怪しからんー現代日本の空気①
スーパーのレジで、突然キレて店員さんを、怪(け)しからん、態度が悪いと詰る人。電車の優先座席に座る妊婦さんに、若いのにシルバーシートに座るのは怪しからん、立てと叫ぶ人。レストランで、注文した料理が後で注文した人の方が先に出たとキレて、怪しからん、こっちが先やと怒鳴る人
怪(け)からんが社会に蔓延している。現代日本社会の空気を支配している感情スイッチは「怪しからん」。物事の判断基準が怪しからんとなった。なんでもかんでも、怪しからん
なんでも怪しからんのなかで、大切なことがある。なんでもかんでも怪しからんという言葉の裏で、物事の本質を見逃がしているのではないだろうか?
1 怪しからんとは、道理から外れていること
怪しからんで、日本は戦争に突っ込んだ。大日本帝国陸軍が怪しからんで、多くの若者を戦地に送り、多くの死に至らしめた
日本は道理で動いている。日本は法治国家だから、道理に反することは禁止すべきことである。では、その道理って、なにか?
道理は、人の数だけある
2 怪しからんで、日本は苦労してきた
中国人は、怪しからん。関係のないお店に迷惑電話をかけてきて、怪しからん。迷惑電話を中止させる法律がない。防御することはできない
中国がそんなことして、怪しからん
指定ナンバーだけ受電できないようにするというのはできるが、+86の国番号からの電話だけをかからないようにすることはできない。通信の自由を制御することになるから、それはできない
大日本帝国陸軍が怪しからんで、226事件を起こしたり、国や財閥の要人を暗殺したり、盧溝橋事件を起こしたり、多くの日本人兵士を戦場で餓死させた
怪しからんで、日本国民は苦労してきた
ということを忘れてはいけない
3 怪しからんのレベルが変わり、爆増している
ネットでのディスりが氾濫している。ネットによって、日本社会を支配する「怪しからん」が一気に増えた。表現の自由が、怪しからんを増長させている。なにを言っても、排除されない。なんでもかんでも怪しからんとなった。こうして
怪しからんの数が急増した
自分が思うようにならないことは、怪しからん。自分の思いにならない人や事柄は怪しからん。本来、「道理に照らして、それに悖(もと)る」場合を怪しからんって言ってきたが、現在はそうではない。自分の価値観に照らして、他人の価値観が違うと、怪しからん。このように
怪しからんのレベルが変わってきた
電車のなかで赤ちゃんが泣いている。みんなは黙って見つめている。そのなかで、突然、お爺さんが、赤ちゃんをよしよしとあやしているお母さんの近くに寄ってきて、電車のなかで泣かすのは怪しからん、降りろと騒ぐ。赤ちゃんが泣くことは、道理に照らして悖(もと)ることではない。赤ちゃんが電車のなかで泣くことは、自然なこと。にもかかわらず、お爺さんは、自分の基準で、お母さんを糾弾する
マイホームを建てたら、しばらくして自分の家の隣に公園ができた。すると子どもが公園でワーワーと騒ぐのは、うるさい、怪しからん。公園を閉鎖しろと要求する。子どもが公園で遊ぶのは、世の中の常識。道理に照らして、許されないことをしているのではない
我慢すべきなのに、我慢できなくなった
怪しからんのレベルが下がっている。ものの道理ではなく、自分の価値観にもとづき、もっともらしい批判を展開するのが、日本社会が陥っている現実である。怪しからんのレベルが下がって、もっともらしく反論・攻撃をする。怪しからんで、排除しようとする
そんな怪しからんが蔓延、横行している
そこでいう「怪しからん」が、道理に反しているというのだったら、その道理は多くの人たちが共有しているものでないとおかしい
4 我慢できない、わがままな日本人
ゴミを道路にポイと捨てるのは、道理に反する。それは、日本人の多くが共有している道理で、ゴミはみんなが使う道路に捨ててはいけない。空き缶を投げ捨てたら怪しからんと注意される
しかし赤ちゃんがわんわんと泣いているのは、怪しからんことではない。おっぱいが欲しくて、わんわん泣いているのかもしれない。覚えてはいないだろうが、自分も幼いときに泣いただろう。赤ちゃんが泣くのは、お互いさま
我慢しあうという世界である
それを自分の思い通りにならないからと言って、怪しからんと、一方的に排除する。しかし
社会はそういうことを許容しない
それは、わがままである
道端で騒いでいる若者が怪しからんと言ってその若者を殴ったら、犯罪となる。警察を呼べばいい。しかし警察を呼んでも、警察はこのぐらいは許してあげたらというレベルもある。法に照らして違反ではないということがある
車の割り込みも、そう 。交通法上、ウインカーを出して、進路変更しようとする車がいたら、後ろの車は前に進路変更しようとする車を入れてあげないといけない。しかしこんなふうに思う人が増えた
車が割り込んでくるのは、怪しからん
前に割り込んでくる車はずるい、ウインカーを出せば列に並ばずに横入りできると思っているはずだと思う人が増えた。しかしその車は、単に道を間違えて進路変更しようしていただけかもしれない。高速道路に入ったら、合流地点にたまたま隣りに車がいただけかもしれない。そんなの怪しからんではない
「割り込み」という言葉自体が、ズルして入ってくるという前提のニュアンスである。怪しからんと思うかもしれないけど、譲り合わないと道路交通は潤滑に流れない
割り込んでくる車は怪しからんと怒るように、自分の思いどおりにいかないから、怪しからんといって、社会を不安定にすることは許されるだろうか—許されない
現代日本を象徴する言葉「怪しからん」を様々な角度から、次回以降考えていきたい