ニッポンの大人のための、「発展途上」のすゝめ 〜「developed mindset」と「developing mindset」
お疲れさまです、メタバースクリエイターズ若宮です。
最近、社会や個人の生き方について考えているキーワードとして「developing mindset」というのがありまして、今日はそのことを書いてみます。
こじらせプライドと失望
最近SNSを見ていると、「ヘルジャパン」など日本の現状を嘆く言葉や失望・批判の声が増えているように思います。
経済の低迷や政治家の不正、ダイバーシティの問題など、日本の今が両手を挙げて賛美できるとは僕も全く思っていないので「批判」はしていいと思っています。適切な「批判」は改善や前進につながるからです。
しかし、それが中傷や自分事化せず傍観的な批評家のようになってしまうとあまり生産的ではないのではないのかなと思います。
政府や政治家に文句を言いたくなる気持ちは僕もよくわかります。しかし日本は民主主義なので、それも他人事では無いはずです。特にアラフィフ、アラフォーは、完全に社会をつくっている側の主体です。「日本はだからだめなんだ!」と言いながら傍観し自分の行動を変えないのであれば、それは再生産であり現状への加担になってしまうので、やはり何らかアクションを起こさないと、と思っています。
また、自分たちがいる環境を「ヘル」と言ってしまうとネガティブな気持ちにしかならず、あまり前向きになれない気がします。
そして前向きの批判ではなく、こうした後ろ向きな言葉が増えているのは、実は日本の自分たちに対する評価と自意識が過剰だからなんじゃないか、という気がするのです。
「ヘル」といいながら、その実まだなんとなく日本人は世界の中で上位にいると思いこんでいる。そういう人がけっこういるのではないでしょうか。その時頼みにしているのは、高度経済成長期の「過去の栄光」であり、もはや自分たちの手柄ですらないのですが、それにしがみついている。
これはどこか「大企業病」とも似ている気がします。
皮肉なことに、過去志向で自己評価が過大な人ほど不満が多くなりがちで、謙虚な人ほど感謝を忘れず良いところを見つけることを心がけるものです。
実際、日本には良いところもたくさんあります。これほど公共トイレや公共交通機関が清潔な国はありません。痴漢や性犯罪はもっと厳罰化したほうがよいと思いますが、それでもこれほど夜に犯罪に出逢うことを気にせず外出したり、なんなら酔っ払って外で寝ていられるような安全な国はありません。パレスチナやウクライナを前に「ヘル」などとはとても言えないのではないでしょうか。
誤解のないように言っておきたいのですが、僕は「日本最高!」と賛美する気は毛頭ありませんし、良いところもあるんだから現状で満足しろ、なんて言いたいわけでは全然ありません。繰り返しになりますが、批判し直すべきところはこれからもガンガン声を挙げて直していったらいいのです。
ただ、日本に対する自己認識というか期待値を見直した方がいい気がする。
日本はそもそも「先進国」なのか?
ここ数年、ジェンダーやダイバーシティのことで取材いただくことも多かったのですが、とくにジェンダーギャップ指数が出るとよくコメントを求められました。ご存知の通り、日本はジェンダーギャップ指数で125位。昨年よりも下がっていて、これは特に政治と経済での遅れが原因です。
で、こうした時、取材する側から明らかに「日本はダメ」という答えを期待されているな、と感じることも多いんですね。ともすると質問もちょっと誘導的な感じのこともあって、そういう時によく使われるのが「先進国の中で最下位」という言葉。
たしかに、日本は「ガラパゴス」と揶揄されることも多いように島国根性なところもあるので、他国との比較は大事です。でも、相対評価の話ばかりで駄目だ駄目だ卑下し、日本が具体的にどうしていったらいいか、という本質に話が至らないと勿体無いですよね。
そして個人的には「先進国の中で」という枕詞、これあんまり有効じゃない気もするんですよね。もうちょっと率直な言い方をすると、日本ってそもそも先進国ではないんじゃない…?と思っているのです。
たしかに、高度経済成長期に伸びてJapan as No.1と言われ、一度は経済的に「先進国」になったかもしれません。しかしそれは過去の栄光ですし、経済の「規模」においてだけであり、経済哲学としてmatureとかではないと思います。
ましてや民主主義や人権については基本的に他国のマネをして導入したものか他国によって導入されたものです。フランスや台湾のように自分たちで民主主義を勝ち取ったわけでもなく、民主主義や人権についてはそもそも「先進」したことがない、いや主体的なスタートラインにも立っていないのではないか。
日本人は日本を「developed country」だと(あるいは「advanced coutry」とすら)自認していると思いますが、果たしてそれは実力を伴った評価なのでしょうか?少なくともダイバーシティのことを考えた時、僕には日本は成熟し洗練された大人というよりは、まだ小学校五年生くらいの段階に思えます。
民主主義や人権だけでなく、経済や働き方でも遅れを取っています。日本人はなぜか欧米を賛美しアジアをいまだに下に見がちですが、韓国や中国と比べて取り立てて先んじているわけではありません。それどころかとっくに抜かれている。
そんなモヤモヤを感じながら、ひょっとしてももはや日本は自らを「developing country」として捉え直したほうがいいのでは、と思うようになりました。
いっそ「発展途上国」と思ってみたらどうだろう?前述したように「先進国」だと思うとできていないことが目立ち、不満も増えます。しかし、まだまだ発展途上のdeveloping countryだと考えれば、こっからが勝負、頑張って改善していこう!という気持ちになれる気がしませんか?
