われました。しかし、今のエクスクルーシブとは、1人1人へのオーダーメイドとの色彩が強くなりつつあります。それによって無駄なものが出づらい世界ができていきます。
システムとしてのサステナビリティ戦略
上記の例から見えてくるのは、大きな声でサステナブル!と言わずに、着々とサステナビリティ戦略が企画・実践されている景色です。まったく言わないわけではないですが、サローネの会場であれ、ALCOVAであれ、この数年でのアピールぶりと比較すると、明らかに現象として「落ち着いている」。
当然ながら、「リジェネラティブ」という再生というキーワードが浮上しているからということではなく、若干穿った目でもみると、冒頭で述べたグリーンウォッシュが一番の批判の的になってきている動向の証ではないかとも言えます。
サステナビリティ戦略は、システム、それも生活習慣を含む文化も絡むテーマになっています。単体の製品で終わる話でないのはもちろんですが、物理的にあまりに遠いサプライチェーンを想定するのも無理があります。
EUで要求されている「製造者の拡大責任」(再生のプロセスまで責任をもつ)や「デジタル・プロダクト・パスポート」(製品素材の履歴をデジタル上に保存する)などが法制化されたあかつきには、ある範囲での循環型経済が必然になります。
こうしたシステムを前提とした場合、軽々しく「サステナビリティ戦略をとっている」とは言えるはずがないのです。それぞれのプロセスでの認証を徹底するか(実際的であるかどうかは、別として)、追跡可能な循環型経済のどちらかで証拠を提示するしかないのです。
ということは、世界各地にソーシャルイノベーションが頻発せざるをえない時代に突入したと言えます。長いサプライチェーンが基準のグローバル戦略時代においては、ソーシャルイノベーションを必要とする場所はある程度、条件として限定的でした。しかし、その前提が崩れているのです。
前半の記事に書いたように、なにせ、19世紀の英国の法学者、ジェレミー・ベンサムが考案した、どこをも監視できるパノプティコンと呼ばれる刑務所内においてさえ、サステナブルな新たなコミュニティのあり方が試行錯誤されています。
この流動的な状況にデザインがどう一歩先を演じることができるか?が、今現在のテーマです。