パーパスの背景にあるべき「4つの観」
パーパス(あるいは経営理念)を制定し、そのパーパスを指針に経営をしようという企業は少なくない。日経新聞のトピックにもなっている。
オピニオン欄でも取り上げられている。
さて、ある企業がパーパスを制定した。そのパーパスを体現する自分たちであるにはどうすると良いか、社外の様々な人たちと意見交換をしているという。先日、意見交換相手の一人としてお声がけいただき、社員の方々と対話した。大いに刺激を受けたので、そこで対話したこととその後に私が考えたことを合わせて整理してみる。
固有の視座と文脈を整理する「4つの観」
パーパス(あるいは企業理念)は、その企業に固有の視座と文脈から生まれてくる。パーパスを制定し運用するにあたり、背景にある視座と文脈を自覚し言葉にする必要がある。そうでないと、ただの耳障りの良い言葉になってしまい、指針として機能しない。
企業に固有の視座と文脈を整理する枠組みとして、三品和弘さんが著書「経営戦略を問いなおす」にて示した「4つの観」が有効だ。
Amazon によると私はこの本をすでに3回買っているらしい。
三品さんは経営者が持つべき視座を「4つの観」にまとめている。パーパスの制定と運用にあたり必要な視座と同一と考えて良いだろう。以下の図で簡単に紹介する。
歴史観、社会観、人間観の3つを合わせて教養の土台と考えて良い、と三品さんは述べている。これは、「社会人の学びは「人・本・旅」だ」とAPU学長の出口治明さんが繰り返し述べておられることと呼応していそうだ。非常にざっくりとではあるが、歴史観は本で、社会観は旅で、そして人間観は人と会うことで養われていく。
さて、経営の視座をなす4つの観を、どのように言語化していくか。私は、「歴史観」の整理から着手するのがやりやすいと思う。
パーパスは企業を「ありたい未来」へと導くものだ。見方を変えれば、現在から未来に向けての歴史を作る指針となる。時間の流れは過去から未来へ地続きであるから、過去から現在の歴史をどう捉えるかという視座とパーパスは直結している。また、具体的に作業を進める上でも、まずは歴史的事実を知るところからになるので、着手しやすい。そして、その歴史事実をどう捉えるかの議論の中から、社会観や人間観が浮かび上がってくる。
歴史観:株式会社は非倫理的で違法だった
例えば、今回私が対話した企業は、株式市場の領域で事業を営んでいる。株式市場の歴史は、株式会社の歴史と重なっている。株式会社において所有と経営が分離され、所有権の譲渡が自由になされることが、株式市場が成立する前提条件だ。そして歴史を少し紐解くと、株式会社の所有と経営の分離が違法だった時代があることが分かる。非倫理的だとされていたからだ。
例えば、ロックフェラーもカーネギーも「株式会社」は作っていない。カーネギーは製鉄事業を有限責任組合(limited partnership)として、ロックフェラーは石油事業を信託として組織した。株式会社にしなかったのは、彼らの望む経営形態を株式会社で実現すると、違法だったからだ。
背景には、イギリスで1720年に制定された泡沫会社禁止法(Bubble Act)がある。国王の勅許か議会の承認を得ていない会社が株式を発行することを禁止した法律だ。アメリカはイギリスから1776年に独立し、株式会社に関する法体系や考え方はイギリスにならっていた。19世紀前半から、現在の株式会社に近い法人設立が可能な州が出てきた。しかしそれは一部の業種に限定されており、議決権は1株1票ではなく、株主一人が1票だった。
そのような制約が課されていたのは、株式会社は非倫理的な存在とみなされていたからだ。冨山和彦さんと澤陽男さんも共著書「決定版 これがガバナンス経営だ!」で次のように述べている。
こうした歴史を踏まえれば、「株式市場を事業領域とすることはサステナブルなのか」「株式市場を領域としながら、社会に貢献し未来をつくる事業とするには、何が大切か」といった問いが出てくるし、パーパスの意味合いに厚みが増す。
社会観・人間観:「包丁は非倫理的で規制せよ」と言われない
では「株式」や「所有と経営の分離」が非倫理的だなんて、現代社会でどこまで言えるのか。この問いを紐解いていくと社会観・人間観があらわになってくる。一例として私の考え方を示してみると、例えば、包丁が人を傷つけたり殺める凶器として使われることがあるが、だからといって包丁が非倫理的で規制すべきだという話は出てこない。包丁というツールのメリットを生かし負をマネージする社会規範が育っているからだ。自動車、メディア、医療技術、そして株式…どれも「ツール」である以上、使う人間と社会の規範のほうが問われている。だとすると、株式市場のメリットを生かし負をマネージする社会規範を育むことも企業理念に折り込むか、という問いが生まれてくる。
パーパスは切迫感ある問いを投げかけるもの
このように4つの観を紐解いていくと、パーパスや経営理念をもって「当社は良いことをしている」と無邪気に言い放つのは、平板であり、熟慮に欠けることが分かってくる。歴史、社会、そして人間の営みは、矛盾に満ちている。葛藤を前提としながらも光の指す方を向きたい、そうでないと矛盾に飲み込まれて私たちは進めなくなってしまう。パーパスは、そんな切迫感とともにあるものではないか。
あるラグジュアリーブランドでは、半年ごとに全世界の幹部を集め「ラグジュアリーとは何か」をテーマに議論を重ねる仕組みがあると聞いた。「ラグジュアリー」は、その企業のパーパスの前提にあるものだ。「ラグジュアリー」をめぐって4つの観を問い直し、確認し、すり合わせていく営みだと言える。常に問い直していかないと、事業の前提が知らぬ間に見えなくなってしまうという切迫感があればこそ、コストと時間をかけているのだろう。
私が対話の機会を得た企業であれば、「株式会社とは何か」「顧客の資産運用にかかわるとはどういうことか」などをテーマに対話を重ね続けることが、パーパスに基づいた経営を行うための柱となるだろう。
あなたの事業の4つの観、いかがだろうか。
今日は、以上です。ごきげんよう。