日本はいまやチャンピオンなどではなく、完全にチャレンジャーです。過去の栄光に浸るよりは、認識を改めて謙虚に一方ずつ進んでいくほうがいいのではないかと思うのです。
「developed mindset」と「developing mindset」
こうした考え方は、国に対しての意識だけでなく、個人のキャリアパスや人生においても重要なのではという気がしています。
自分をdevelopedと捉えるか、developingと捉えるかで物事への向かい方が大きく変わる。
大人になるとそうなりがちですが、「developed」マインドセットは「過去の栄光」を重視する傾向があります。学歴や肩書など、過去の成果に基づいた「ステータス」を重視します。一方、「developing」マインドセットは「成長」を誇り、プロセスを楽しみます。
developedマインドセットは過去を向いているため、保守志向(「日本を、取り戻す。」)ですが、developingマインドセットでは理想の状態にはまだ到達していないため、常に変化を志向します。
developedマインドセットは減点方式ですが、developingマインドセットは加点方式です。100点から出発し、悪いところを探すか、ゼロからスタートしてプラスを探すか。
developedマインドセットは大企業的であり、自分たちが積み上げてきた財産を頼みにします。一方、developingマインドセットの強みは「もたざるもの」であることです。
年齢を重ねある程度キャリアを重ね「ひとかどの人」になると、教わるよりも教える回数の方が増えてきます。「先生」とか呼ばれるようになると、思考がロックしてしまうので、わざわざ「アンラーニング」とか「リスキリング」とかが必要なわけです。一方、developingマインドセットは、「まだ何ものでもない」という感覚を持っており、常に貪欲に人から学ぼうとします。
人生100年時代、僕もまだやっと半分くらいです。過去に成し遂げたことよりも、これから何を学び、どう変化していくかに焦点を当てる方がずっと楽しく、ウェルビーイングな感じがしませんか。
「慢心」と「自信」
かつて大企業にいた頃、僕はまさにdevelopedなビジネスパーソンのような錯覚をしていた気がします。大企業という看板を頼みにしてプライドばかり高く、出世コースを外れないようにピリピリして、会社に不満やぐちを言っていた。そこから飛び出し起業してみて、自ら仕事をつくっていく毎日はまさにdeveloping。自分はまだ何者でもなく、常に新しい挑戦の連続で、たくさん失敗しながら、それすら加点方式で考えられるようになって、仕事がだいぶ楽しくなりました。
子育てについてもこのマインドセットは当てはまるかもしれません。親になるとつい、自分たちをdevelopedだと思い、子どもたちはdevelopingだと考えがちです。自分たちが経験してきたことが一足先の「正解」だと考え、子供たちにそのまま役立つと思いがちですが、時代が変わっているため、必ずしもそうではありません。メタバースなどの新しいテクノロジーもそうですが、実際には、大人の方が子どもから学ぶことは常にあります。なので親ももっとdevelopingなマインドセットを持つといいのかも知れません。
以前、自信と慢心、謙虚と卑屈の違いについて、こんな記事を書きました。
本当に自信がある人は、過去の成果に固執するのではなく、未来の自分を信じており、変わっていけると思えるので、謙虚に自らの過ちを前向きに受け止めることができます。これはdevelopingマインドセットだということができるでしょう。
一方developedマインドセットを持つ人は、過去の栄光に囚われがちで、プライドが高い割にここから変わっていこう、という未来に向けては卑下しがちで悲観的だったりします。「ヘルジャパン」と言い過ぎるとこちらのマインドセットになってしまう気がします。
僕たちは自分たちを「先進国」だと思い、「発展途上」という言葉を低く使ってきた気がします。しかし大人が自分たちを「発展途上」だと自信を持って思えることこそ、これから日本が元気になっていく鍵なのかもしれません。